kobeniの日記

仕事・育児・目に見えない大切なものなどについて考えています。

「働く母親の自己実現」問題(そんな問題あったのか)

こんばんは、kobeniです。


今週は、
どんどん不幸になっていく米国の女性たち
「母親の自己実現のために」育てられた子どもが背負う呪縛 - シロクマの屑籠
という二つの記事が注目されました。
同じ日に、こういうのもありました。
「ボクの大好きなお母さんは、ボクを預ける託児所を必死に探しています…ボクのことキライなのかな?」ってならないか心配です…。(修正しました。) | wagonR35〜R35デザイナーに見えるもの

平日にブログの記事を書くのは、わたくし、ちょっと大変なので、大した内容にはならないと思いますが、話題が移り変わって忘れられる前に、私も感想を書いておこうと思います。




■幸せはカンタンに手に入るべきではない、という空気


前提として今の世の中では、「自己実現」という言葉自体が、「自己実現乙」みたいな、嘲笑の対象になってしまっている気がします。(もちろん、「自分探し」の危うさというものは、様々なところで指摘されているし、私もある程度は理解できているつもりですが)

それは、pollyannaさんのおっしゃるような、
女性の自己実現と、不幸の取り引き » 科学と生活のイーハトーヴ
>ちょっとでもニコニコしていたらその人の「大変さ」は無視されてしまうとか、必要以上に不幸アピールをしなくちゃ助けを求められない、というような雰囲気


という形で、世の中の空気になっているように思います。
要するに、仕事や子育て、その他の人生の楽しみや豊かさは、「カンタンに手に入らない(入らなくなってしまった)し、カンタンに手に入れるべきではない」、どれか取るためにはどれか諦めるのは当然、高次の欲求はガマンして当然、という空気があるように思います。



■女性が「仕事と子育てを両方手に入れる」=「神業で欲張り」なのか


そういう空気を前提として、こと「働く母親」に関してですが、
AERAの過去記事もそうだったし
AERAさん、働くママをいじめないでください - kobeniの日記

定期的に「女性が自己実現のために母親になることの危険性」という記事が出回るのだな、と思います。未だ「働く母親」が市民権を得ているとは、到底思えない世の中なのに、です。

上記のふたつの記事内で想定される女性は、「こうあるべき」という理想が恐ろしく高く、その理想が「高学歴」「オシャレ」「スポーツ万能」など、「いわゆる世間の評価」に軸足を置いているようです。
私から見ると、いわゆる「働く母親」の実像とは、かなりかけ離れた、特異な例です。


『女性が自己実現したがる=スーパーウーマンを目指す=いわゆる世間で評価される軸のすべてを高いレベルで目指す(前提として仕事と育児の両立、それ以外にも色々)』


という「型」に当てはめようと、言い方は悪いのですが、「煽り立てている」という感じに見えなくもありません。



「自己実現」の意味は、


『自分の持つ能力や可能性を最大限発揮し、具現化したいと思う欲求。』


です(wikipedia)。


これ自体が「悪」の行為とは、到底思えない定義です。ふたつの記事における「女性の自己実現」の何が問題かというと、「あまりに高い理想を追い求めている」「その理想が、自分ではなく、世間の漠然とした物差しに基づいている」という危うさではないか、と思います。

まあ、そういう人が「女性にいない」とは言い切れない。しかし、「仕事も子育てもしている」女性に限った話ではないと思います。どちらかというと、「ごく一握りの、非常に危うい価値観の人の中に、仕事と子育てをしている人もいる」という感じかと思います。(アメリカの方の記事は、それを「どんどん不幸になっていく女性たち」というタイトルにするんだから、困ったもんです)もちろん、男性にも上記のような人はいると思います。



そもそも、こういった記事が注目を集めるたびに、私が違和感を感じるのは、「女性が、仕事も子育てもしたいと願うことは、そんなにエキセントリックで、神業な行為なのか?」ということです。


「今の若い女性は、結婚も出産も仕事も、すべてを手に入れないと気がすまないようですね」


というような発言を見かける度に、「それって、ごくささやかな、平凡な願いじゃないの?」と思ってしまいます。ひっくり返してみたらわかるでしょう、「男性は、仕事して結婚して子供を持って、すべてを手にいれないと気が済まないようですね」とは言われないですよね?


私はこれまでずっと、割と仕事ばっかりな毎日を送って来ましたが、一日の中で、「仕事もし、子育てもする」という生活も、なかなかいいものです。そんな高尚なことをしているとは思いません。もちろんスーパーウーマンなんか目指してません。単純に「自分を育てるよろこび」と、「子供を育てるよろこび」、「二種類の楽しみがある」という感じです。きっと男性の中にも、長時間労働をするのが口惜しいくらい、「早く子供に会いたいなー」と思っている方もいるのではないか、と想像しています。この楽しみが「自己実現」と言われるなら、たぶん私は「自己実現」をしている。しいて言えば、「母親という能力と、会社員という能力を発揮している」…まあ、そんなにスゴくもないですよね。仕事をかなりセーブしていますし、子育ても適当に手を抜いてます。


そういう人が増えることが、どのように支障を生むのかわかりませんが、どうも「自己実現」の記事然り、これらの権利が当たり前になる前に、セーブをかける意見なり考え方が出てくるのは、どうしてなんだろう。育休切りで不本意に仕事を辞める人がいる、出産後復帰したくても契約上できない、待機児童がメチャクチャ多い…解決を望まれているそれらが、まだ片付いてもいない状況なのに、です。

働く母親なんか目指すと、スーパーウーマン思考になって、不幸になるから止めておけ、と言われて、子育てに前向きな気持ちになれる女性はいないと思います。この国は、そんな議論をできる前提がそろってないのではないか。



私は個人的には「自己実現乙」とは思いません。
したい人はすればいいし、したくない人はしなければいいんだけど、
自らの様々な可能性を追求「しにくい」世の中なのはどうしてだろう、ということは、考えていかなくてはならないのかなあ、と思います。






(あ、ところで、ブログのデザインを変えました。

Bandicootさんは、デザイナー&イラストレーターの、働くパパ&ママユニットです(笑)
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