kobeniの日記

仕事・育児・目に見えない大切なものなどについて考えています。

「いるかもしれない」の季節

長男5歳が、保育園のみんなと遠くまでお散歩をした日の夕暮。お迎えに行くと保育士さんに、「やまんばをとっても怖がっていたので、長男くん、しばらくやまんばの話をするかもしれません」と言われた。詳しく聞くとこんな感じ。お散歩の途中に大きな木があって、そこに謎の物体(たぶん靴下とかビニールとか。大人が見たら「ゴミ?」と思うようなもの)がひっかかっていた。あれはなんだろうね、誰のしわざかな、とみんなで話すうちに、子どものひとりが「もしかして、やまんばかも!」と言い出して、すごく盛り上がってしまった。帰り道、行きとは違う道順で戻る途中に我が家が見えたため「あれ…?ここ、ぼくん家に近い」と気付いた長男は、もしや我が家までやまんばが来てしまうのでは!というところまで妄想してしまったようだ。園から帰宅しつつその話を振ると、「わー!やまんばの話はしたくないしたくない」と耳をふさいでいる。ああ彼はいま、やまんばが「いるかもしれない」世界に住んでいるんだなあ、と思った。
そんな彼を見ていて、私が小学生の頃に大流行した「はれときどきぶた」のことを思い出し、買って読んであげた。日記帳にウソの日記を書くと、それが翌日ほんとうになってしまう、という話。なんて単純な、と思うだろう。でも長男はすごく夢中になって、図書館で続編も借りて全部読んだ(私が読まされた)あげく、自分で日記まで書き始めた。「○○くん(近所の友達)が、ぶたになってしまいました」と書いて、「…ほんとうにぶたになっちゃったらどうしよう?」とか言っている。

子どもたちは、空想と現実が入り混じった世界に住んでいる。そのことで困ることなど、なにもない。といった趣旨のことを、宮さん(宮崎駿)が言っていた。私もそうだと思う。彼らがそんな世界で暮らせる時間は非常に短い。いちどきりしか訪れず、すぐに過ぎ去ってしまう、そういう季節。





あまり読書家ではない私だが、小学校の一時期だけは、確かに読書に夢中になっていた。絵本を卒業し、字だけの本が読めるようになった頃はとても楽しく、図書室で児童書を借りていろいろ読んでいた。ページを繰っても字しかない、挿絵も大して入ってない。だからこそ、作者の情景描写をたよりに、風景や出来事を必死に頭の中に思い浮かべる。「よし、次はこれを読もう」と決めて、貸し出しカードを書き、ランドセルに入れて持って帰る時、とてもワクワクしたのを覚えている。中でも特に印象に残っているのは、ミヒャエル・エンデの「ジム・ボタンの機関車大旅行」というシリーズ。機関車に乗って男の子と機関士が、お姫さまを救うとか、海賊とたたかう旅に出るというファンタジーである。あの頃は特に、この世界ではない別の場所が舞台とか、あるいは主人公がどこか遠くへ旅に出る、というような冒険譚が好きだった。(この文章を書くにあたって、ひさしぶりにジム・ボタンシリーズについて調べたら、ほとんど内容を忘れてしまっていて、ちょっとショックだったけれど……)
大人になってからも、夢中になって読書をするということはもちろん、ある。けれどあの頃ほど、ページをめくる度にドキドキハラハラしたり、世界観に没頭したり頭の中で懸命に思い浮かべたり…ということが、できなくなっていることに気づいた。子どもたちのおかげで、この歳になって初めて出会った魅力的な児童書もいくつかあるのに、今イチ読む気になれない。それはきっと、私の「いるかもしれない」の季節が、とうの昔に過ぎ去ってしまったせいだろう。今の私は、やまんばも、助けを求めるお姫様も「いない」と思っている。海の向こうにあるふしぎな世界を、「これはフィクションだ」と思いながら読むのと、「いつか行けるかもしれない」と思いながら読むのには、悲しいかな天と地ほどの差があるのだ。

 

 

 

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「いるかもしれない」の季節を、想像力を駆使して大いに楽しむことについて、「大人になってなんらか役に立つ」という見方もあるだろう。それはおそらく正しい。けれど仮に、「特になんの役にも立たなかった」としても、別にいいんじゃないかな、と思う。もちろん子どもはいつか大人になるんだけど、彼らは大人になる「ために」生きてるわけじゃない。彼らはかけがえのない「今」を生きているし、これからも生きていく。その中でいちどきりの季節を過ごしているだけだ。それをただ存分に満喫してほしいなと思う。ぶたが降る、ドラゴンが舞い降りる、雲の上まで電車で行ける、ポケットをたたくとビスケットがふたつになる、かもしれない。ちいさな頭の中には、大人のそれよりも、ずっとずっと広い世界が広がっている。

子育てをきっかけに、私も確かに通り過ぎたあの頃の思い出に浸ることが増えた。それはとても幸せな時間だ。我が家の長男も大人になって、やまんばがいるかもしれない「今」を思い出し、懐かしむことがあるのだろうか。



ちなみに後日、長男に「やまんばってさー、けっきょく何なの?」と聞くと、「好物は…こども。もう!その話したくないってば」と、言ってました。

 

 

 

 

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