kobeniの日記

仕事・育児・目に見えない大切なものなどについて考えています。

ある日、あなたが、長時間労働できなくなったら。〜「迷走する両立支援」を読みました〜

こんにちは、kobeniです。きょうは長めなので前置きなしです。この本↓を読んだ感想を書きます。お忙しい方は見出しだけ読んでみてくださいね。

迷走する両立支援―いま、子どもをもって働くということ

迷走する両立支援―いま、子どもをもって働くということ


少子化対策」機運の高まりにより、2000年以降の「家庭と仕事の両立支援策」は、かつてないほど進んだと言われます。2003年に次世代育成支援対策推進法が成立し、「ファミリーフレンドリー企業」等の言葉も聞かれるようになりました。この本は、両立支援の追い風の中で、出産や育児を迎えた母親達に100人近く取材を重ねることで見えてきた、両立支援にかかわる幅広く複雑な問題を、丁寧に書いています。


最初にことわっておくと、この本では、いわゆる仕事と育児の両立(ワークライフバランスや、多様な人材の活用など)を支援している企業の総合職−つまり割と恵まれた人たちを取り巻く状況が書かれています。「子育て中なのに、企業で働かせてもらっているだけマシでしょう」という感想を持つ方がいるのは、当然のことだと思います。ただし、そのようにある種「進んでいる場所での現実」は、いずれ他の企業にも参考になるのではないでしょうか。
育休切りのような、「仕事と育児の両立」以前の理不尽がまかり通っている2010年現在。ややもすると、せっかく追い風に乗ってきた両立支援も後退しかねません。だからこそ、2006年に書かれたこの本の問題提起について、いま考えてみたいと思っています。




■ 「両立」はできるが「均等」ではない


この本の問題提起の中で、最も印象に残ったのは、多くの企業の両立支援はいま、「辞めずに済むけれども、キャリア継続は難しい」という段階で行き詰まっている、ということでした。
出産を機に、企業における大多数(家庭的な責任を持たない人)が正規のキャリアコースから外れて、「特別な人扱い」となってしまい、飛び抜けて優秀な人を除いては、ずっと低空飛行・あるいは、いわゆる「女性社員」としての企業人人生となってしまう。(そうして出来る別コースを、アメリカでは「マミートラック」と言うらしいですが)


その原因は、端的に言えば「時間的制約がある人を、評価できない、昇進・昇格させられない企業の仕組み」にあります。

…この職場の問題は、両立支援と(男女雇用機会)均等推進にどんな影響を与えるかを検討しないまま、長時間労働を常態化し、成果主義が導入されることにある。さらには、それに基づいて査定のありよう、仕事のわりふり方があたりまえのこととして積み重なるうちに、職場の男女、また、家族的責任をもつ人ともたない人になにをもたらすのか、それを問う視点が職場に弱い。

■ 長時間労働と成果主義が、働き方の変化を許さない


最近、保育園で、夫婦共に外資系保険会社にお勤めのママさんと知り合いました。彼女の会社は、数年前に会社がワークライフバランス推進に力を入れ始めたこともあり、産休・育休は取りやすく、残業のない働き方にも理解があるそうです。彼女いわく「でも、やっぱりキャリアアップは難しいですね」。彼女は一般の契約者の方からの問い合わせを受ける部署で働いていて、問い合わせが夜にあることもある。年次の浅い後輩が対応して、トラブルになりそうな時、残業できないのでそばにいてあげられない。そうすると、そういうチームのリーダーになれない。リーダーになれないと、管理職への道が厳しくなる。出産や育児で休んでいる間に、時間的制約のない人達に抜かれてしまう。ちなみにダンナさんは同じ会社の営業職で、夜は遅いとのことでした。


私のすぐそばにいるママさんの一例からも、「夜間に及ぶ顧客からの問い合わせ」「年次の浅い後輩との職場での関係」「リーダー経験と管理職」「帰れない同じ職場や業界の夫」と、複数の因子が複雑に絡み合っている現実があるんだなと感じました。(この本では、こういった個別事例をかなり丁寧に拾っています)
成果主義を導入しながらも、結局は「残業の量」が査定の決め手になる。あるいは、高い成果を遂げるためには、長時間労働せざるをえない業務・職場の組み立て方になっている。社会全体が「残業体質」「24時間営業」であることも、原因と言えるかもしれません。


仮に、一時期は自分の時間のほぼ全てを仕事に注げたとしても、ライフステージが変われば、それが不可能になることはあります。その時に、そういう人のリソースはどのように活用するのか?会社としてどういうキャリアを歩ませていくのか?先のママさんはリーダーや管理職になることができない、どうしよう、困ったな。でも彼女のような人は「例外的」だし。そこで停止してしまっているのが、両立支援をしている企業の現実である。ということが、この本には書かれています。



■諸外国で「あるべき論」をリードするのは、国


「それって、結果的には男女平等じゃないよね」という見方はできるでしょう。一方で、経営者からしてみれば「人生のすべてに渡り、そのほとんどを業務に費やすことが『できない』例外的な人間に対して配慮するのは、倫理的には正しくても、企業間競争の中では難しいし、面倒だ」という見方もまた、できるでしょう。


では、なぜアメリカやイギリス、北欧諸国は、ワークライフバランスを実現できているのか?それは「欧米は、ワークライフバランスという言葉の前提に、雇用上の男女差別へのきびしい規制が存在するから」なのだそうです。アメリカでは公民権法、イギリスでは男女同一賃金法など。また、ノルウェーに関してはこの記事女性役員 国力の柱 ノルウェー上場企業に「4割ルール」 | ブログ | 育休後コンサルタント.comが参考になります。
日本では男女雇用機会均等法がこれにあたるけれど、その規制が弱いとのことです。
(※もちろん、アメリカでは「単に長時間働く人材より生産性が高い人材の方がメリットがある」という、企業の合理的な判断も強く働いています)


「子供を産んだら、私はずっと低空飛行でいいです」という方もまた、いらっしゃると思います。それが間違いというわけではありません。けれど、全ての人がそうではない。育児と仕事の両立、キャリアに対する想いは、一人ひとり違うものです。「自分ひとりを養っていくだけの稼ぎを得られなくなる、あるいはこれまで着実に積み上げてきた仕事の実績が、なかったことになる、それならば子供を産みたくない」という女性の声もまた、ほおっては置けないのではないでしょうか。女性が出産適齢期を迎える30前後は、ちょうど働き盛りの頃と重なります。そこから先の10年、20年、給料はガクンと下がり、会社におけるキャリアという考え方を一切、奪われてしまうとしたら?少しでも自分の仕事に、真摯に向き合った経験のある方なら、想像できる痛みではないか、と思います。


また、少し話が逸れますが、私は子供を産むまで「女性が働きやすい企業」というような特集で指標になっている「女性管理職比率」を、企業を知る上で参考にしていました。けれど、「子供を産んでもなお仕事を続けたい」と願う学生さんが、その際のキャリア継続を考えるならば、参考にすべきは「『子持ち』女性管理職比率」なのだなと、この本を読んで気がつきました。



■ 育児だけでなく治療や介護でも、簡単にレールから外れてしまう


ここまで読んできて、やっぱり「働く女性・ママという立場は想像できない」という男性もいるかもしれないですね。けれど私は、この本の示唆している問題は、もっと広く・多くの人を巻き込んでいるのではないかと思うんです。
つまり、「ある日突然、あなたが当事者になってもおかしくはない」ということです。


企業が、年功序列で給料が上がることを保証して、その高い給与や各種の手当によって、「主人」以外の人の人生も守っていた時代はもう終わっているのに、私たちは未だに当時のような、滅私奉公的な働き方を要求されている。また、自分たちも進んで、そうしてしまっている。それが永遠にできる人は良いんです。けれど、多数がそうすることによって、少数の「できない」「できなくなった」人はカンタンにレールから外されてしまいます。
例えば、国は一年の育児休暇を法律で定めていますが、小学校入学時というような非常にナイーブな時期に、あらためて育児休暇を取りたいというニーズが本当は、あります。介護や看病は、基本的には、育児のように終わりが見えないので、たった数十日の介護・看護休暇では不十分です。思春期の大切な時に、夫に子供のためにもっと、時間を割いてほしいと願う専業主婦の方もいるでしょう。若くしてガンなどの病気(最近は、抗ガン剤をうちながら出社している若い方もいるそうです)にかかった方は、治療のために時短や休暇を活用したいかもしれません。そういう人たちの人生を、この社会は許容できているか?
育休切りを許す社会というのは、どんな人でも家族的責任や、時間の制約が発生した瞬間に「使えない」と言われて、それまでのキャリアを失い、給料が下がり、時には解雇されてもおかしくない社会だよ。ということなのです。


そもそも、こういう変化には大抵、お金が必要ですから、仕事は続けたいと願うのは当然でしょう。
それに、自分の人生に変化があっても、企業で職業人としての人生をキチンと続けていくことができる、それは素敵なことではないかなあと思うのです。
介護だけ、育児だけ、治療だけ、趣味だけ、地域活動だけ…「だけ」じゃないからこそ、ひとりで行き詰まることのない、風通しのよい人生になる。とも、考えられると思うんですよね。



■もう少し、一人ひとりの人生に寄り添うことはできないか


例えば「働くママ」というような存在を通して、時間的な制約がある人を、いきいき働かせていけるような仕組みを考えておく。それは、もっとたくさんの人を生きやすくする、ヒントにはならないでしょうか。
国は、企業は、もう少し一人ひとりの人生を見つめて、あと一歩、寄り添う必要があるのではないか。各種休暇の日数や時間はちゃんと「人生」を反映しているか。会社と個人の人生のほどよい距離は。うまく行っていないなら、できるような仕組みを考えていくべきではないか。そして「変えるべきだ」と意志を持ち、国や企業を動かすのは、実は、私たち一人ひとりの意識ではないのか…。
そんな風に思うのです。





やっぱり、長くなってしまいました。ともかくこの「迷走する両立支援」、ワーキングマザーだけでなく、なるべくたくさんの方に読んでみて頂きたいです。企業のダイバーシティ担当の方が読むと、非常に良いのではと思います。ただし、この本は、本質的な問題には迫っていますが、明確に処方箋が書かれているわけではありません。それだけ、一筋縄ではいかない問題なのだと思います。けれど、みんなで読んで感想を言い合ったりするような、それを通して、一人ひとりの人生についてもう少しリアルに理解するような、そういうことも、小さな一歩になるのではと思います。ここ「迷走する両立支援」萩原久美子著-働く母が抱えるもやもやの核心に迫る問題作を読んでみた - Togetterに、この本を紹介してくださった山口理栄(twitterアカウント1995consultant)さんが
本を読んだ方々の感想をまとめてくださっています。もし、このブログを読んで、本を読まれた方がいたら、ぜひ感想を書いてみてください。





内容がけっこう重いので、できるだけお天気とか体調が良い日を選んで読むことをオススメします!(私は真剣に読みすぎて、本格的に風邪をひきました)





迷走する両立支援―いま、子どもをもって働くということ

迷走する両立支援―いま、子どもをもって働くということ