kobeniの日記

仕事・育児・目に見えない大切なものなどについて考えています。

「出産したら退職せよ」に立ち向かう朝ドラヒロイン(「なつぞら」20週)

朝ドラ(NHK朝の連続テレビ小説)100作めの「なつぞら」。第20週(8/13-17)は、主人公のなつが妊娠し、社員を続けるか・辞めるか。という描写がなされた週でした。朝ドラの放送期間は半年間で、上半期は9月末に終わるので、今ちょうど三分の二ぐらい来たところです。

私はここ数年、日本のドラマが好きで、色々たのしく観ています。朝ドラを観始めたのは「純と愛」くらいからで、過去の作品に詳しくないので、「朝ドラとはこういうもの」という語りは、上手くできません。ただ、朝ドラは「女性が主人公の成長譚」であることが多い、というのは知っています。歴代のヒロインが何人も登場するなど、100作の節目ならではの特別感もある「なつぞら」。その中で、朝ドラの中でも大きなテーマのひとつとなる「仕事と育児の両立」はどんな風に描かれるのか、楽しみにしていました。

 

■「新しい女性アニメーター像」の模索に、通底する「開拓者精神」

 

現代では多くの人が、何らかの企業に勤めサラリーマンとして働いているので、「仕事と育児の両立」はそのまま「組織内での労働・雇用問題」に直結することが多いです。しかし朝ドラではこれまで、「組織の中で仕事と育児両立の道を切り拓く」という描写は、あまりなかったようです。

 

 

 

(このタシマシさんの一連のツイートが詳しいので、ご覧ください)

 

ヒロインが「雇用機会の喪失をきっかけに、天職に出会う」という構成が多かった。つまり「一度は会社・組織を辞めて(辞めさせられて)から、自営業やフリーランスとして手に職を持ち、育児をしながら働く」というヒロインが多かったんですね。これは日本の女性の、働き方の歴史から考えても当然のことで、朝ドラヒロインのモデルになるような女性(朝ドラは、現代よりも過去、戦中~戦後あたりが舞台となることが多い)は、雇用の面から見ると、特に出産後は「経営者や自営業で活躍するしか道がなかった」ということだと思います。

 

働きながら育児をする権利を守る法律としては、「男女雇用機会均等法」が昭和61年(1986年)に施行。「育児休業法(現在は育児・介護休業法)」が 平成4年(1992年)に施行、この二つの法律が主となっています。なつは現在30歳、「なつぞら」における「今」は昭和42年ごろの設定なので、これらの法律もまだない時代の出来事ということになります。

「なつぞら」の中で、なつや茜さんといった「正社員として雇用された女性」は当時、結婚して子どもができたら辞めます(=「契約」に切り替える。この「契約」は、現代の契約社員ではなく、作画一枚あたりでお金を支払われる個人事業主・フリーランスとなるということ。つまり実質、解雇です)という誓約書を書かされていた。ですが、なつは「このまま社員として仕事を続けたい」と主張します。

史実としては、「なつぞら」ヒロインのモデルとなった東映動画の奥山玲子さんは、東映動画の労働組合に所属しており、その組合が、出産育児の問題に取り組んでいたようです。「なつぞら」では、なつの故郷の十勝でも、「農協」がメーカーと対等に交渉できるよう、生産者たち自身の手で工場を立ち上げバターをつくる。といった描写がありました。今回のなつの件に関しては、作中「組合による交渉」という表現方法は取っていませんが、今週も何度も「組合」というワードが登場しました。

ただ正直、「なつの今回の意義申し立てが組合活動だったかどうか」は、私自身はあまり関心がないです。このドラマでは、組合活動の根本的な考え方というか、もっと手前の価値観=「自分の手で新しい道を切り拓き(開拓者精神)、そこでなにかを生み出す生産者は尊く」「それ故に生産者・労働者と、雇用主の立場の対等性は守られるべきで」「生産者・労働者は、ひとりではなく、全体の問題として解決を図ろう」というようなことが、ここまで様々なモチーフを使い繰り返し主張されてきました。現実にはなかなか難しいことですが、なつは今回、一緒に働いてきたアニメーターたちの応援と共に、「自分が女性アニメーターの新しい生き方を切り拓きたいのだ」と、社長に直談判に行くことができました。そのことが唐突に感じられないよう、過去回で丁寧に、根本的な考え方やそれを取り巻くいろんな立場の人の感じ方・動き方を描いていたなと思っています。

 

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まるで我が事のように怒ってくれる神っち(モデル宮崎駿)。こんな同僚居たらホントに心強いのに…

■なつはなぜ、「社員でいつづけること」に拘るのか

 

「契約」に切り替えられる(繰り返しますがこれ、「契約社員になる」じゃないです。解雇され個人事業主としての契約になる、という意味です)のがなぜそんなに不満なのか?という声も、感想の中にはありました。そういう声が多い理由はもちろん、「出産したら契約を更新しない」とか、「出産後、時間の融通が利く働き方が、パート勤務しかない」とか、そういった理由で会社を辞めざるを得ない女性が、現代にもまだまだ居るからだと思います。(事実、茜さんはそういった現実を飲み込んで辞めていき、今は前向きにお母さんをやっていましたね)なつは、あたらしい道を行こうとしています。夫のイッキュウさんにも、後人のために新しい道をつくれと言われていましたし、同僚の神っちも、「会社にこれまでのキャリアを評価させるべきだ」と言います。「既存の選択肢では満足できない、社員でい続けたい」という意志を、ハッキリ主張することにしたんです。

この「なぜ、なつが社員に拘ったのか」というところはそのまま、「なぜ、そこまでして働き続けたいの」「なぜ、周囲に迷惑をかけながら」「なぜ、会社の配慮を無視して」という、現代でも母親がよく言われる声に対する、ひとつの回答になっていなければいけません。(朝ドラが、過去の出来事を書いていようが、現代の視聴者の心に響く表現にするにはやはり、現代にも通用する台詞になっている方がベストです)

以下、台詞の引用です。

 

社長(大意です)「契約といったって、いじわるで提案しているんじゃない。子どもが生まれたら、どうしたってこれまでのようには働けない。契約の方が、出勤時間が自由になる。これまでのような社員と同じ責任を担うと、まわりに迷惑がかかるだろう。それこそ、(アニメーターたちが信条としている、仲間同士の)結束を乱す。契約の方がラクじゃないか」

 

なつ「私はラクがしたいわけじゃないし、お金がほしいわけでもない。

仕事で、もっと成長したい。いい作品をつくりたいんです。

どうしてそれが、子どもがいるとできなくなるんでしょうか。

今まで当たり前だと思っていたことを、会社から望まれなくなるのが、一番苦しいんです」

 

 

こう書いてみると、当たり前のことを言っているようにも見えますが、私は「ここまでシャープに核心を表現できている作品、あんまり見たことがないな」と思いました。最近読んだ韓国の小説「82年生まれ、キム・ジヨン (単行本) 」には、こういった「これまでの経験に裏打ちされた、自分の仕事に対する前向きな自負と意欲と、それを捨てなければならない悔しさ」が、ストレートに表現されていましたが、それに近いものを感じました。

なつは戦災孤児のため、北海道の奥原家に引き取られ育てられています。そういう過去もあって「わがままを言うのがヘタ」というか、たとえば「アニメーターになりたい」という自分自身の夢に関しても、現代の視聴者から見ると驚くほど逡巡し、迷って、やっと家族に言い出した。という経緯がありました。そんななつが、面接で実の兄に対する偏見によって落とされたり、技術テストに落っこちたりしながら、やっと入った会社です。そこでいっぱい悩んで、いっぱい描いて、とやってきているのを、私はいち視聴者として観てきたから、「これまでと同じように、仕事をしたい」と願う理由は、痛いほどわかりました。もし、なつのこれまでの歴史を見ていなかったら、「どうしてそこまで?」となるのかもしれません。

ドラマや小説などの物語は、現実世界では見えない「その人の歴史」といったものも、しっかり見せることができる。そういった歴史の上で発せられた「これまでと同じように成長したいし、いい作品をつくりたい。会社から望まれなくなるのが、一番苦しい」は、とても重たく、ずっしりとした台詞として響きました。

なつは上記の台詞のあとに、社長から「実は作画監督に抜擢しようと思っていた」と言われます。これは、契約に切り替えてしまったら絶対にできないことでしょう。一般的にはアニメ業界では、いち原画マンやアニメーターとして下積みをしてから、監督になるのがキャリアの積み方でしょうから…。

「なぜ、そこまでして働き続けたいの」「なぜ、周囲に迷惑をかけながら」「なぜ、会社の配慮を無視して」という声への答えは、なつの台詞にぜんぶ入っています。「私は、ラクに仕事がしたいと思っていない」「私は、お金のためだけに働いていない」「会社の中で責任のある仕事を任されて、これからも成長し、いい作品をつくり続けたい」それが社員のままでいつづけないと、できないと知っているから、こう言っているのでしょう。

「配慮」や「迷惑がかかる」といったセリフが、社長の方に入っているのも、とても的確だなと思いました。「よくぞ、現実に交わされる会話をご存知で」という感じです。会社が「配慮」や「やさしさ」だと思っていることと、なつの望んでいることが、食い違っていたわけですね。

日本人は「出来上がった秩序を乱す」ことを極端に嫌いますよね。迷惑がかかる、はキラーワードというか、それを言うことで相手を徹底的に黙らせる効果があると思います。でも、「周り」というのは非常に流動的で、「周り」が変わってしまえば「迷惑」でなくなることがたくさんあるわけです。秩序は、多数派に合わせて保たれていることがほとんどですから、少数者の意見を通しやすくするためには、「周り」が変わるのが一番です。

「配慮」も同様で、多数派が「良かれと思って」やったことが、少数派にとって「望んでいる結果と違う」ということはままあります。いわゆる「マミートラック」も、配慮の積み重ねの結果だったりします。でも、そこで涙を流したり、悔しい思いをしているお母さんもいます。

 

「朝ドラ」において、このブログも含めインターネット上の反応というのは視聴者のごく一部で、他のドラマよりも広くたくさんの、幅広い層の視聴者が観ているものだと思います。その朝ドラの、記念すべき100作目で、「企業における女性の労働問題」といった、非常にナイーブでややこしい、また現在進行形ともいえる問題を、かなり「わかった」上で構成し、丁寧に台詞にしてくれて、私はとってもうれしく感じました。年配の人にも若い人にも、この表現なら、きっと届いていると思います。

 

■「これからが本番」の、なつの両立生活に期待!

 

特に、近しい経験をしている母親だと、なつの言動が自分と「近い…でもちょっと違う」が故に、細かいことをいろいろ突っ込んだり、一言いいたくなってしまう。今週の「なつぞら」は特に、そんな週だったと思います。でも、仕事と育児の両立に関して言うと、なつはこれからが本番ですよね。まだまだどうなるかわかりませんので、あたたかく見守りましょう。

実際に女性が、主に企業の雇用の中でどのような働き方をしてきたか?の歴史をざっくり言うと、「男女雇用機会均等法」以後はしばらく、男性と同じ条件下(専業主婦の妻がいる男性と同じようなキャリアルート)でバリバリ働くキャリアウーマンが登場し、その後、育児休業をしっかり取れて、看護休暇も充実するなど、「辞めずに仕事を緩めやすい」企業群が現れます。そして現代においては、なつの言うように「成長機会」を失わず、神っちが言うように「これまでの経験を価値として認め」た仕事をあてがい、かつ「子どもが病気になったり、親の介護が必要な場合には、柔軟に休んだり早退したり、自宅作業ができる」ように雇用を継続させる、そんな模索が企業や組織単位で続いています。もしかするとなつは、当時の解決方法だけでなく、ここ20年くらいの試行錯誤も取り入れたような、新しい働き方をしていくのかもしれません。そういう風に現代的エッセンスも取り込めるところが、作劇のよいところですよね。

 

なつのように、新しい道を拓くために立ち止まって主張して、とても大変だったと思うけれど茨の道を突き進んでいった先人たちには、頭が下がります。茜さんのように、泣く泣く諦めた人がいて、その人を見て奮起した下山さんや神っちのような人もいて……たくさんの人たちの試行錯誤があり今がある。そのことをわかりやすく、魅力的に伝えてくれる「ドラマ」というものを、あらためて良いなあと思えた夏休みでした。来週からの「戦い(by坂場一久)」も、楽しみですね!

 

 

(追記:アニメーションの現場「だからこそ」働き続けるのが難しいといった事情もきっとあったに違いないと思います。そんな中で、女性が働きやすい職場をつくった京都アニメーションという会社の為したことは、本当に偉業だなと感じています)

 

 

 

 

「学童の夏休みのお弁当」に宅配サービスを利用したい!という署名活動について

こんちはkobeniです。きょうはとあるお母さんからメールをいただいたので、その内容をお伝えします。「自治体(学童)に夏休みのお弁当宅配サービスを導入したい」という署名運動だそうです。場所は東京都の世田谷区です。
朝倉さんは私が昨年やった「小1の壁を乗り越える」セミナーに来てくださって、私に連絡をくれました。
 
小一の壁でどうしても解決したいことがあり、ご協力をお願いできないかと考えています。夏休みの弁当作りの負担を軽減したく、住んでいる世田谷区に弁当宅配サービスの導入を交渉しているのですが、難航しています。保護者で責任を持つこと、職員に負担をかけない方法を提案し、友人の弁護士に交渉してもらっているのですが、なかなか前進しません。そこでchang.orgで賛同の声を集めたいと考えキャンペーンを開始しました。
 

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私の住む自治体には、夏休みの学童にお弁当が用意されるという仕組みはないので、「へぇ~こんなのやってくれる自治体があるのか」と驚きました。夏休み40日間くらい弁当つくれよ、と思われるかもしれませんが、ただでさえ学校より遅くはじまる夏休みの学童のために、仕事をギリギリ調整している保護者もいます。ご夫婦ともに忙しく、弁当のありなしが毎日の死活問題になるご家庭も当然あるのです。職場の改善も大事ですが、バラバラの職場がいっぺんに変わるのは難しく、こういった仕事と育児の両立は、「常に過渡期」と言えなくもありません。
 
で、私も知らないことが多かったので、朝倉さんに追加で質問をしてみました。その回答を載せておきますね。謎に取材みたいになっちゃいましたが質問項目を考えたのは私ですw
・なぜこの制度を導入したいと思ったか(辛かった自身の体験など)
働くママたちの負担を少しでも軽減したいという点に尽きます。
今回要望を出しているグループの中には弁当作りに苦労している人がいっぱいいます。
4人子供がいて1人分の弁当作りを毎日頑張っているママ
弁当用の惣菜を作り置きして夫にお願いをしてから出張に行くママ
夜勤で帰ってきてから、眠い中弁当を作っているママ
私自身は出張多め、夜勤あり、緊急呼び出しありの職場だったのですが、小1の壁を恐れ、それらのない職場に転職しました。
子供との時間は増えて後悔はしていないですが、正直キャリアダウンはしているので、少し悔しい気持ちはあったりします。
そんなときに苦労しているみんなの話を聞いて、ママたちが苦労せずに活躍できる環境を少しでも作っていけないものかと思っています。
 

・導入したいけど、難航している理由(具体的に、何が思うように行ってないのか)
「業者を見つけてから自主的に導入したい」旨を学童に直接相談したところ、世田谷区の児童課の許可が必要ということで、今は児童課との交渉となっています。
児童課が言うには、「何度か要望は受けているが都度検討して負担増は受諾不可として断っている」とのことです。
「世田谷区は児童数が多いから」
「61校学童現場全てを調査し、全てにおいて実施可能でないと許可できない」
といったことが主な理由なのですが、
基本的にかなり導入に慎重な姿勢なので、導入には声の大きさが必要と考えています。
また、全学童の調査をするなら、逆に全学童で導入を許可してもらえるチャンスだとも思っています。
・他の自治体はどういう経緯で導入にこぎつけたか(なぜやってるところとやってないところがあるのか)
私たちがお願いしようとしていた業者に導入事例を伺うと、以下のような例があるようです。
保護者が自主的に導入した例:中央区、文京区(→保護者から直接依頼あり。学童は関与せず保護者が自主的にまとめて利用)
自治体主導で導入した例:港区(→区役所主導で保護者の利用の有無にかかわらずサービス導入してよいか全員アンケートをとり、賛成多数で試験的に今年からサービス導入)
各自治体に決定権(世田谷区だと児童課長とのこと)があるので、その自治体の担当者次第で、やっているところとやっていないところがあるようです。
 
※ちなみに八王子市

・自治体主導と保護者主導の導入の違いは?
自治体主導だと、区内の全学童で利用できるという点が大きく違います。
保護者主導だと、自分たちで業者を探して、自分たちで支払いや発注のとりまとめをしなければならないので、
それらを自主的に先導する保護者がいない限りは導入ができません。
また、業者も、必要個数が少ないので見つかりにくいとも思います(私たちも何件か問い合わせましたが、結構断られました)。
自治体主導で導入できた方が、全学童で容易に導入が進められるので、より多くの働くママたちの負担を軽くすることができます。
 
 
・この署名が集まると何がどうなる(どうするつもり)か、というのをもう少し詳しく教えてもらえませんか?
①保護者主導の導入については、決定権のある世田谷区児童課に対して、保護者の声として届けます。
決定権は児童課長にあるそうですが、話し合いは9月26日に児童館長会というというところでされる予定なので、
その時までには、多くの保護者の声を集めて、保護者の声の大きさとして届けたいと考えています(直接プレゼンしたいとも要望しています)。
②自治体主導の導入については、予算も絡む話だと思うので、区長に届けたいと考えています。(子育て支援に重きを置いている区議に協力をお願いしたりしていますが、窓口は模索中です)
 
 
・これは世田谷に住んでない人も署名していいんですか?
はい。数は多い方がインパクトはあるので、世田谷区でない人も署名はしていただいて大丈夫です。一方で、世田谷区の人は「世田谷区」と住所に書いてもらうように、追記したいと思います。

 

 
 
とのことです!
世田谷区には61も学童があるんですね…!まずそのことにビックリです。そのひとつひとつの中に、同じように困っている保護者がいれば、導入に近づくのではないかと思いました。私のブログを経由してもそこまで影響力ないと思いますが、減るもんでもないのでご協力できればと思います。趣旨に賛同する方、とりわけ東京都世田谷区にお住まいで賛同される方は、署名してあげてくださいませ。
働きながらこういった、地域の自治的活動をするのはとっても大変です。しかしそもそも、「学童」というものも、むかしは数が少ない共働き家庭が自主的にはじめたものだったりします(うちの親は、保護者で学童を立ち上げて運営してた気がする)。
知識や経験のある方は、どうやってこの活動自体を前に進めたらいいか?というアドバイスなども、署名がてら朝倉さんに伝えてあげてほしいですね~。もちろん私も署名させていただきました!
 
 
 
 
ではでは。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「医学部入試における女性差別」弁護団のシンポジウムに行ってきました

「ジェンダー平等こそ私たちの未来-医学部入試差別から考える」(2019.6.22)

 

6月22日に、「医学部差別に対する弁護団(https://fairexam.net/)」の皆さんが開催されたシンポジウムへ行ってきました。皆さんもご存知かと思いますが、2018年に東京医大で女子差別を目的とした得点操作があり、また複数の医大で同様に女子が点数を下げられているという事実が明らかになりました。私はここ10年くらい、女性と労働についていろいろとニュースをウオッチしてきましたが、正直これほどショックが大きかった一件はなかったです。もちろん私は医者になれるほど勉強はできませんでしたが、大学受験はしたことがあります。受験勉強をした一年間は、今思い出してもとても辛かったです。もし自分が試験に落ちて、その裏で「大人が勝手に女子の私の点数を下げていた」なんてことを知ったら、怒りと失望でどうなっていたかわかりません。

しかも、この差別の原因となったのが「医師のワークライフバランス」といった、自分には関係があるが10代の女子学生には何の関係も責任もないことだった、というのも大きな衝撃でした。私は大人として、今を生きている10代の女の子たちには本当に申し訳なさしかありません。その子が医学部を目指していようといまいと、多くの女子たちの心を深く傷つけたのではないかと思っています。

ということで、この件になるべく長く興味関心を持続したく、シンポジウムにも行ってきました。あっという間の2時間で、ものすごく内容が濃かったのですが、いくつか当日のメモからトピックを共有したいと思います。わりかし難しい内容だったので、間違いなどあったらすみません、ご指摘ください。

 

弁護団のこれまでのご活動について

まずはじめに、この弁護団の活動についてのご報告がありました。私も初めて知ったのですが、「クラウドファンディング」を使って弁護団が訴訟費用を集めるのは、日本初だそうです。支援者が400人以上いたため、最初に立てた目標金額については早期に達成することができたそうです。損害賠償請求額が1億円を超えるため、たとえば書類に必要な印紙だけでも40万円(!)ほどになるんだとか。裁判って、お金がかかるんですね…。

 

医学・医療の中における性差別

 

産婦人科医の吉野一枝さんから、医療の現場における差別の現状についてご報告がありました。いろいろなグラフを見せていただいたのですが、医師国家試験合格者のうち女性の割合は、「20年前からほとんど変わっていない」ということに驚きました。(表① 文部科学省平成28年学校基本調査)だいたい20~30%のまま留まっているのです。なぜ男女半々ぐらいになっていないのだろう…と思いました。

 

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ただ医学部の合格率も同様に調べると、男女にそこまで差がないのです。(表②)女子の成績が著しく悪いということではなく、そもそも「女子が医師を目指す数がずっと増えていない」ということのようです。

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そこにはやはり、「女性医師は働きにくい」という現実と、周囲からそれを理由に「やめておけ」と言われてしまい、理系の女子学生が意欲を冷却させられている可能性があるとのことでした。

特に「外科医」は女性が少なく、たとえば育児中だととても働きにくいようです。いつ仕事が終わるのかわからない、帰りにくい雰囲気、時短だと手術を執刀できない(してはいけないのではないかという配慮をしてしまう)緊急手術に対応できない、など。

吉野さん曰く、むかしは外科医に女性用の当直部屋もなく、「女はいらない」とハッキリ言われていたそうです。そういう中で、自分にもやらせてほしいと残った女性医師が、少しずつ道を切り開いてきてはいるのだが、未だ育児と仕事の両立がなかなか困難なのが現状です。

結局、この医大女子差別問題の根底にあるのは、「医師不足と医師の過重労働」であって、出産・育児で一時的に職場を退く(であろう)女性を減らし、付け焼刃的な対策をした、ということに過ぎません。

そもそも差別が「やってはいけないこと」なのは言うまでもありませんが、学生を差別したところで、多くの医師が過労死ラインを越えて働きすぎている現状の、本質的な解決にもなりません。抜本的な改革と改善が必要なのだと思います。

 

そのほか、女性医師の現状と、改善提言などは、吉野さんが理事をされているJAMP(日本女性医療者連合)のHPを見てみてください。

 

JAMP|日本女性医療者連合

 

 

「高度専門職」と「経営管理職」における、女性活躍の大きな後れについて

シカゴ大学の山口一男教授からのお話です。

(山口先生のプロフィール)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E4%B8%80%E7%94%B7

 

女性の活躍推進には「専門職に女性を増やす」ことが有効なのですが、日本ではそれが「一部の専門職」に限られており、うまく行っていない。家庭、学校、職場などに起因がある、というようなお話でした。

 

日本では「高度専門職」・「経営管理職」における女性割合がいちじるしく低い(③)。たとえば大学教員、国会議員、研究者、裁判官。OECD統計の表が配られましたが最下位レベルでした。そして経営者・管理職の女性割合も最下位レベルです。

 

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医師だけでなく、各種の専門職にも「ガラスの天井」がありますよ、というような話ですね。

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上記が山口先生のお話のまとめページです。わかりみが深すぎて悲しいですがご一読ください。

 

 

 

 医学部女性差別入試と憲法

 

明治大学法科大学院の辻村みよ子教授からのご報告です。

 

ちょっと難しいお話だったのですが、「そもそも、この入試差別って、憲法に違反するの?しないの?」ということが焦点かなと思いました。

報道には当時、「東京医大は私立なんだから、何を入試基準にしてもその学校の自由ではないか」というような論調もあったかと思います。

辻村先生は「背景に医師の働き方の問題があるとしても、入試の性差別を正当化することはできない」とおっしゃっていました。

大学入試=最も公正が求められる場であり、この医学部の試験は

「法の下の平等・差別の禁止(14条1項)」に反するのではないか。

「目的違憲」という言葉があって、そもそも「女性医師を減らす目的」が非合理的である。

(※このあたり私の知識が薄くて間違ったことを書いてしまうかもしれないので、このぐらいにとどめておきます…)

「私立だからいいんじゃないの」については、こちらも憲法で自治が認められているが、違憲や違法行為に関しては、文科省が介入することが可能、とのことです。

 

 

会場のみなさんから質問

最後に質疑応答があったのですが、印象に残る質問も多かったので書きますね。

 

Q:なぜ日本だけ、こんなに(女性の機会均等や男女平等が)遅れているのか?

A:高度成長時代に長時間労働+性別分業(ワークライフバランスが家族単位)が浸透したため、が大きいのではないか。 そこで雇用者を解雇しづらい仕組みにしてしまった。自民党の55年体制の保守政治では、政治的にもジェンダーを論点にしてこなかった。転勤の多い雇用環境、家制度の名残。

(いわゆる「日本型雇用制度」というやつの弊害ってことですね)

 

Q:アメリカでは女性管理職を増やすことができた理由は?

A:ファミリーフレンドリーな企業→個人に寄り添って(ダイバーシティ)、

機会やチャンスを平等に(フェア)与えたことで増えた。

(女性「だから」というよりは、すべての人を積極的に登用したり機会を与えて抜擢していくことを推進した結果、女性の管理職も増えた)

 

Q:「区別」と「差別」の違いとは?

差別=「社会的な機会を損失させられること」。たとえば就職、登用、居住…など。

(よく「区別は必要」とか言ってくる人いますが、そのケースでの機会損失に「妥当性とか合理性って本当にあるの?」というのは、よく考えてもらいたいと思いますね。ちなみにレディースランチとかは、「社会的な機会損失」とは言い難いので、特に差別じゃないんではと思いました)

 

Q:医師自身が「(現場での女性差別は)しょうがないと思う」という意見も聞くが…

A:前提として男女問わず、今回のことに怒っている医師は多い。

 

※今回のシンポジウムで、いちばん私が印象に残ったのは、この質問の時に出てきた下記の山口先生の回答です。

 

「医療現場の職場マネジメント」VS「男女平等」 というような、二つの問題が対立した時、どちらを優先すべきか?という議論が国民の間で熟していない。この場合、「男女平等」の方がまず守られるべきで、それのよりどころとして、憲法や法律がある。仮に女性を排除した結果が「職場マネジメントとして合理的な可能性がある」のだとしても、男女平等の方が、他の合理性より優先されるものなのだ、という社会的コンセンサスがない。

「言論の自由」VS「ヘイトスピーチ」なども同じ。

(経済合理性に任せると、憲法違反や法律違反をした方が「合理的(というか儲かる)」結果になりえることはたくさんあると思います。そうなると労働基準法などは何のためにあるんでしょうか?男女平等を守らない=スポーツに例えると、その大学や企業だけが、反則を犯しながらリーグを勝ち抜いている、みたいな状態にならないのでしょうか。というようなことを思いました)

 

 

私たちには「自分たちで社会を変えてきた」という成功体験がない

 

今回の医大差別も、海外から見ると「なぜもっと怒らないのか?暴動が起きてもいいレベルだよ」と言われる方もいるとか。けれどなぜ日本では大きなデモひとつ起きないのか?それは「自分たちがアクションすれば、世の中が変わる」という成功体験がないからでは?というお話がありました。

 

たとえばこのような、女性の入試差別を「許さない」という態度と、結果を残すことも、ひとつの成功体験になるのでは?という提言があった(下記、山口先生のまとめ)ので、この文章もその小さな一助になればなあと思いました。

ざっくりですが、レポートはこんな感じです。

 

 

 

 

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Etsyで世界を旅しよう vol.4 フランスに行った気になる・ファンタジックに浸る

Hello,Reiwa.年に1回ぐらい、ものすごくEtsy熱が高まることがあるのですが、最近またそんな感じだったので、見つけたモノなど書こうかなって思います。

過去の記事はこちら。

ETSY カテゴリーの記事一覧 - kobeniの日記

 

 

■ やっぱりフランスっていいわね…

Etsyの特徴として、ビンテージ(=アンティーク、古着も含む)のお店もたくさんあるということが挙げられるのですが、フランスのアンティークのお店を見ていると、フランスの名物でもある蚤の市に行ったような気になれるのが楽しいです。

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こういうのとかやっぱりフランスだから売ってるのかなァ~とか思っちゃったり…

French early 1950s blue denim pin up dress | Etsy

 

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ただの古いノートなのにすごいカワイイデザインだなと思っちゃったり…

French Vintage Graph Ruled Notebook 100 Page Geometry Cahier | Etsy

 

 

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日本だと中目黒で1万円くらいで売ってそうだなというデザイン…(※2600円です)

1970s vintage metal wire BASKETAPPLE shapedfruits basket | Etsy

 

それで私は何を買ったかといいますと、アンティークではないのですが、ここのヘアバンドを買いました。

www.etsy.com

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instaの投稿より。

ヘアバンドが大好きなのですが、日本で探すと、安くてよくある柄と素材か、オシャレだけどとても高いか、どっちかしかないので。真ん中あたりの価格で買えるのがとてもよく、おすすめです。ひとつ3000円くらいで、ふたつ買って送料は500円だった。

 

■ ファンタジックなものに惹かれる

Etsyのいいところは、良くも悪くもデザインにエッジが立っている&玉石混交すぎて、玉を見つけたときの喜びがハンパない というものです。膨大なお店の数、ありえない検索性の悪さ(※本当に悪い)、ワールドワイドなラインナップに、正直、いつまででも(それこそ一日中とか)見ていられる私です。そんな中から「これは!!」というものを見つけることがあります。そして「これは…??」というものも、たいてい同時に見つかります。

 

最近グッと来たのは、このロシアのお店の「本の形のクラッチバッグ」というやつ。

「秘密の花園」とか「白鯨」とか「グレート・ギャツビー」の本の形「のような」デザインのちいさな手作りバッグなのですが、この表紙は自作なのかパクリなのか、著作権的にどうなのか、というところが、どんなに説明を読んでもわかりませんでした。でもめちゃくちゃカワイイです。ほしいです。

 

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No books are harmed とだけ書いてあったが、ホントか?

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Etsy の Hand made book clutches by BAGatelleStudio

 

やっぱり若い頃オリーブ少女だったもので、乙女エッセンスのあるものやファンタジックなものがとても好きですね~。そんな中で見つけた「これは?!」というものが、

 

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アリスのティーパーティー的なものなのかな?

頭の上に鳥とかティーカップを載せるというヘアアクセサリー…。小さい女の子用みたいなのですが、なんかすごいですよね。このお店はfromロンドンでございます。

Etsy の Quirky Fascinators & Accessories for your Party by miwary

 

ファンタジックの最後に、見つけたとき「うおっ」てなったのはこちらです。

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他の商品バリエーション豊かなのでお店を見てみてください

陶器でできているっぽいんですが、なんだか見ているだけで幸せに…。このお店はアメリカから、みたいです。

www.etsy.com

■ 日本だと「Creema」なのですが

ETSYの日本版といえばCreemaだと思います。私も最近インストールして、検索性の良さに感動しました。ランキングで人気のお店が見られる、おすすめの作家さんや新人作家さんがレコメンドされている、紹介記事もある… あと、食べ物が売っているところや、やはり和風の商品に強いところはとてもいいですね。

しかしCreemaには良くも悪くもクセがあんまりないです。「なんぞこれ…」という出会いがあまりありません。あと、ビンテージ・アンティークには弱い気がします。

Etsyを私が見ているモチベーションに、「バイヤーが高値で売るようなものを底値で買ってやる」というような、底意地の悪い感情があります。日本のセレショだとこれ1万円以上で売ってない…?というキリムとかが、「私は交通事故で親を亡くし、町で小さなテーラーをはじめました」みたいな(嘘かホントかよくわからない)プロフィールとともに、原産地から売られているのがEtsyのいいところです。そういう、「現地の人があんまり規制なく売ってます」みたいなところに惹かれるので、Creemaは私にとってはちょっとクリーンで便利すぎるかな、という感じです。

 

それにしても、せめて人気ランキングとか、今日の編集者のおすすめ作家記事とか、そのくらい出してくれよEtsy… なんでいまだに地名検索がPCでしかできないんだ!!日本版つくっている方もっとがんばってくれ!!

 

 

……ということで4回目、いかがでしたでしょうか!Etsyで買ったものや見つけたものは、TwitterやInstaでもたまに流しているので、よかったらご覧ください^^ 

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これ、さいきん買ったやつ


Etsyはお気に入りのお店が見つかるかが命、みたいなところがあるのですが、一緒に楽しむ人が見つからず、ずっと孤独な思いをしています… もし私もEtsyやってます!という方いましたらフォローしてください。↓私のお気に入りのショップ一覧を見られるようにしています^^

https://www.etsy.com/jp/people/kobeni?tab=shops

 

「イーハトーボの劇列車」を観てきました

(以下、感想ブログです。多少のネタバレを含みます)

私、宮沢賢治が好きで、花巻にも何回か行っています。この舞台、松田龍平さんが宮沢賢治役…なんて俺得!よく舞台で拝見している役者の方も名を連ねている。演出は長塚圭史さん。脚本は井上ひさしさん!ということで、ちょっとチケット高かったのですが観てきました。ちょうどドラマ「けもなれ」が放映されている最中にチケットが発売されたので、割と衝動買いしてしまいました。

新宿紀伊國屋の上にホールがあるの、実は知りませんでした。観劇はじめたの最近なので…ここで三谷さんや鴻上さんの舞台もたくさん上演されたのだそうですね。「ホントにここ、紀伊國屋の上…?!」感がすごくてビックリしました。だって、かなり広いんですよ。屋根裏がめちゃくちゃ広い家みたいですね。

13時半から観始めて、休憩を挟み、終わったのが17時だったので、3時間15分?けっこう長かったですねえ。でも、飽きずに観られました。これは「評伝劇=評論を交えた伝記を、劇にしたもの」なので、宮沢賢治の一生を、脚本家の井上ひさしさんが解釈を加え、劇にしたもの。ということになります。

私は、賢治の一生については、割とざっくりではありますが前知識がありました。観ていて、既に知っていることも多かったですが、それでもすごく楽しんで、入り込んで観ることができました。(よく知らない人には当然、親切につくられた脚本です)それは井上さんの、賢治に対する解釈の特徴と、脚本の構成上の魅力に依るものかなと思います。もちろんそれに加え、演出や役者さんのお芝居の力も素晴らしかったです。

 

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宮沢賢治の衣装は、着物にマント、詰襟、山高帽にスーツ…。素敵ですよ!

 

◆「デクノボー」が強調された宮沢賢治像

宮沢賢治は、私にとって「文学と科学の両方に興味関心を寄せ、それらの知識と持ち前の感受性によって、美しい言葉を紡ぐ人。人類愛にあふれ、利他的にストイックに生きた人」みたいなイメージでした。質屋&古着屋の父親と確執があったことも知っていましたが、なんとなく「父親が俗物なのかな」ぐらいに思っていました。

ですが、このお芝居で賢治は「百姓になろうとしたが、そもそも体が弱くて米俵も運べない(なので仕方なく勉強している)」とか、「『これからの農民は芸術を嗜むべき』と理想に燃えているが、実際は西洋の絵やレコードも父親のお金で買っている」というような、ダメな部分もしっかり描かれます。松田龍平さんの、良くも悪くも棒読みっぽい返答が、いろいろ考えてはいるが周囲となかなか折り合わない賢治のフワフワ感をうまく表している気がします。賢治って実際は、(字ではなく)対人上の感情表現はどんな感じだったんでしょう。文章だけ見ると、「我を棄てるな我を棄てるな我を棄てるな」って友人宛の手紙に書いてたりするので、だいぶ熱苦しく主張が強いのかなと思いますがw  内に熱いものを秘めていても出力がロー、という人はいるので、もしそうなら松田龍平さん、ピッタリだったような気がします。他の役者さんより声もちょっと小さいしw 

賢治は、自分のその中途半端さ、ダメなところを分かっていたんですね。だから「みんなにデクノボーと呼ばれ」とかって書いていたんでしょう。「棒」ってところがすごくいいですね、棒って細いし一本調子だし。「アメニモマケズ」って、自分の誓いのためだけに手帖に書きつけられた文章なんだけど、そこに「デクノボーって呼ばれるような人でありたい」と書いている。あれだけの詩や文が書けるのに、ナルシストに全くならないところは凄いなと思います。「アメニモマケズ」って、作品として「雨に負けず丈夫に生きるための10の法則」みたいに発表されてたらだいぶ鬱陶しくないですか? 道で売ってても私なら買わないですね!自分へだけ向けた言葉だからカッコいいのです。

アニメ「風立ちぬ」の堀越二郎が、飢えた子どもに「そこの者、シベリアを食べなさい」って差し出すシーンがあるのですが、昔のインテリって、自分は市井の人のためになにか成し遂げたいと思っていても、あまりにも育ちや知能レベルが違いすぎて、結局は彼らに近づけない、気持ちを分かることができない。というところがあって、私はそういうインテリキャラ(の苦悩)にちょっと萌えますw  現代でも、「インテリコンプレックス」を持っている人、割といる気がするんですよね。

 

◆冥土へ向かう農民が、劇をするという劇中劇形式

宮沢賢治の一生を表現する劇であるわけですが、「それ自体が劇中劇」という構造になっています。「これは、賢治から芸術を習った私たち農民が、冥土へ行く前にやった劇です」という前置きから始まるのです。

宮沢賢治は生涯を農民(主に東北で、困窮した暮らしを送っていた百姓)のために捧げたいと思っていたのですが、その中で「農民は、農業以外に歌劇やエスペラント語などを学んで、自分の糧・武器にすべき」という理想を持っていました。すっごい雑に言うと、大学出て上京して、東京でライブとか演劇をいっぱい観て刺激を受け、地元にも「B&B」みたいなやつ開いた。的な感じかなと思っています。私はこの、賢治が地元でB&Bやる時の思想を書いた「農民芸術概論綱要(https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/2386_13825.html)」っていうやつがメチャ好きで。初めて読んだ時に「食べるものについては自分たちの住む場所で自給自足しながら、演劇や音楽を発展させようとか、近代都市でも理想なのでは…?」と思いました。演出の長塚圭史さんも「阿佐ヶ谷スパイダースを劇団化したのは、ふだん演劇に携わっていない人にも関われる広場のようにしたいからだった」とおっしゃっていて、その点で賢治の思想に共感するところがあるそうです(パンフレットthe座より)。このB&B的なやつ(=羅須地人会)で賢治から芸術を習った百姓が、自分たちの伝えたいことを「演劇」という形に結実させた、という形式になっているわけです。素敵。

劇中に「思い残し切符」というのが繰り返し出てくるのですが、これがまたとても印象的なモチーフで…。農民たちは賢治の「思い残し」を受け取って演劇をした。そしてまた自分たちの思い残したことも、天上へ行く前に、まだ生きている人たちに、劇として渡していく。ということですね。

銀河鉄道ってそういう人々を乗せたSLなのかなと思うと、なんだか胸がギュッとなりますね…。しかも、賢治の故郷は東北です。

「農民芸術概論綱要カッコイイ!」と私は思っていたのですが、この劇を観て、なるほどこれが、当時本当に地元の農民たちに受け入れられていたのかは怪しいな…。と思いました。賢治は当時、エスペラント語(母国語が異なる人たちが共通して話せるようにと作られた、たいへん夢のある言語)に熱中していて、「エスペラント語なら世界中の農民と話せる!!」とかって授業をしていたらしいのです。でもそれって、仕事がなくて、今日の食い扶持を考えるのにも精いっぱいな人たちに向かって、「みんなが同じ言葉を話せれば戦争はなくなるよ!」「きっとこの世界の共通言語は英語じゃなくてエスペラント(希望)語!!!」とか言っているような感じというか…。理想主義的すぎる賢治を批判する一説も何度か出てくるので、それもこの演劇の魅力だなと思いました。

 

◆演出カッコいい

長塚圭史さん演出の舞台を観るのは今回が初めてでした。私は堺雅人さんのファンなのですが、堺さんは早大の演劇研究会出身なのですね。同じ頃に早大に入学した長塚さんは、劇研の練習風景(大隈講堂の前でジャージ姿で発声練習とかする)を見て、「えっぼくこういうのはちょっと…」って思って、劇研に入らずに自分で劇団をつくった …らしいのですw そんな、私の推しをダサいと思った長塚さん(言い方…)の美意識ってどんな感じかなと思っていたのです。(そう考えると「Dr.倫太郎」の配役は絶妙ですばらしいですね!余談すぎるほどの余談)

演出はとても粋な感じでした。舞台のほとんどの音を、役者さんたちが口でやっていますし、舞台セットも、役者たちが自分で運んできます。音は賢治が残した擬音、「どっどど どどうど」みたいなやつを使っていたりします。あと、衣装も素敵でしたね〜。特に車掌さん。車掌さんが思い残し切符を渡して行くとき、チリーンって鈴がなるのも良かった。

 

お芝居でいうと、松田龍平さんのデクノボー感に加え、二役をこなされた役者さんが多いことから、本当に農民たちの手作り劇を観ているようでもあり、一方でやはり熟練の役者の舞台感もあり。山西惇さんの、お父さんと警官がとても良かったです。賢治の存在と、うまく対になっている感じがしました。

 

 

私たちは賢治から、先に逝った人たちからどんな「思い残し切符」を受け取っているのでしょう?この世で私は何を果たして天上へ行くのかな。

東京は24日まで、地方もこのあといろいろまわるみたいです。良かったら観てみてください。

…というかGoogle翻訳、すごくない?

 

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http://www.komatsuza.co.jp

 

 

「半分、青い。」のここが好きでした

 

 

半分、青い。」が終わった。久々に完走した朝ドラだった。もともと朝ドラの中でも現代劇が好きなので、今回も楽しみにしていたんだけど、想像以上に好きなところが多いドラマだった。

 

 

 詩的表現、少女漫画的エッセンス

 

観始めた頃、最初に気になっていたのは、会話あるいはモノローグに、詩のような表現が多く含まれているということだった。「モノローグに詩的表現が多く含まれる」は、少女マンガによくある手法だ。なのでかなり早い段階で、「このドラマは少女漫画だ」と思いながら視聴していた。

まず登場人物たちの名前が美しい。口に出した時の音がとてもキレイだ。楡野鈴愛、萩尾律。鈴愛の娘の名前は花野。この音と漢字のチョイス、子どもの名づけをしたことがある人なら「上手い…」と感じるんじゃないだろうか。母の名前は晴、父の名前は宇太郎。これはおそらく「どう呼び合うか」の音の方から決めたんじゃないだろうか。「ハルさん」「うーちゃん」と呼び合う夫婦は、岐阜の田舎に住んでいる割には現代的で自由な風が吹いており、地元出身じゃなく県外からやってきた人たちなのかなと感じさせられる。この二人ならあまり画数に拘ったりせず、「鈴愛」という名前を娘につけてもおかしくないだろう。

笛の音で恋人を呼ぶ。ゾートロープ。川を挟む糸電話。もはやモチーフそれ自体がとても少女趣味である。もちろん、いい意味で。

 

「律の心の真ん中は、遠いのかもしれない」

「(落ちてきたバドミントンの羽根に)手の中に雛鳥がいるかと思った」

高速バスで東京に向かう時、後ろの窓に息をハーッと吹きかけて「大好き」と書く。

 

毎日ひとつ、日常の中でなかなか聞けない小さな詩を受け取っているようで、それがとても新鮮だったし、楽しかった。

鈴愛は、くらもちふさこがモチーフになっている少女漫画家、秋風羽織に弟子入りをする。私は学生時代、お金がなく古本屋でくらもちふさこの漫画を探したくさん読んでいたので、これは嬉しい再会だった。

 

 

 主人公の出身地が岐阜

 

脚本家の北川さんの出身地が岐阜県ということで、幼少期の舞台は岐阜である。私は父の出身地が岐阜で自分は名古屋生まれ・名古屋育ち(その後、17歳で上京しました)なので、その点でも「懐かしい…!」と思うことがたくさんあった。五平餅は小さい頃によく食べたし、さるぼぼも家にあった(なんで顔がないんだろ…というのはずっと思っていた)。「やってまった(やってしまった)」も「まーかん(もうだめ)」も、「ありがと(が、にアクセント)」も、名古屋でも言うし、「(そうでしょ?の意味の)ほやらー?」に至っては、「うわっ!おばあちゃんが言ってた!!」と、本当に懐かしく感じた。

 

最後の方に出てきた台詞「岐阜県人は借金が苦手です」も、けっこう笑ってしまった。なんとなくわからなくないというか、岐阜は山に囲まれた場所で、おっとり質素に暮らしてる人が多いイメージがあり、北川さんの岐阜への愛を感じたりもした。大きな川や山々を見晴らす高台など、美しい自然がたびたび作中に登場したが、私も父と岐阜の川で、水面に小石を飛ばす「水切り」をやったことがあった。岐阜に、久しぶりに帰りたいなと思った。私も梟町に行ってみたい。以前、今も岐阜に住んでいる叔父さんに会った時、叔父さんが「蛍いっぱいおるよ。駐車場の電気のとこに」と言っていた。鈴愛と律はそんなところで、自然の風を毎日浴びながら育ったんだよな…と、しみじみ思う。

 

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チャーミングなキャラクターたち

 

「半分、青い」には、100%カンペキな人は出てこない。どの人もどこかに不完全さがある。鈴愛は主人公で、夢を見る力やそれに向かって進む強いエネルギーを持っているが、あまり空気が読めないし、時々人の気持ちにズケズケ入り込んでしまう。鈴愛の幼なじみの律は、めちゃくちゃイケメンなのだが、自分に自信がなくとても傷つきやすい。うーちゃんは明るくてムードメーカーだけど少年っぽすぎる時があるし、晴さんはいつも娘を第一に考えるけれどそれ故に心配性すぎるところがある。初登場の時、肩に仔猫を乗せて登場したまぁくんは、優しいけど女たらしだし、鈴愛の夫になった涼次は、感受性が鋭く気持ちをまっすぐ言葉で表せる男だが、「家族は邪魔になる」と、なんと鈴愛と娘を捨てて自分の夢の方をとってしまった。……ザワつく。ひたすら心がザワつく、でもその多面性のある描き方故に100%嫌いにはなれない。どの人も「本当にいるんじゃないか」と思えたし、欠点も次第に可愛げに見えてきて、愛おしく感じられた。

毎日ドラマを観ている者としては、そこに登場する台詞や行動で、その人がどんな人かを想像するのもひとつの楽しみなのだが、このドラマはそういった想像のしがいがあった。最初からぜんぶ分かるようには作られておらず、徐々にその人物の別の面が顔を出すので、「そんなこと考えてたの…?」「そういう人だったのか…」など、いちいち驚きながら、自分の中のその人像を上書きして観ていた。

 

特に律。大学時代は鈴愛が「律のことが好きなのかも」と言っても、「俺は青春を謳歌したい」とかいうふざけた理由で別の美人女子、清(さや。※弓道部。弓道部ですよ弓道部。ヒロイン感すごい)と付き合っていた。そこから長い時間が経って、鈴愛と律は社会人になり居住地すら東京と大阪に別れてしまう。そしてある日、地元の岐阜で会った時、律はとつぜん「鈴愛、結婚しないか」とプロポーズする。その日の私のツイートがこれである。

 

 

 

 

この日から私の中で律=秒速5センチメートル男、というラべリングがなされた。つまりどんなに他の女と出会っても実は心の中で鈴愛だけを想っている、そしてその感情をごまかしごまかし、生きている。出す宛のないメールを書いては消し書いては消し、「こんなとこにいるはずもないのに」とつぶやく。大変面倒くさい。正直、巻き込まれたくない。

だがそんな律が、ついに鈴愛にキスした後すら「鈴愛のテンションに任せるよ」とか寝言をほざく律が、最終回ではなんとか自分を奮い立たせ「鈴愛を幸せにできますように」と伝えることができた。唐突なプロポーズから最終回までの間に、律がどんな人間であるか分かるエピソードが、ちょいちょい挟みこまれた。そういう中で私たちは、このロンリー・センシティブ・内向的エンジニアボーイ萩尾律の成長を、ハラハラしながら見届けることができたのである。いや本当によかったな萩尾律。秒速5センチメートルじゃなくて「君の名は。」的なエンドルートで終わることができて。がんばったよお前。…あれ、なんの話してたんだっけ。

 

鈴愛から見た律は、右往左往しながらも、最終的には自分を選んでくれた最高の王子様であったが、その右往左往に付き合わされた脇役(元カノの清と、元妻のより子)が自分だったらと考えると、だいぶイヤだしサッサと新しい男を上書き保存で次行こ、と思ってしまう。ということで、この二人が律を過去の男としてやいやい言い、今はまったくご機嫌にやってるよ、というスピンオフが観たいと思っています。

より子「結婚式にさあ、花束贈られてきたんだよ」

清「えー?信じられない」

より子「しかもすごい立派で(笑 なんか、相変わらずだなと思ったわ」

とか言いつつ。

 

 

 

「ものづくり」に挑むこと、夢の追い方・諦め方

 

脚本家の北川さんは今回、かなり自分の身を削ってお話をつくられていると思うのだけど、中でも「漫画家」や「エンジニア」という、何かをつくる仕事の楽しさ・やりがいと、一方の厳しさ・残酷さみたいなものを、おそらくご自分の経験を基に、真っ向から描いてくれていた。ここがいちばん、私の心に響いた部分だった。

鈴愛は漫画家を「ぜったい天職だ」という気持ちで目指す。実際鈴愛は、シーンに関してはとても独創的に思い描くことができ、才能はあるはずだった。けれど、ネーム(物語)がどうしても思いつかず、漫画家を続けることが苦しくなり、その道を諦めてしまう。

鈴愛が漫画を描けなくなって、師匠の秋風先生に「どうして今までみたいに、私に描けと言ってくれないんだ」と言って感情を爆発させるシーンのことを、星野源が「いちばん好き」と言っていた。ゼロからイチにする作業というのは、どんな内容であれラクではない。産みの苦しみ、というようなものがある。私は、鈴愛ほど純度の高い創作をしてはいないので、「描けない!!!」と切羽詰まったことはない(なんとか形にしてしまって、世の中に出してしまったことが多かったと思う)が、仕事をしていて「これは、努力しても、これ以上良くはならないかもしれない…」「良くするためには、もっともっと時間が要るような気がする…もうダメだ」と思ったことがあり、その時の、自分に対する残念な気持ちはなんとなく忘れられないでいる。

 

鈴愛が漫画家を諦めるあたりでは、多くの現役漫画家さんが「あきらめる必要なんかない」「努力すれば物語だって描けるようになる」と言っていた。それは、私もそう思う。でも一方で私は、もしかしたら現実に、「神様にNOと言われる」という、そういった残酷なこともあるのかもしれないと思った。それは、この物語に初めて教わったことだった。

鈴愛が感情を爆発させるシーンも好きだが、ユーコが、「『お前じゃダメだ』と(神様に)言われるとしても、手を伸ばしてもがく、それが人生じゃん」と言った回は、観ていたら涙が出てしまい、とても驚いた。そして私が、「向いていないのでは…」と、何度も疑念を抱きながらも仕事を続ける中で、たくさんの同僚女子が辞めていったことを思い出した。彼女たちの中にも、本当に様々な葛藤や諦めがあって、そこに至ったのかもしれない。私は私自身のことを「何かになった者」だとも思うし、「なれなかった者」だとも思っている。そう考えると鈴愛の挫折は、クリエイターだけでなく多くの人に響いたのではないか、という気がした。星野源のようなトップクリエイターすら、あの挫折に共感しているのだ。

 

しかも、そこから、鈴愛はなお積極的に生きようとした。もしかしたらムリをすれば漫画家を続けられたかもしれないが、「私は、自分の人生に、晴れの日を増やしたい」と言って、非常に前向きに、諦めた。強がりだったとしてもその生命エネルギーには感嘆したし、その後、彼女が新しい夢に向かって挑戦していく姿も清々しかった。「あまちゃん」も、海女→アイドル、と、途中でなりたいものが変わった朝ドラだったが、鈴愛のように、「一度は何かになり、挫折して、さらに別の何かに挑戦する」というストーリーも、私にはとても新鮮だった。

 

 

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病気や死とどう付き合っていくか

 

北川さんが難病の重い症状を抱えて、それと共に生きつつ書いていたドラマだったせいなのか、このドラマでは容赦なく人が亡くなった。律の母親である和子さんや、鈴愛の祖父・祖母、そして鈴愛の親友であるユーコ。

私は5年前に母を亡くしてから、死生観がだいぶ変わった。母の死が最も「身近な死」ではあったのだが、このドラマの病気や死(母親の死も含まれる)の扱い方は、非常にリアルだと感じた。私と同世代の友人たちは、まだ両親が健在だったりする人も多く、私はどうやら「ちょっと早く」親の死を知ることとなったようだ。

そのように、「はからずも身近な人の死に早く直面せざるを得なかった」人は、実はたくさんいる。そして、その気持ちはなかなか他人と共有できない。家族とすら難しいのだ。「亡くなった人と自分」の関係性が一対一である以上、他の人に分かってほしいと思っても無理なのだ。だから人は、実はそういった死について、ひっそり心の奥の方に抱えて、生きている。

 

律が和子さんを送った描写については、ただひたすら本当にリアルだった。「何をどうしていいかわからんくて」と言った律の気持ちは痛いほどわかったし(「余命このくらいです」と宣告されてからの時間は、正直家族にとっては焦りと悲しみで息つまる日々である)、そんな律の気持ちを慮って「苺を買ってきて」とワガママを言ってあげる和子さんの優しさも、痛いほどわかった。ただ、律は、「僕はあなたの子で良かった」を、キチンと伝えることができて本当に幸せだったと思う。死なれてしまってからでは、何も伝えることができないからだ。

 

震災描写は賛否両論あったようだが、先に書いたように「はからずも身近な人を、早く亡くした」人は実は本当にたくさんいる。このドラマではそんな人たち、どこか心の奥底で「まだ悲しみ足りない」と思っている人たちに、(誰かの、あるいは自分にいずれやって来る)死との付き合い方について、メッセージしたかったのではないかと思った。

それを受け取るかどうかは、私たちの自由ではある。

 

 

 

 

よくもわるくもクセがたくさんあって、続きが気になるし時々泣かされるし、変てこりんでおもしろい半年間だった。一方で、脚本家への極度の誹謗中傷が流れたり、明らかに作品を貶めるタグが公式タグと混ざって使われたり、特に終盤の視聴体験は本当につらかった。ドラマ好きとしては、そういったことが今後ないようにと願う。

私は、たくさんのものを受け取りました。たのしい半年間を、ありがとうございました!

 

 

 

 

そういえばノベライズがすごく面白いです。TVではけっこうカットされてしまったシーンもあるし、心情描写がキャラクターたちの台詞の行間を埋めてくれます。

 

半分、青い。 上 (文春文庫)

半分、青い。 上 (文春文庫)

 

 

 

半分、青い。 下 (文春文庫)

半分、青い。 下 (文春文庫)

 

リツ〜!リツのフォトブック、欲しい。

 

 

 

 

 

東京医大のことなど 最近のワーキングマザー雑感

先日、会社の働き方セミナーみたいなものに、ママとして呼ばれて参加しました。その時に、久しぶりに後輩ママに会って、ゆっくりランチをしました。

 

私たちは今からちょうど10年前~7年前くらいの間に、第一子を出産し、復職した者同士だったのですが、その後輩の話を聞いて「えっそんなことがあったの」と驚いたことがいくつかありました。私と彼女はまったく違う部署、遠く離れた拠点にいたので、私に相談しようとは思えなかったのでしょうが、そんな風に辛かった時に、話を聞いてあげられなかったのは残念なことだったな…と思いました。

 

具体的には、当時の彼女のキャリアにあまり関係のない、まったく新しい仕事で配属になったということ(そんなこと私以外にも起きていたんか)、そのせいなのかどうなのか、彼女にあまり仕事がなかったこと(なにそれ)、そこにいる人たちの嫉妬らしき感情を受けてチームメンバーに無視されていたこと(あるある…)、上司から「時短だけど、あなた成長する気とかあるの?」といったニュアンスのことを言われた(大変失礼)…などです。

二人でいろいろ考えて、「とはいえ最近だとこういうことは少ないのではないか、当時は今よりもっと、復職する人の扱いが、会社全体として『雑』だったのではないか」という話になりました。

たとえば、正社員だった人が復職したらざっくりアシスタント扱いになるとか、そういうことも当時は普通だったと。

彼女は今、管理職になっていて、その当時の働くママに対する過度なマイナス評価で、今も慣習になっている部分を是正すべく、部下のワーキングマザーの地位向上に努めているそうです。

 

そういえば私も、それまでと全く無関係な職種に復帰したのですが、今考えれば、その部署・新しい仕事が割と「男性社会」だったことと、その結果・その後の帰結は無関係じゃなかったのではと思います。

(もしその部署に、今は管理職の彼女のような人がいたら、私の配属は「なんかおかしいのではないか」という話になった気もするんです。そんな配属、会社から見てもリソースの無駄としか思えないし。でも、特になかったんですよね。当時よく男性の同僚に、「お前にそんな(これまでやってないような)仕事できんの?w」と笑われたりはしましたが、一方で「まあ、子どもいるんだし仕方ないよね」という扱いも受けていたような気がします--私自身は『仕方ない』なんて全く思ってなかったのですが--。一緒に怒ってくれる男性の同僚は皆無でしたし、女性でも、同じ思いで「なんとかしな」と言ってくれた先輩はひとりでした)

 

フレックス勤務やリモート勤務もだいぶメジャーになってきた今では、お母さんになって復帰する人=場所や時間に制約がある人 ぐらいの扱いに変わってきた会社も多いのではと思います。でも、私の経験上、ほんの少し昔にさかのぼるだけで、「保育園にお迎えに行く必要がある」我々は二級・三級労働者扱いをされていたのです。

…ってことは、当然、今もまだそういうところがあるのだろうと思いました。

 

 

「夕方お迎えに行かなきゃいけない」「子どもが熱を出したら休まなきゃいけない」ということ以外は、職場での能力などに大きな変化はないのに、一気に「戦力外」のような扱いをされた時の、「仕事をやる気の人」の気持ちを想像してみてほしいなと思います。

時間が短くなっただけなんですよ。主に。

 

そういう当たり前のことを、いま一度見つめてもらえたら。同僚だけでなく、仕事相手・取引先や、クライアント、発注先にそういう人がいることもあると思うんですけどね。

 

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東京医大の件を、NHKの7時のニュースが取り上げていました。かつて「部下の男性医師に管理職のポジション譲れ」と言われて、本意ではなかったがその地位を譲った女性医師(3人の子持ち)が、少し涙しながらその経験を語っていました。

医大の不正入試の件は、もはや受験生にまったく関係がなく、この「働くママは二級・三級労働者なので要らない、扱いづらい」という考え方のみ完全に直結している話です。なのでこの医大の件は私に、ここまで書いてきたような「理不尽じゃないか」という気持ちを、フラッシュバックのように思い出させる機会となってしまいました。

 

同じ扱いを受けても、「仕事しながら子育てなんて大変だから、働きやすくしてくれたんだ、うれしい」と「配慮」にとらえるお母さんもいるかもしれませんが、そうやって「思い出すだけでちょっと涙が出てきてしまう」経験になっているお母さんもいるわけです。

 

10年前よりは、なぜ「涙が出てきてしまう」になるのか、かなり分かってもらえるようになってきたのが、今ではないか。「もっと働くママに寄り添ってほしい」と言っても、「うん、正論だね」のひとことで終わりにされるか、真摯に取り組むべき遺憾な事実ととらえてもらえるかは、実は時代によって大きく変わってしまうことを痛感しています。

たとえば原理原則が法律や会社の規則に書いてあっても、社員・風土・世論などそこにいる人の受け止め方が違えば、結果はまったく変わってしまう…ということです。

 

 

最近、「育休を取ろうとしたら、『復職した時に降格させる』と会社から通達され、

そのことをおかしいと訴えて、結果的に降格はなくなった」というツイートをしているパパを見ました(良かった)。

パパがSNSでこんな活動をしていて、しかも正当性が認められているなんて、もう本当にすごいと思う2018年。2009年頃からTwitterやってて今、そう思う。

 

 

新しい風や新しい世論をつくっていってくださった皆さんに感謝すると共に、もし周囲に理不尽に涙をしている(しかけている?)お父さんお母さんがいたら、一緒に戦ってあげてほしいと切に願っています。すぐそばにいる人が、いちばん力になれます。

 

 

その場その場に「仕方なかった」といった選択があったとしても、全員が泣き寝入りすると、最終的に東京医大の件みたいな、悲惨で、情けなくて、自分の子どもたちに全く説明できないような帰結になるんだと、しみじみ思っています。