kobeniの日記

仕事・育児・推しの尊さなどについて考えています

本当のことを運んでいく ー小沢健二「So kakkoii宇宙」に寄せてー

 

 ■私の1990年代

 

「文学的である」とはどういうことか。

 

いろんな観点・解釈があると思うけれど、私が10代の頃、文学部を志した時に考えていたのは、文学は「本当っぽいことが、本当に本当か疑う」「本当を追及する」そういうものではないか、ということだった。体裁としてはフィクション(実在しない人物が登場し、現実にはない物語として書かれる)だけれど、描き出されることはけして虚構ではなく、どこまでも「本当(はどうなのか)」ということだ。

学校では「ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために」と教わるのに、家に帰るとTVで教師が教師を虐めていたというニュースが流れる。となると「教科書に書いてあることはぜんぶ本当」というわけではなさそうだ。そもそも、なぜ勉強しなければならないのか?については大人は聞けばわりかし教えてくれるが、「なぜ生きているのか」については、産んだくせに親も教えてくれない。そもそもそんな会話にならない。いちばん大事なことを教わらず世界に放り出されているような状態である。しかも、「人生ってなんだろうね」とか呟くと、クラスメイトには「ちょwwまじめかww」とか「エモいww」「中二ww」とシニカルな態度を取られるのがオチだ。

 

だが文学だけは違う。この世界で「本当」と信じられている常識や、慣習や、規則や、空気を、一枚一枚めくっていき、そこに嘘があれば暴きだし、「本当のこと」を見せつける。結果おどろおどろしいものが正体だったとしても。

 

95年ごろ私はそんな風に考えていた。

私が小沢健二に出会えたのは、その歌詞が、よく言われるように「文学的」だったからだと今も思う。つまり私にとって「この人は、珍しく、本当のことを言っている大人のようだ」と感じる人だったということだ。歌詞にも「本当のこと」が何度か出てくる。

たぶん小沢健二のファンはみんなそうだと思うのだが、友達とバカ騒ぎをしていても、塾の自習室で勉強をしていても、深夜のラジオを聴くともなく聴いていても、「こんなことをしていていいんだろうか」「僕は、私は、この先どこへ行くんだろうか」と、我にかえる瞬間がある。なんとなくゾッとするような瞬間がある。生というよりは死を感じている、感じたい瞬間なのかもしれない。小沢健二の歌はそれに対して「本当のことはこうだ」「美しいものはこれだ」「それが人生だ」と剛速球で返してくれる。陳腐でありがちな言葉でなく、キチンと心に伝わる表現を取って。

文学作品がそうであるように。

 

こんなそれっぽいこと言っているが95年の私はただの田舎者のバカなJKだった。阪神大震災も、オウムのサリン事件も、名古屋にいた私にとってはそこそこ距離がある場所で起こったことだった。そういう中でLIFEのようなアルバムや、「戦場のボーイズライフ」「強い気持ち強い愛」がポップソングとして流れていたことが、当時10代だった人たちにとってどういう意味を持っていたのか、実はよくわからない。「長くて寒くて心が凍えそうな冬」を過ごしていたリスナーの方が、小沢健二をもっと切実な気持ちで聴いていたのではないかと思う。

 

そんなアホJKではあるものの、岡崎京子にも、私はかろうじて95年に出会っていた。そしてそこに、小沢健二の歌と同じようなものを感じた。彼女のマンガの登場人物たちは、当時花開いたDJ文化と共に乱立したクラブで夜通し遊んでいる。気だるい早朝を迎え店を出て吉野家で朝食をとっている。けれどその中で、主人公だけは、「こんなことをしていていいんだろうか」という気持ちを抱いているように見えた。あるいは、神の視点である作者だけが。その焦燥感、透徹した視線、本当のことを暴こうとするスタンスが、小沢健二の歌と共通しているように感じた。

 

「どこがいいのか、好きなのか」そこまでハッキリ言語化できてなくても、信じられる大人がいると生きていく上で支えになるし、モデルにできる。そういう人が東京に住んでいる。田舎のアホJKが東京を志すには十分な理由だ。小沢健二と雑誌Olive、岡崎京子、そういうものは私が生きる上でのひとつの指針だった。申し訳ないぐらい重たいものを彼らに期待していた。

 

「小沢健二にバッタリ会えるかな~」と97年に上京したのだが、彼はそのころからマスコミ露出が減り、シングルCDのリリースも減っていった。私は私で、過大な期待をしていた東京に失望(というか、それはつまり何もない自分に失望)したりして、なんだか小沢健二どころでなくなっていた。岡崎さんが事故に遭い、小沢健二が「ある光」を出してアメリカに渡り(私はバカだったので、あれがさよならの合図だったなんて全く気付いていなかったのだ!!)Oliveでは表紙にジャニーズが載り、そのうちに休刊になった。私の90年代はフェイドアウト的に終わりを告げた。

 

■私の2000年代

 

その後Marvin Gayeのトリビュート参加とか、Eclecticのリリースとか、キチンと小沢健二の活動はあったわけだけど、なにせ私は「ある光」がさよならの合図と気づきもしないような仔猫ちゃんである。「最近の小沢健二、よくわからない…」と混乱していたと思う。Eclecticのカッコ良さに気づいたのも、それが彼にとって球体などと同じように音楽的にも大きな挑戦だったであろうとわかったのも、めちゃくちゃ最近なのである。マジでごめんなさい。田島カンナかよ。そりゃ失望され渡米されても仕方がないファンだった。

ただ、2000年代に入ってからの私の主観的な気分を、勝手に言わせてもらえば「指針を失った」である。誰かに好きなアーティストを聞かれて「小沢健二」とこたえる時、いつも「釈然としない別れ方をされた元彼」みたいなゴニョゴニョした感じになってしまう。それでも当時、東京に住んでそれなりに時間が経ち、憧れの地だった原宿が、渋谷が、吉祥寺が、下北沢が、だんだんと自分の街になるのを感じていた。小沢健二はいないけど。

 

時は氷河期、目指していた出版業界にそもそも採用が全くない。2000年、大学4年の春、小さな編集プロダクションの名簿を入手し、片っ端から電話をかけ「採用してませんか」と聞いたが、ほとんどしていなかった。ロッキングオンの入社試験も受けた。天使たちのシーンについて自分語りをした長文などを3回ぐらい書いて、最終面接まで行ったけれど、圧迫気味だった(と私は感じた)せいか半泣きになって、落ちた。2000年代の自分の思い出すと、この「半泣き」という言葉がよく当てはまる。三鷹市の1Kの部屋で、小さく丸くなって、明日の就職試験のことを想い緊張して眠れなかった。就職してからも、うまくいったことより挫折体験の方ばかり浮かんでくる。「何者かにならなくてはいけない」職業人としての自分にいつも不安がつきまとっていた。仕事しながら学校に通ったこともある。それでもいつもどこか自信がなく、地元の親にこれまた半泣きで電話したりもした。

2005年ごろだっただろうか、上司から「今年は、花火を期待しています」と書かれた年賀状が来た。花火というのはつまり、「パッとしろ」ということである。努力すればどんな社員も、会社人生で一回ぐらいスポットライトが当たる時が来るだろう、そういう価値観の職場にいたせいだ。パッとしない社員だった私は、その年賀状を見てまた半泣きになった。

2006年に結婚をした。私にとって結婚は「東京でひとりで生きて、仕事をしていくのは、なかなかしんどい」という、半泣き続きの2000年代から導きだされたひとつのソリューションだった。小沢健二はその年、「毎日の環境学」というCDを出した。歌が入っていなかった。私が「文学だ」とか思っていた歌詞がない。私の小沢健二に対する混乱はここでMAXに達する(でも結婚式当日のプレイリストに「ぼくらが旅に出る理由」は入っていた)。

 

 

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…と、いうような私が「そして時は2020 全力疾走してきたよね」なんて歌われたら、

「はい!!!!!!全力疾走してきました!!!!!!疲れた!!!!!!!」という気持ちになって当然じゃないかと思うのだ。小沢健二は私のことをずっと見ていたんだろうか?実は、彗星のように遠くから。

 

 

■長い自分語りが終わり、やっとアルバムの話です

 

2010年の「ひふみよ」からの活動を、私は東京でずっと見てきた。ひふみよの時もそれ以降も、小沢健二は「ただいま」とファンに向かって言ってはいない…と思う。旅立つときも「行ってきます、さよなら」とは言わなかったので、そんな単語じゃ野暮だと思っているのだろう。ただ、ニューアルバムの「彗星」「高い塔」「薫る」の3曲と、ここ10年に彼が語ってきた色々から、これは私たちのようなファン、2000年代を「小沢健二がいないんですけど…」と、どこか心もとなく思いながらも、自分の力でなんとか生きてきた人たちに対する「ただいま」だと、ハッキリ感じた。

 

11月に出たAERAのインタビューで、日本から去っていた2000年代のことを彼は「ひと言では言えないです。漠然と生きていたわけじゃないので」と語っていた。2010年からの小沢健二はまるで遣唐使のようである。自分が、わざわざ砂漠地帯とか、めちゃくちゃ殺人が多い国とか、そんなところにまで旅に出て見聞きし感じたことを、朗読なり歌詞なりツイートなりでファンに発信してくれる。それはつまり、自分の影響力とか、曲を届けることとか、そういうものに対する責任を、「とても重く感じている」ということじゃないだろうか。それが彼のプロフェッショナル大衆音楽家としての仕事観なのではないか。私のように「生きる指針」みたいな、重すぎる期待をかけているファンがいることも、わかっていて10年過ごしてきたのではないかと思った。「それに見合う僕」であるために、「本当のこと」を探し世界を旅して、そして戻ってきた。

 

「彗星」の歌詞には、95年と2020年が出てくるのだ。その間にも小沢健二はいろいろ活動していたけれど、95年を引き合いに出すということ、それは明らかに「LIFE」の頃だし、フジロックでも大合唱で盛り上がった「強い気持ち強い愛」の頃だし、当時それを聴いていた人たちに向かって歌っているということじゃないか。ニューアルバムに入っている曲はどれも、あの頃のように歌詞が「文学的」だ。「『2020年の』本当のことはこうだ」「美しいものは『今も』これだ」「それが人生だ」という強いメッセージが、曲からはみ出しそうなぐらいの圧で入っている。やべー、自然消滅した元彼がすっごい笑顔でお土産たくさん持って、歳はとったけど前髪のサラサラ具合はあの頃と同じまま「ただいま!」って帰ってきたみたいじゃん……

 

なので私は、17歳の頃からの、自分のファンとしてのあり方や、モニョモニョしながらもずっと聴いてきたことに対して「それでいいよ」と全肯定されたような気持ちになっており、今とてもしあわせです。

 

 

■ここからやっと「So kakkoii宇宙」の具体的な曲の話をします

 

お父さんになったことが、小沢健二に与えている影響は、ニューアルバムのジャケットが実の息子の写真であることからも、とても大きいと思う。それについては「魔法的」の時のレビューに書いたので、ここではあまり語らない。ただ、「天使たちのシーン」に「愛すべき生まれて育ってくサークル」という歌詞があるが、「そのサークルの中に自分が入った」ということへの強い実感が、やたら「宇宙」を意識する大きな理由になったのではないか、という気はしている。

そういう、親と自分と子ども、連面と続く人々の営みというテーマ以外に、このニューアルバムから感じるのは、「自分たちの文化、暮らし、生活、新しい常識やルール、そもそも『なにがkakkoiiか』は、みんなでつくろう」とりわけ「もう欧米の真似はしないで」というメッセージだ。小沢健二と小山田圭吾は、いつも周囲に流されない、自分たちでカッコ良さをつくっていくようなところがあった。フリッパーズ・ギターの頃こそイギリス等々のバンドに影響を大きく受けていたが、それもみんなが追いついてきた頃にサクッとやめてしまう。

 

今の日本は、それこそ私が氷河期で苦しんだ頃からずっと経済が低成長で、投資家みたいな人から見ると「そろそろ終わコン」といった状態だ。経済成長が鈍化していることと、少子化の影響ではないかと思うのだけど、なんとなく元気がない、どこか自尊心を欠いている状態のように思う。とりわけ情報感度の高い若者はSNSなどを使っていると思うが、そのSNSでも、政治家の失言や無駄遣い、根深い女性差別などについての怒りが蔓延している。育児や労働面では「待機児童」「ワンオペ」という言葉が一般化しており、若者にしてみればこの国で親になることへの希望もあまり感じない…という風に見えているのではないだろうか。

 

■「高い塔」の話

 

そういう、日本を覆っている重苦しい空気をものともせず、こっちが咳き込むぐらいに強く背中を叩き、叱咤激励する曲が「高い塔」だと思う。「ただいま、何ボーっとしてんの?しっかりしなよ」みたいな感じである。初めて聞いた時、小沢健二怒ってるのか?と思ってしまった。ヘッドフォンで聴いていると、すごい気迫で、(なんか私、いま怒られた…?)みたいに感じてしまう。

 

この曲には「日本」という言葉は出てこない。小沢健二は猫などと同様に国境などどうでもいいと思っているので、たぶん「この日本列島のこのあたりに住んでいる人」に向かって歌っている。歌詞の中には、「社(やしろ)」とか「みちのく」とか、「鳳凰(ほうおう。この間、即位礼正殿の儀でおごそかなやつに絵でガッツリ描いてあったのを見た)」とか、日本のことを歌っていると分かる単語が出てくる。そこで「君たち美しいし聡明だよ」と言っている。かつ、「古代の未来図は姿を変え続ける」つまり、「描かれた予言はいつでも覆せる」「未来は今からでも変えることができる流動的なもの」君たち僕たちがつくろうと言っているのではないか。

なんか「行こう」って言ってるし。

「行け!」じゃなくね。

 

高い塔は東京タワーのことだと思うが、これは小沢健二の好きなモチーフなので、ここを中心として、列島全体を励ましているのだろう。

日本の文化は戦後、実はアメリカに大きな影響を受けている。昔「モテたい理由」という新書を読んだことがあるが、ロマンティックラブを至上とする考え方自体、アメリカ文化の影響だという結論になっていて非常に驚いた。JPOPでは私の記憶だと「僕と君」「あなたと私」の歌ばっかり歌われているが、それだってアメリカの影響なのだ。

仕事をしていると、この国のビジネスはすぐアメリカに追随しようとするな…と感じる。アメリカから持ち込まれたITサービスの日本版に携わったことがあるが、数年でアメリカでも日本でもポシャってガックリした(大した理想もないサービスだったからな…と思うのだけど)。「自己責任」という言葉が私は大嫌いだが、こういった考え方も欧米の影響を大きく受けているんじゃないだろうか。

 

具体的にどうしろとは言わないのだ、そこが小沢健二の文学家らしいところである。「デモに行け」とか「与党を信じるな」とか「日本の米だけを食え」みたいなことは言わない。彼がこっちの知性を信じてくれていると思って、そこから先は自分で、自分たちで考えるしかない。ただ、「欧米人が一番kakkoii」という、骨の髄までしみ込んだ価値観はいい加減捨てろ、客観視しろと言っていることは確かだと思う。日本人を励まそうとした時に「美しい国、日本…祖先に感謝…」とはならず、「東京タワーのように孤独に耐えながら、未来図を書き換えろ」と言うのだ。

これをso kakkoii と言わずして何と言う。

 

■毎日のBGMに「薫る」

 

「薫る(労働と学業)」という曲は、ここまでダラダラ書いてきた、私の半泣きの2000年代を祝福するような曲だった。小沢健二がいないから、何が正しいか何を信じるべきか、自分で考えるしかない。というか、人生は本来そうだったのだが、おそるおそる職業を決め、住む場所を決め、家族を持ち、なんとか生きてきた。「彗星」と「薫る」はワンセットで聴くのが良くて、「とりあえずここまで生きてきただけホント偉い、よく頑張った」と言われているような気持ちになる。そして「君は君の学業や仕事と、真摯に向き合っているんだろう?当然そうだよね」とまた背中を叩かれる。私は仕事中いつも16時ぐらいにむちゃくちゃ眠くなるのだが、この時間に「薫る」を聴くと目が覚めるので良い。「この仕事、誰のためになっているんだろう…」とか「こんなこと勉強して、むしろ世の中悪くしてるんじゃないの…」と思っている人に、今すぐ辞表を書かせる・参考書を破らせるぐらいのパワーがこの曲にはある。そういう人こそ早く聴いた方がいい。で、今の仕事を辞めて何をすればいいかって?「宇宙にとって良いこと」でしょう。あとは自分で考えるしかない。

 

 

 

 

 

 

アルバムのラストの曲でもある「薫る」には

 

 

「君が僕の歌をくちづさむ 約束するよそばにいると」

 

 

という歌詞がある。

これまでも、歌という形で私のそばにいた小沢健二ではあるけれど、このアルバムが「ただいま」なら、この先の10年も東京タワーの元で歌い続け、ライブや朗読なんかしてくれるなら、とても嬉しいなと思う。



 

これからも、「本当のこと」を教えてほしい。

 

 

 

 

 

So kakkoii 宇宙

So kakkoii 宇宙

So kakkoii 宇宙

 

 

 

「小沢健二の帰還」の宇野維正さんの記事。これを読んで「そうか、これは本当に『ただいま』っていうアルバムかもしれないし、私たちを励ましているのかな」と思った。

小沢健二の新作『So kakkoii 宇宙』は、25年前の『LIFE』を超える最高傑作か?(宇野維正) - 個人 - Yahoo!ニュース

 

魔法的の感想。

銀河を包む透明な意志-小沢健二「魔法的」ライブ(2016年)レビューー - kobeniの日記

ひふみよの感想。

あの頃の自分に会いにいく|kobeni|note

 

 あんまり読んでもらえなかったwリバーズ・エッジの感想。

惨劇は起きない 〜「リバーズ・エッジ」/「流山ブルーバード」〜 - kobeniの日記