kobeniの日記

仕事・育児・推しの尊さなどについて考えています

銀河を包む透明な意志-小沢健二「魔法的」ライブ(2016年)レビューー

※この文章は2016年に頒布された同人誌「久谷女子9.5号」に掲載したものをそのまま転載しています。情報は当時のままになっていますのでご注意ください。

絵は、さいきんのやつです。

 

 

私は10代の頃から小沢健二さんのファンでして、ちょっとキモいぐらい好きなのですが、2016年5-6月にかけて行われたバンド編成のツアー「魔法的」を観てきました。

自分が必死で何か言葉にしても、新曲の歌詞の前ではとにかく陳腐で野暮な気がして、レビューはやめようかと思っていたのですが、それでもやっぱり何か書こうと思ったのは、もしかしてこれ、スタジオ収録の音源は出ないのかもと感じたからです。「ひふみよ」の時もそうでしたが、仮にライブ音源が出回るとしても、それはけっこう先かもしれない。最初からそのつもりだから「魔法的」なんていう、パッとついて-息つく暇がないぐらいぶっ続けで演奏して-パッと消えるような、もの凄く濃密なライブにしたのかもしれない。

 

ライブは本当に素晴らしく、ここ数日、小沢健二のや全然関係ないの、いろんな鼻歌を歌いながら過ごしているのですが、やっぱり強烈な魔法も日に日に弱くなっていく。せめて自分が強く感じたことや印象に残ったことぐらい、書き残しておかないと、余韻がどんどん薄れてしまう。いまTwitterのタイムラインで、同じように、高揚しながら名残り惜しむ人たちの気持ち、とてもよく分かる!(今回は、小沢健二には珍しく1Fスタンディングのライブだったのですが、ファンの皆さんとても礼儀正しかったです…誰もぶつかって来ない…)分かるから、なにか共有したいと思いました。

 

私があの「魔法的」について何か書くとしたら、うちの下の子が凜音くん、呼び名りーりーと同じ3歳男児なので、どうしてもそのあたりが多くなります。私は自分の人生において、節目節目で(?)小沢健二についてキモい文章を書いているので、そのあたりご了承の上で、キモ語りエモ語りにお付き合い頂ければ幸いです。

(ちなみに、以前も久谷女子に書いたことがあるのですが、私は「オザケン」と呼んだことは一度もなく、ずっと「小沢」と呼んでいました。紆余曲折を経て、この本文では「小沢さん」になっています。めんどくせえなおいw)

 

f:id:kobeni_08:20191011211829j:plain



 

弾ける宇宙

 

「神様」とか「美しい星」とか、「君と僕」の話をしていたのに気づくと全人類規模の話になっている、というのは小沢さんの歌の特徴だと思いますが、これまでの歌詞に「宇宙」は、そこまで頻繁に出てこなかったような気がします。でも今回は、「宇宙」が割とキーワードになっている気がしました。後ろのバンドメンバーも、テルミン(なんか宇宙っぽい音がする)を演奏していたり、はいているパンツが銀色の全身タイツみたいなのだったりした。たとえば「東京の街が奏でる」コンサートの影絵みたいなアナログな演出に比べれば、コスモっぽさがあったなと思います。電子回路もちょっと宇宙っぽい。

 

宇宙を感じる瞬間とはどういう時なのか。

 

小沢さんの奥様のエリザベス・コールさんと、お母様の小沢牧子さんが対談した本「老いと幼なの言うことには」に、小沢夫妻は「りーりーに授乳することを冗談で『宇宙の秩序を取り戻す』と呼んでいる」というエピソードがあります。そもそもこの本、ふつうの家庭で考えたら、お嫁さんと義理のお母さんが仲良く話すという発言小町もビックリな企画なのですが、そこは小澤家なので。とにかくこの嫁姑ビッグ対談(通訳:小沢健二)にそういうエピソードが出てくるのです。

 

授乳が宇宙とつながる、というのは、なんとなくわかります。子どもがお腹の中にいる時、自分は特に何もしていないのに、勝手にお腹の中で育つ、しかも、ものすごく精巧な人体をキッチリ再現してくる。というのが、正直ちょっと怖かったです。なんかこう「自分より圧倒的に上の概念に位置するなにかがそこに」ということを思い知らされた感じで。それはやっぱり、別にキリスト教信者とかでなくても、敬虔な気持ちになりますよね。敬虔さ…まあ普段、都市生活でそういった感情をいかに忘れているか、ということなんだけど。

 

 

私はあんまり占いとか信じない方で、あー今日は金星と火星が一列に並んでるわー(そんなことあるのか知らないけど)とか思ったりはしないのですが、妊娠中に「満月の夜はお産が増える」というのは、どうも本当にあるらしい、と知りました。月の満ち欠けは潮の満ち引きに影響していますが、お産も重力に影響を受ける、ってことみたいですね。産科の先生が言ってたりしました。

 

すごいよね、重力。日常でそんなに意識しないじゃないですか重力。割と逆らってるし。ボールを高く投げたりとか、胸を寄せて上げたりとか。あと、飛行機を飛ばしたりね!(「飛行する君と僕のために-重力に逆らう-」という曲があった)そのぐらい我々はイキがって、時には自然とか宇宙なめて暮らしてて、それが人間の知恵でもある。でも、生まれたての赤ちゃんは、「我々が教えてないのに」おっぱいの飲み方を知ってるんですよ……。これちょっと、凄いけど、怖くない? これは何かあるね、ルールが。終わらないルールが。そういう、自分より大きな存在(自然=宇宙)みたいなものを、小さなりーりーを育てる中で、小沢さんは強く感じたんじゃないかしらと思います。

 

 

小沢さんはありえなく頭が良く知識量が多く旅先では都度その地の論文を読んだりしているらしい(パネェ!)ので、「直観だけで生きる」ということはしない方だと思います。でも、やっぱり生まれてきた子どもは、頭で考えていた子ども像や赤ちゃん像と違ったんじゃないだろうか。想像していた以上に激しくて、混沌とした力強さを感じたんじゃないかと思いました。というか私は感じました。まだ首も座らない頃は本当に、呼吸が止まっちゃうんじゃないかと、夜中もずっと起きて見つめててみたりしました。が、そのうち、いやいや奴らすごく強いなと思うようになりました。全力で寝るし全力で笑うし全力で食べるし全力で排泄する。側にいると、バチバチと命が弾けてるような感じがする。擦り傷が追いつかないんじゃないの? ってスピードで全身が新陳代謝している。

 

彼らは既に何か知っているような気がする。どういう状態が「自然」なのか。言葉を持って頭でゴチャゴチャ考えることができない乳幼児だから尚更。ひたすら、感じて動いているだけだから。

 

「直観と推論が一緒にある世界へ」という歌詞がありましたが、子どもや授乳中の母親って、割と直観(本能?)的に生きるしかない、というところがあると思うので。母乳って勝手に溜まってくるしね…意志でコントロールできないし。

たとえば子ども同士って、他者の存在を理解する前はやっぱりぶつかるんですが、そのうち、別に大人が教え込まなくても、隣にいる子に優しくしたりする。

そういう、人間本来の、ありのままの力強さを見て、やっぱり美しいなと思って、そしてなんとなく安心したのかもしれないです。ここに戻ろうと思ったら戻れるはずだから。この美しさはきっと我々の中にだってあるはずだ。

 

 私も、弱くてぎこちなく情けない自分や、その自分含む世界に失望することが多い毎日なので、「フクロウの声がきこえる」で涙ぐむ人がいるのは、分かる気がしました。ファンの方に感受性の豊かな大人が多いのでしょう!能天気でなく前向きな歌を歌う難しさよ。

 

 

大人になる勇気

 

そもそも、子どもを育むという行為自体、この世を肯定的に捉えていないとできません。もう、なんとかして肯定していくしかない。あるいは、自分がなんとか「良いこと」をして、肯定できる世界に変えていかなくては。「流動体について」という曲には「宇宙にとって良いことを決意する」、誓いは消えかけていないか、と自問自答するような歌詞がありました。

ここで言う「宇宙」は、そのまま「人間らしさ」みたいなものとつながっていると思うのですが、それに逆らうなら、せめて「良いこと」でないといけない。悪いふうに逆らってるという事象がまだまだ多い。

自分に子どもがいるかどうかに関わらず、「子ども」「次世代」に対して、「大人」の側に立つ決意をするということは、子どもたちを通して、自分自身をより厳しい眼差しで見つめ続けることを意味すると思います。

 

2010年の「時間軸を曲げて」という曲に「少年のように」「少女のように」という歌詞がありますが、その頃から「少年少女」ってどういう意味合いかなと考えていました。今回も「本当に生まれるのはパパとママの方で 『少年少女』の存在はベイビーたちがつづけていくよ!」という歌詞がありました。

ここでいう「パパ」「ママ」「少年」「少女」もやはり、「純粋な存在から真実について弾糾される側」が大人(パパとママ)で、「する側」が少年少女、ということだと思います。

 

私は、子どもが生まれ母親が死んだことで、完全に「大人の方」に蹴り出されたなと感じました。強がりながらでも、やってかなくちゃなんないんだ大人を、と痛感しました。今でも、小児科で「おかあさん、」と医師に呼ばれて「え?誰のこと?私?」と思ったりしてますが。

親になることは、「いずれ死にゆく世代である自分」を意識する、ひとつのきっかけになります。そのほかにも、自分が「もう子どもじゃない」ことを意識させられる機会は様々に存在します。

 

 小沢さんは、既にずいぶん前から大人だったように思いますが、父親になったこと契機に、決意をあらたにしたんじゃないでしょうか。

彼が父親になったら、それ以後、全人類の父親レベルで更にいろんなことを考えるようになるのでは、と想像していましたが、今まさにそうなっている!のではないか!

奥様とりーりーから、もらった力で強くなった分、世界や自分に対してさらに厳しく、さらに真摯になっている気ががしました。

 

 

 

誰かのスーパーヒーローに

 

今回のツアーでは、最初の二曲とアンコールの二曲が「フクロウの声がきこえる」と「シナモン(都市と家庭)」だったので、これらがお気に入りなのでしょう。「シナモン」は、ハロウィンの曲かなと思ったんですよね。なぜハロウィンにシナモンの香りなのか、色々調べて考えたのですが、ニューイングランド(小沢さんが住んでるあたり)は、秋は紅葉がとってもキレイで、カボチャやリンゴが収穫されるんだそうです。リンゴはシナモンで味付けしてホットアップルサイダーに(2月の渋谷クアトロで、エリザベスさんのレシピでおもてなしに配られたやつ)。カボチャはくり抜いて中身はパイに、残った外側はジャック・オー・ランタンに。だからハロウィンの季節にシナモンの香りがするのは、家族の風景として自然なことなんじゃないかと思いました。

 

ハロウィンって、本来は子どもがオバケや魔女に仮装するものだけど、最近のハロウィンでは、スパイダーマンとか、アナ雪のエルサとか、ヒーロー・ヒロインに仮装する子が多いんじゃないでしょうか。

うちは7歳と3歳の男子ふたりを育てているのですが、やっぱり大抵の男の子が、戦隊モノを通るんですよね。そしてある日、見えない敵と戦いはじめる…

小さい声で何事か言っているんです、「まだ…間に合う…おれは…やるしかない…」「よし…行くぞ!」みたいなこととか。で、「てやっ!」「とうっ!」と言って空を斬りはじめる。なってる。スーパーヒーローに。

 

日本で男の子がハマりやすいTVでいうと、「アンパンマン」→「戦隊モノ(スーパー戦隊シリーズ)」→「仮面ライダー」という順番が多いです。で、「戦隊」と「ライダー」の間でちょっと話が複雑になる。「アンパンマン」と「戦隊」は基本的に勧善懲悪で、ヒーローが、仲間と協力して、愛と勇気の力で悪者をやっつけ、地球を救う。

親からすると、「愛」とか「勇気」とか、超久しぶりに聞いたー…という印象なのですが、やっぱり子どもに最初に知ってほしい「力」って、そういうものだったわ、と思います。

 

りーりーは「ニンニンジャー」とか観るのか分かりませんが、通称「日アサ(日曜日の朝にやっている)」と呼ばれる「スーパー戦隊シリーズ」からの「仮面ライダー」そして「プリキュア」は、子ども向けだからと手は抜かず、どのシーズンも基本的なメッセージとしてキッチリ「愛、勇気、善、正義、友情」などを伝えている気がします。(ただ、おもちゃのマーケティングもすごいので、やっぱし、りーりーは観てないかも。クリスマスの前に変身ベルトがパワーアップするとか普通なので)

 

 

「シナモンの香りで  僕はスーパーヒーローに変身する」という歌詞がありましたが、大人になってもなお、誰かのために、あるいは地球のために、スーパーヒーローになるって本当に難しいですよね。さすがに地球は救えないわ自分…とは思うものの、ここぞという時に勇気とか正義とか、果たして発揮できるんだろうか。子どもと一緒にTVや映画を観ていると、シンプルであるが故に胸に突き刺さるというか。しかも、「ここぞという時」の悪者がバルタン星人みたいに分かりやすく巨大化して現れたりはせず、じわじわと会議室に忍び寄ったりしてそうで怖いです。

ちなみに日本にもセーラームーンやプリキュアがあって、女の子も戦うわけですが、アメリカにも「バットガール」とか、色々あるみたいですね。

 

 

仕事をせんとや

 

ところで最近の私は誠実さとか真摯さとはほど遠く、目の前の同僚が疲れ切っていても気づかないとか、自分の仕事の先にいる受け手(いわゆるお客様。webサイトで言えばユーザーです)のことなんて欠片も考えてなかったりで、そういう自分に失望していました。だから小沢さんのライブでの真摯さとかひたむきさが、凄くカッコいいと思った。彼は天才だと思うし、別に自分のことを特別な天才だと思っててくれて構わないんだけど、曲を届けることに関しては、「特に天才ではないがそれぞれの場所で暮らしてる受け手」を信じている感じが、ずっとしています。

「いっつも、一対一なんですけどね」と、ドゥワッチャライクに書いていたことがありました。そんなこと実際にはありえないんだけど、「どうやったら自分の歌と、この、たった2時間のライブで、少しでも受け手の毎日を励ませるか」ということを考え抜いている気がしました。

 

今回、グッズで販売された赤い本(魔法的モノローグ台本)に、朗読が収録されていますが、私は「仕事をせんとや、生まれけむ」が一番好きです。こういうことを誰かに言ってほしかった。科学的根拠とか、データの集計結果とか、そういうのに基づかない、でも説得力のある「そもそも論」を。

大人になったらほぼ毎日仕事をしているのに、理想を貫き通すのは難しい。オリーブを出版し続けるのが難しいように。なんでこんなに難しいんだろう、と思っていました。

人に「あなたの市場価値」とかって値付けされるのもウンザリだし、「それってどれだけ利益出るんですか」と鼻で笑われるのも、それ聞いて物分かりのいい顔で「なるほどですね」とうなづく自分にも本当はウンザリ。「お母さんだって働きたいんだ」というブログ記事なんか書きながら、一方で「私、仕事に殺されるかも…これは戦争か…」と思う日もある。

 

 

むかし友達が、「『はたらく』って、『はた』を『らく』にする、から来てるんだよ」とか金八先生みたいなこと言ってましたが、私は労働の中にある美しさだけを見ていたいんだ!それが別世界で「仕事」という名前で呼ばれなくなったってぜんぜん構わない。

 

小沢さんとエリザベスさんにはこれからも、直感と推論に基づいた、静かで力強い「そもそも論」を言い続けてほしい。

考え抜いて自分の「仕事」を全うしている小沢さん、ホントにカッコいいと思いました。

 

 

 

情報量の多い、濃密なライブだったので、いろんな切り口で語れると思いましたが私からはこんなところです。ホント良かった。ホント良かった。今回、奇跡的に前から3列目ぐらいで観ることができて、「こ、この人…小沢健二だ…小沢健二すぎる……カッコいい///」と、20年ぶりぐらいに仔猫ちゃんに逆戻りしてしまいました。ええ、もうすぐ40歳です、申し訳ありません。これからも私の推しは小沢です。次の活動まで、プロ市民ならぬプロ小沢として信心深く待とうと思います。

 

 

 

 

 

よければこちらもどうぞ。さらに前、「ひふみよ」のレビューです

 

note.mu