以前、「シンプルノットローファー」というマンガについて書いたことがある。
衿沢世衣子「シンプルノットローファー」。モンナンカール女子高等学校(中高一貫)に通う女の子たちの日常が12話、描かれたマンガである。大和田舞可(マイカ)始め、26名のクラスメイト一人ひとりが、主役になったり脇役になったりしつつ物語が進む。内容はというと、生物室で飼われていたヘビが逃げ出して大騒ぎしたり、ハンダゴテを使いこなす機械通のりょうちゃんが「今できることを、今やってみたかった」と家電修理の仕事体験をしたり、ケータイを手放せないエマが、登校中に『嗚呼、いっそこのまま、どこか知らない町まで行ってしまおうか…』とブログを更新したり…。どこにでもありそうな、しかし人生でたった一度きりの思春期の日々が、チャーミングに描かれている。
懐かしい気持でいっぱいになりながら読み終えて、しばらく経ってふと気がついた。ないじゃないか、あれが。決定的なものが。つまり、色恋が。
あの時。もしかして高校時代を「女子校で過ごすか共学で過ごすか」って、ずいぶん違うのかな?と思った。そして今回、冬川さんのマンガを読んで、「やっぱり私の高校時代って『共学(のある種の女子)』ならではのものだったんだ…」と感じた。簡単に言うと「すごく共感するところが多かった」ので、つらつら感じたことを書いてみます。
ちなみに私は、作者の冬川さんと同世代です。なので下記はいま20代後半〜30代後半くらい、つまり90年代に10代を過ごした人特有の感覚かもしれず、そこから少し世代がズレると共感の度合いが薄くなる…かもしれませんし、そうでもなくて意外と普遍的なのかもしれません。
本文で引用するマンガはこちら。これから読む方のために、ネタバレは少なめで書きたいと思います。
「水曜日」

- 作者: 冬川智子
- 出版社/メーカー: 小学館
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「あんずのど飴」

- 作者: 冬川智子
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2013/01/30
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「マスタード・チョコレート」

- 作者: 冬川智子
- 出版社/メーカー: イースト・プレス
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■ 女同士の友情<恋愛?
「水曜日」の主人公・鳩は、中学から高校に進学する時「男子と話す」を目標にしている。たしか当時、私もまったく同じことを思っていた。そして高校に入ると、女子同士ではいつも「好きな人」の話をしていた。誰か好きな人がいる、ということがポイントであって、片想いでも両想いでもいいんだけど、やっぱり「告白する⇒付き合う」という風に成功した女子は、他を出し抜きステージを上がるというか、面クリ(一面をクリア)といった趣があった。
そうしてなんとなく「彼氏いないorDIE」みたいな空気がつくられていく。だから頑張って、どっかに男子を呼び出して告白する計画を立ててみたりする。そういうのが女子の友達グループ内で一大イベントになる。それでフラれてしまった場合(私はフラれました)、またグループでフラれた子の家に集まって、お泊まり会などして励ましあったりするんだけど、それも一大イベントになる。こんなことを繰り返すうちに女友達同士の結束はどんどん固くなっていく。
けれど、あくまで「彼氏いないorDIE」という空気の中での結束だから、彼氏ができたらその子は、放課後だって休日だって彼氏を優先するようになる。そして、女友達にはそれを止められない。大人の今なら、「彼氏・夫は別腹」といった対応ができるのかもしれないけど、10代という、恋愛に免疫が低い女子にそれは無理だ。とにかく「男子」が最優先。私はその感じがいつも寂しかったんだけど、冬川さんのマンガにはその「共学女子間によくある寂しさ」みたいなものが、様々な形でうまいこと描かれていると思った。「水曜日」も「あんずのど飴」も「マスタード・チョコレート」も、恋したい!と願うものの、いざとなるとどうしても「他の子たちのように、友情よりも上に恋愛を置き切れない、不器用な気持ち」が露呈する様が描かれている気がした。
私は、もはや自分にそんな葛藤があったことすら忘れていて、でも確実にあったことを思い出したから、なんだかとても切ない気持ちになりました。
■ 恋に恋する三年間(KK3)
「水曜日」に、鳩が高校の屋上で「架空の彼氏とデートする」みたいなコマがある。男子と話したい!けど話せない!という気持ちは繰り返し何度も出てくるのだけど、そこまで執着がある割に、鳩がどんな男の子を好きなのかは、サッパリわからない。共学だから周囲にたくさん男の子がいる環境なのに、具体的に誰のどこにときめいたか、というような描写がない。いや、別に鳩ちゃんを責めてるわけじゃないんです。要するに、恋に恋しているだけなんだよね。「両想い」になってみたいだけで、その具体的な相手像については、漠然としている感じ。
今になって思い返せば、クラスにも魅力的な男子ってたくさん居たよな、と思う。ただしその当時、彼らの魅力に気づけたかというと、全く別の話。鳩も結局、高校三年間を通して、「本当に好きな人」はできなかったんじゃないかなと思う(しいていえば、彼女が一番好きな男子はタモさんだろう)。
仮に三年目を「受験だから」という理由で除くとすると、高校ってたった二年しかないしね。
まあ、こんな風に無理して恋に恋するよりも、部活とか生徒会とか、やりたいことに没頭する方が健全なんじゃないかと思うんですが、どうでしょう。それが、私が女子校出身者に憧れる所以です。
そして当時、私の「両思い」への焦燥感を無駄にかき立てたのは、間違いなく当時流行っていた小沢健二の「LIFE」だった。だからあのアルバムちょっとだけ恨んでいる。
■ 「オシャレ組」の存在
「水曜日」には「オシャレ組」という人たちが出てくる。見た目が華やかで、男女の仲がいい。既に中学の時点で彼氏彼女がいたりする。鳩はそういう人たちに憧れて、羨ましく思っている。
「オシャレ組」。確かにいた気がする!もとから持ってる容姿がかわいい、カッコいい男女。なぜかお互いを下の名前で呼び合っている男女。鳩はその子たちと仲良くなろうとして、手段のひとつとして「おしゃれする」を選んでるフシがあるのだが、その戦略が正しいのか?は置いといて、気持ちはすごくわかる気がする。容姿は変えられないけど、おしゃれはまだ、努力すれば磨けるもんね。
けれど実際は、おしゃれすることにより、なぜか見た目がエキセントリックな方向に行ってしまい、むしろ「オシャレ組」(特に男子)から距離を置かれてしまったりするのだ。ちょっと種類の違う人だと思われて、敬語で話しかけられてしまったり。制服着用がデフォである高校時代の「モテ」において、服装のセンスなんか二の次であって、磨いてもそう簡単にカーストの上には上がれないんだよね。遠足や修学旅行での私服をめちゃくちゃ気合い入れて選んで、わざわざ原宿ラフォーレまで行って買ったTシャツとか着てみても、あまり意味はない。「見た目とスタイルが良くて新体操部に所属する女子」とか、「地毛が茶色くてメイクしなくても十分かわいい性格もいい女子」とかにあっさり負けるから。地毛が茶色いのズルい!!
まあでも、今で言えば「リア充め……」となるのかな、そんな風に影で呪詛を垂れたりせず、このヒスのかばん持って行ったら…オシャレ組に気づいてもらえるかな☆といった感じで、おだんごヘアーやでっかい消しゴム(?)などでちっちゃく努力する鳩はかわいい。たとえオシャレ組に「○○さん(苗字で呼ばれている)、Tシャツ、裏表逆だよ?」と言われようと。そういうデザインなんです!!
■ 「サブカル好き」で自分を守る
冬川さんのマンガには、「冬野さほ」や「魚喃キリコ」のマンガとか、ネオアコやインディーズのCDかな?と思われるモチーフがよく登場する。90年代にいわゆるサブカルと言われていたジャンルの。けっこう懐かしいです。
冬川さんもきっとサブカル好きなんだろうけど、これはマンガの主人公が、「オシャレ組じゃない自分」の自我を守るための必須アイテムなんじゃないだろうか。
「水曜日」は、天の声として冬川さんが鳩に突っ込む形で描かれている。「誰も見てない」とか「自分次第だ」とか。けれどこういう風に、本人の行動をギャグに昇華できるような客観性は、年を取った今だからこそ得られるものだ。冬川さん自身も、高校時代はプライドが高くて、しかし理想と現実のギャップに悶え苦しみ、そこから自意識を守るのに必死なために、人とは違う趣味=サブカルの世界(音楽、マンガ、小説、深夜ラジオ、雑誌、etc…)に没頭する女子(こじらせ女子?)だったんじゃないかと思うのですが、違うでしょうか。鳩はズッコケた感じの女子として描かれてるけど、当時の鳩は超真剣・超本気なのではと。少なくとも私はそうだった。そして調子に乗る度に、周囲の友人に容赦なくボコボコに言われてた気がします。嗚呼10代……
ちなみに「サブカル好き」も、カーストを上がる要素には一切ならず、男子から見たら色物まっしぐらだからね。最近は「ちょっと亜流の趣味を男子にアピール」みたいなモテ手法もあると聞きますが、私がいわゆるサブカルを好んでいたのは、間違ってもモテるためじゃなくて「自分らしさ」?って言うの??を守るためだったと思う。
けど、いわゆるサブカル好きが「自分らしさ」になり得るのは、このあと書きますが鳩の住まいが「田舎」だからですよね。
私も、共学にいるのにモテない=辛い楽しくない自分を支えていたのは、好きな音楽とか深夜ラジオだった気がするよ。その後「いいや、東京行くし、恋愛は」みたいな形で、自我を支えるものが「上京」にすり代わりましたが……
ちなみに当時、サブカル好きだった田舎の「男子」はどんな風に暮らしていたのだろう。よくよく思い返してみると、クラスにマイナーな洋楽とか電気グルーヴが好きな男子っていたなあ(※当時ヒットチャートはTK小室哲哉全盛期です)。けれどサブカル好き同士は同族嫌悪みたいな感じになってて、お互いをバカにし合って不毛な関係になっていたのではないかと思われる。サブカル好き女子は、サブカル関係ないオシャレ組男子にフツーに恋している(ただし報われない)か、「ジャック・ケルアック読んでて小山田圭吾みたいな見た目の男子いないかなー」みたいに異様にハードル上げすぎていたり。サブカル好き男子はそもそも恋愛に興味を持ってないというか、女子というだけで、話しかけると「宇宙人を見る」みたいな目で見られたことが…あるような気がします。どっちもどっちだ。いや、今はそういう男子好きですよ、だから怒らないで!
■ 東京へ行くあの子、地元に残る私
「あんずのど飴」は、素朴な女子ふたりの友情物語だ。高校生活を通しだんだん二人の間に距離ができてしまい、うまく行かなくなる。ただそれだけの話で、原因だとか理由は、あまりハッキリと語られないところがヤケにリアルで、きっとほぼ実話なんだろうな、という気がしてくる。
サブカル好きだった、という話を書いたけれども、田舎にいるとサブカル好きをこじらせやすい。周囲に同じような趣味の人間がいないというだけで、自分が特別だと勘違いしやすいからだ。そして田舎で暮らしていると、自分が理想通り花開かない理由を、すべて場所=田舎のせいにできる。
「あんずのど飴」を読んでいると、高校時代というのはつくづく、自我をつくるための大切な季節なんだな、という気がしてくる。ふたりとも「自分が分からない(=将来の進路を書くことができない)」ところから始まり、「素直で人なつっこい」彼女がまぶしい、「自分を持ってる」あの娘が羨ましい、そんな風に思う気持ちを、時にまっすぐぶつけ合って傷つけ合って成長していく。この「ぶつけ合って傷つけ合う」というのが、10代の特権だという風に思う。
田舎者は、外へ出て自分の思い上がりに気がつき、大きな挫折感を味わうわけだけど、たとえ勘違いであっても、若い自分に対して大きな希望を持てるというのは、ある種「田舎者の特権」ではないか…と、最近思うようになりました。分別もついて大人になった頃に、やっと、自分が「あの子たちとは違う」と思っていたクラスメイトや、「ダサい」と思っていた周囲の大人たちが、どれだけ地に足のついたしっかり者で、それぞれに魅力的で、未熟な自分をあったかく見守ってくれていたのか、よく分かるようになるんですけどね。
ちなみにここで言う「田舎」って、田舎それ自体がよくよく見ると個性的、みたいな場所ならまだいいんだけど、そうじゃない。「あまちゃん」の舞台みたいな場所じゃなくて、大半の地方都市はもっと無個性で、まあまあお店なんかはそろってて、けど単に広くてデカいだけだから。
「あまちゃん」も、東京と田舎をめぐる、10代女子の成長物語なので、とても面白く観ています。主人公のお母さん役のキョンキョンも、「結局、場所じゃなくて人なんだよね」と言ってたよね。
たまに10代の頃を思い出すと私は、本気で鬱になったり「うわああああああ!!!!」って頭を抱えたくなる。恥ずかしいことや思い上がったことをたくさんやってきました。けれど最近、同世代で同じような体験をしてきた人たちが、マンガや文章やドラマなどで、その頃のことを表現し始めていて、「まあ、良かったのかな。恥ずかしいことでも、失敗を恐れて何もしないよりは」と思えるようになってきた。それは彼ら・彼女らの今の表現が、そういう紆余曲折の上に成り立っているからこそ、素敵に見えるんじゃないか。と思うからです。都合よく解釈しすぎ?
「女子は、『花の高校生時代』をどう過ごしたかによって、その後の人生が決まるというのが私の持論です(今考えた)。」
(「水曜日」あとがきより)
皆さんの高校時代はいかがだったでしょうか。今の人生にも、実は大きな影響を与えてるかもしれないですよ。
【参考】
田舎→大学進学・サブカルが出てくるマンガといえば、東村アキコ先生の自伝マンガ「かくかくしかじか」もメチャクチャ良いです。
「マスタード・チョコレート」と同じく、美大への進学の話です。

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「こじらせ女子」という言葉で、なんとなく救われた気持ちになった私です。雨宮まみさんの著書もとても良いです。

- 作者: 雨宮まみ
- 出版社/メーカー: ポット出版
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