kobeniの日記

仕事・育児・目に見えない大切なものなどについて考えています。

元スイーツ妊婦、「自然なお産」を考える。(その2 歴史や世代からの考察)

前回、「自然なお産」が昨今、どのようにメディア(主に女性誌)に登場しているかをまとめました。また、いわゆる「自然なお産」の定義(正式なもの等があるわけではないので、あくまで考え方の一例ですが)もまとめました。あれほどブックマークがあると思わなかったので、正直驚きましたが、内容うんぬんではなく、「出産」について公の場で何かが語られることが、「性」の問題同様にまだまだ少ないからなのかな。実は、男女問わず気になっている人は多いのかな。と感じました。


いまだ「自然なお産」について、何をどう結論付けようか迷っているところなのですが、色々調べている中で、ひとつ気がついたことがあります。それは、この「自然なお産」ブームの中で子供を産んでいる人というのは、ちょうどロストジェネレーション就職氷河期世代にあたるということです。(※ロスジェネ=だいたい今の25〜40歳)もちろん、私も含めてです。歴史や世代などのバックグラウンドは、ブームを理解する手がかりになるかもと思いました。なので今回は、「なぜロスジェネの女性は『自然なお産』に惹かれるのか」という観点から、考えてみたいと思います。
前回も書きましたが、私はただの元スイーツ妊婦なので、この記述がすべて正しいとは全くもって言えません。指摘やアドバイスを受けて、「生きた」エントリにしていきたいと思っていますので、よろしくお願いします。




■エコでロハスに癒されたい

・ 2003年「ストーリーのあるモノと暮らしを考える雑誌」、『クウネル』創刊。
・ 同年、「ココロとカラダにやさしいオーガニック・ライフと身近なエコロジー」をテーマとした雑誌『リンカラン』創刊。
・ 2001年、江原啓之『幸運を引き寄せるスピリチュアル・ブック』が70万部を超えるベストセラーに。


そもそも、私が「自然なお産」をブームとして捉えたのは、リンカラン等の雑誌が特集したことがきっかけでした。
エコ、ロハス、ヒーリング、スピリチュアルうんぬんがメジャーになってきたのが2000年〜。ちょうど、バブルがはじけて就職氷河期の始まりと重なる頃です。私が社会人になったのが2001年で、会社生活の過酷さに疲れてきた頃、この「癒し・健康・手に職」ブームが来たので、とても良く覚えています。社会人3〜5年目くらいで、夢に破れ現実の厳しさに鬱になったり、会社を辞めたりする友人・同期が出てきました。そういう同世代を見ると、その疲れた体験が「癒し」とか「ヒーリング」と呼ばれるものたちに回収されて、人を癒す仕事=整体師とかリフレクソロジストとか、が人気の職業になっていたような気がします。

私はクウネル(名誉のために言っておくと、クウネルがおそらくこのあたりのジャンルのパイオニアだが、ホメオパシーなどの疑似科学的記事は記憶にない。)を里山の温泉に行って読むのが週末の楽しみで、なぜかと問われれば都市での生活がストレスだったので、その逆の「自然」とか「スロウ」なものが癒しになっていた、ということでしょうか。
おそらく、これらエコやロハスやスローライフうんぬんを最も消費したのはロスジェネの女性たちであり、その原因は「消費社会に裏切られた」という気分とか、保証のない将来に対する漠然とした不安とか、精神的・肉体的(女性の場合、どちらかというと肉体的の方が深刻)な疲労感なのかな
と思います。
先日、私の大学時代の友人(30歳、総合職、未婚、都内一人暮らし)が、「宗教とかとは違うのでアヤしいと思わないでほしいんだけどさあ」とかなり長い前置きをして、「宅配はじめたら野菜が美味しくってさー☆」と言ってました。…ものすごい共感しますね。で、その世代がちょうど出産適齢期を迎えているので、「ちびクウネル」やら「ロハスキッズ」やら、「自然なお産特集」ということになるのかな、と。




■いかなる時も「ワタシらしく」


「世界にひとつだけの花」じゃないですが、私の世代は個性とか自分らしさ、という言葉にすごく弱くもあると思います。「自然なお産」派の人たちは、よく「私らしいお産」という言葉を使います。ただ病院で冷たい分娩台に上がるのではなく、畳の上がいいか水中か、会陰(って知ってますか?男性陣は各自ググってください)は切るか切らないか、母子同室かカンガルーケアできるか…。要するに「服だってレストランだって、結婚式だって家だって、たくさんの情報から自分にピッタリを探してきたんだから、お産だって私らしく!」といった感じでしょうか。とにかく、「一生に何度もあることではないんだから、あなたらしくね」とか言われると、すごく弱いわけです。ゼクシイのコピーみたいです。もちろん、選べるということは幸福なことでもありますけれど。




■ 親世代の医療不信


元々、日本ではお産は病院ではなく、産婆さんによって自宅で行われていました。しかし戦後、一部の階層の人間にしか許されていなかった病院出産が急速に普及したようです。id:letterdustさんが前回「『自然』の流行って、70年代までの公害やカミネ油・ヒ素ミルクのような食品事故の経験、あとバブルのあほらしさから生まれたから一概に痛いというのもなあと個人的に思う」と指摘してくださいましたが、病院でのお産がルーチン化していく一方で、いくつかの医療事故や、食品事故・事件がありました。例えば…


森永ヒ素ミルク事件(おそらく母乳信仰にはこの事件の影響が)
森永ヒ素ミルク中毒事件 - Wikipedia


サリドマイド事件(おそらく妊娠中に薬は禁忌という考え方にはこの事件の影響が)
サリドマイド - Wikipedia


陣痛促進剤による事故
陣痛促進剤による被害を考える会


富士見産婦人科乱診事件(1980)


お産=病院が常識になっていったことは、つまり、女性が「こういうお産がしたい」という思いを言いづらくなった(相手は医師であり、その行為は専門的で反論の余地がない。医療の現場においてルーチン化しやすい事が、お産に最も重要であり、多少の我慢は仕方がない)ことも意味します。こういった事故・事件をきっかけに、女性達が声を上げづらかった「病院という場所で産むことへの不満」と、「お産は(ほとんどの人にとって)病理ではないのだから、昔のように、もっとリラックスして医療介入を避けて産みたい」という考え方が少しずつ起こってきたようです。

おそらくこの流れを支えていたのが助産院の存在です。助産院は、産婆さんがルーツですから、産科医とは全く別の流れで存在しています。また医療行為を法律で禁じられていますから、いわゆる「入院」とか、「手術室のような分娩台」などを避けることができる(避けざるを得ない)わけです。母に言わせれば、当時(30年ほど前)助産院で産んだ人たちも多かったとか。サリドマイドの話はよく出てきましたし、母たちの世代は妊娠・出産期に限っては、薬や麻酔に多少の不信感があるようです。
つまり、初産の妊婦にとって、最も身近な経験者である母親が「自然に産むのが一番よ」と言っている可能性がある。ということです。




■ 日本人の国民性=痛いのが好き/自然への畏怖


世代とは関係ありませんが、忘れてはいけないことかなと思い書いておきます。「お腹を痛めてこそ我が子」という言葉、一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。日本人は我慢強いです。痛いのが好きです。妊娠中、産婦人科の先生に「どうしてでしょうか?」と聞いたら、「戦前の軍国教育や、武士道のせいではないか」とおっしゃってました。「痛み」に耐えることが美徳、という教育を、武士や兵士の妻たちが受けてきたのでは、と。こと「自然」の痛みである陣痛に関して、押さえることを拒否する理由は、このあたりにありそうです。
また「自然への畏怖」は、詳しくはよくわかりません。ただ、周囲を山に囲まれており、やおろずの神を信じている、そういう国ならではの考え方はあると思います。「満月にお産が増える」「赤ちゃんは出てきたい時に出てくる」というような、やたらと神秘的な物言いが、出産まわりには多く存在しているように思います。


この他に、少子化でまわりに妊婦がみあたらず、情報はマスコミから得るしかない、そこで多く出回っていたのが「自然なお産」関連である。という、かなり受け身的な環境要因もあると思います。




■ おまけ 無痛分娩はなぜ浸透しないのか?


前回、ブコメにそういった内容があったので、少し書いてみます。
アメリカやフランスでは、出産の多くが麻酔による無痛分娩だそうです。日本でこれが浸透しない理由は、上記に挙げてきた、かつての「産婆」による「医療介入のないお産」がこの国の産み方のルーツであり今も根付いていることや、「お腹を痛めてこそ我が子」という考え方、さらにその他に「麻酔医が少ない」ということが関係ありそうです。無痛分娩を行うには、産婦人科医だけでなく麻酔医が必要(もちろん、それを兼ねているお医者さんもいます)です。お産はいつ始まるかわからないので、基本的には麻酔医が常駐していないと難しい。それが可能な病院が、特に地方にはまだ少ないようですね。
助産院では無痛分娩はできないので、助産院を開業している人たちは反対するかもしれません。変な話、もし日本人もほとんどが無痛分娩をするようになったら、開業助産院はおまんま食い上げになる、ってことですよね?

物理的理由以前に、「無痛分娩にしたい」と言うと、周囲の反対にあうという人も多いです。経験者が少ないし、圧倒的に自然分娩が多いので、「ありえない!」といった反応をされ、初産だと痛みの度合いもイマイチよく分からないため、(まあ、一度は自然分娩にしとくか)と諦めてしまったり。


無痛分娩についてはこれまたメリット・デメリット、賛否両論ありそうですが、皆さんはどうお考えでしょうか。




■おわりに


「自然なお産」ブームへの違和感から始めた一連のエントリだったのですが、歴史など遡ると、必ずしも「自然なお産」運動が間違いばかりではないことに気づかされます。産まれて初めての様々な体の変化に驚き悩まされながら、「病気」ではないのに「病院」へ行く女性。しかし病院側にとっては、その他の疾患と同様の「患者」として扱う。その中で、女性はどんどん「産ませてもらう」スタンスになり、病院ではお産が日常化しすぎて、女性側の戸惑いに気づかない。双方の意識に大きなズレがありながら、人生においてはほんの数度しかない出来事であるため、そのズレや違和感が蓄積されていかない…。何十組ものカップルが、時に会場内ですれ違いながら式を挙げるホテルウェディングが廃れ、プランナーに相談しながら行うレストランウェディングや地味婚が人気になったのと似ているかも(似てないか)。



しかし、とはいえ、このブームにはいくらかの問題があるはず。
次回は、自分のお産体験も絡めつつ、まとめのエントリにしたいなと思っています。
あー、テレビ東京見ていたら、信州の温泉行きたくなりました。ほっこり。






追記(11日16時):
ブックマークは前回より少ないのに、ブコメがめちゃくちゃ面白い!!皆さん、ありがとうございます。id:mrcmsさんの「潜在能力」というタグがものすご気になった。どういうイミだろう…あと、id:nyomonyomoさん。「満月の日にお産が増える」は、病院でもフツウに言われてました。私の出産の翌日が満月だったんですが、確かに、赤ちゃんの数が倍以上に増えてて、「自然怖えぇ!!」と思いましたよ…。