kobeniの日記

仕事・育児・推しの尊さなどについて考えています

「それ、何の役に立つの?」と言われたら

40代の女性が、最近チェロを習い始めたら、どうせこの歳で始めてプロになれるわけでもないのに、「何の役に立つの?」と言われた。というツイートを見ました。なんとなく、人ごとではないと感じました。というのも私は40歳になった去年の秋から、全く未経験の習い事を始めたからです。また三年くらい前から、小学校の時以来の絵を描き始めて、特に学校には行っていませんが、今も飽きずに描いてます。趣味があまり長続きしない私にしては珍しいです。

絵については、最初は自分のブログに挿し絵を入れられたらいいな、だからデジタル絵を始めよう。というのが動機でした。自分の絵が大したことないのは、さすがに大人なのでわかるし、今も特に絵でお金を儲けようとは思っていません。ただ、平日仕事で使う脳みそが、分析だったり仕事自体のフローを描くことだったり、ロジックで進めることが多い中で、どうも絵で使う脳みそはぜんぜん違うところらしく、休みになると「模写でもいいから絵を描きたいなあ」と思うことが多いです。単純に、感情的に「気持ちいい」のかもしれません。ツールの進化で、漫画などが圧倒的に描きやすくなったことも大きいですね。

芸術の大半はおそらくこの「気持ちいい」からスタートしていて、チェロだって、気持ちいいから習ってるんだよという方も多いのではと思います。
先の40代の女性に、チェロの(チェロじゃなく芸術の、かもしれない)先生は「芸術は世界と繋がる手段で、世界の示現を感じるために弾くのだ」的な回答をされたそうです。日本語でおK、という感じもしますが、なんだか少しわかるなと思いました。

例えば私は、絵を描き始めるまで、ここまで「影」に注目したことはありませんでした。「何が、上手な絵を上手たらしめているのか?」と観察するようになったら、影が美しく入っていることに気づいたんです。また「実際には目に見えるから、この線を描いたけど、絵にすると、この線は無い方がいい」みたいなこともある。人間って、人の顔を認識する時、すべての輪郭を見てるわけじゃないんだな、と気づいたりします。
おそらく、チェロの世界にもこういうことがあるんじゃないか。弾き始めた人にしかわからない、奥深い世界があるんだと思います。それを知るのは単純に面白いし、これまでと絵や音楽との向き合い方が変わるはずです。美術展や音楽会が、何倍も楽しくなる気がします。しかも、練習していると、ちょっと前の自分の作品がものすごく下手に見えたりするんですよ。えっ、40歳でもこんなスピーディに変化したり上達したりするんだ!!と驚きます。
去年はじめた習い事は、「この面白い○○はいったいどうやって作っているんだろう」という好奇心が動機でした。そしてやはり、作っている人しか知らない真実みたいなものを、教わることができています。面白いですよ。

 

そして、それを喜んでくれる人がいるのも良いですね。コンサートは開けなくても、家族に生音の美しい一曲をプレゼントできたり、「眼鏡をかけた推しを見たい」みたいな妄想のお手伝いぐらいならできる。プリキュア描いて、とかにも応えてあげられる。
確かに私も昔は、「おやじのThe Beatlesコピーバンドとかダサい」と思ってたような気がします。でも今は、保育園で合唱やったりしています。人間が生きている範囲って、物理的には大して広くないんだから、半径数十メートルの人のために何かしてあげられるぐらいで十分だし、自然なんじゃないかと思うようになりました。有名ドラマーの超絶技巧をCDで流すより、半年間がんばって練習した、知り合いの子の太鼓の方が聞きたいシーンもあります。

 

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…と、こんなことを言っても先の「役に立つ教」の人は鼻で笑うでしょう。「だってそれ、趣味でしょ?お金にならないじゃん」。こういう人にとって「役に立つ」=「プロである」=「利益を生む」だからです。彼らは、花の名前をたくさん知っていることも、星が爆発する時に出る粒子を理解することも、手作りでクッキーを焼いてフリーマーケットに出ることも、一日の9割を寝ている猫の存在すら、ぜんぶ「大した金にならない」「生産性がない」と、斬って捨てるのでしょう。

 

でも私、こういうのも時代遅れだなと思うんですよね。

 

「プロとして」お金を得るのは大変なことです。私もずっと広告というか編集というか、そういう仕事をしてきましたが、プロとして生きていくには今も学び続けなければならない。特にこの仕事、今は媒体自体が紙やTVから、webや配信に大きく変わる時で、これまでやってきたことが一切ムダになり、突然素人になる可能性も高いなと思っています。稼ぎ方が変われば「役に立つ」の方法論だってあっさり変わる、そういう惨たらしさがビジネスにはある。と思いながら働いています。これまで学んできたことで、変わらず使える知識は何か。新しく習得すべきは何か。捨てていく勇気を持って変わっていかないと、「役に立たない」人になってしまいます。
そんなこんな私がオロオロしていると、いまの若者は、プライベートの顔を何かしら持った状態で入社してくることに気づきました。既に事業をやっている子もいます。SNSがある前提で生きている彼らは、否が応でも「自分は何者か、何ができるか」を考えざるを得ない人生を送っているのかもしれません。会社名をプロフィールに書きながら、いつかはここを職業名に書き換え独立したいと考えているかもしれません。

 

何かでプロになり、主収入を得られるようになるのはとても大事なことです。でも、40歳なら、それをできる人はもう、それなりに出来ている状態です。今のアラフォーは、企業に入らないと何も教われない上に、企業から採用を絞られるという悲惨な時代を生きてきました。プロになるのもなかなか大変だったのです。だから「役に立つ教」の人は、そんなことしてる暇があったら何かを極めないと、と言うのかもしれません。
でも今は、昔より転職もしやすいし、会社の外にもオンラインにも学校はあるし、趣味みたいに小ロットで始めても売る手段がいくらでもあるし、そういう意味では「いつ趣味とプロが入れ替わるかわからない」じゃないですか。いくつかやっている中で、収入が多い方が仕事ですか?三つの顔で活動していて、メイン収入が仕事でそれ以外は趣味?うちの父はずっと教員として勤めていて、詩人としても活動していますがそっちは収入は一切なく、それでも病院で職業を聞かれて「詩人です」と答えていましたよ。

 

何かを習い始めたり、学び始める時に、「プロを目指すかどうか」なんて、別に考えなくてもいいんじゃないでしょうか?いい大人なんだから、「この推しCP、マーケットが自分だけだわ」とか、「自分の絵には競合優位性が無さすぎる」とか、気づいちゃうのはしょうがありません。でも、楽しいですよ。上達したり、新しいことを知るのは快感です。世界が示現しますよ(この言い回し、気に入った)。そして、これだけ個人が発信する方法が発達していたら、「なんか気がついたらお金貰えるようになってたんですけど」みたいなこともありますよね?

 

上の世代には、「プロ目指すなら退路を断て」的な考え方の人もいるかもしれません。それだけ、「企業」の中にいる人にも外にいる人にとっても、企業というものの存在感が大きかったんです、たぶん。でも、もう終身雇用も…無理って話らしいし…ねえ。特に、既にそれなりに稼ぐ方法を習得済みなら、別に退路なんか断たなくていいし、副業でも趣味でも心動かされることをしたらいいと思う。日本では生涯学習率が海外に比べ低いんだそうです。大人の学びが少ないってことです。ビジネス面での学習にばかり注目が集まって、しかもそれが企業の中に閉じがちだったことと、無関係じゃないかもしれません。ワークライフバランスが悪すぎたのかもしれませんしね。

 

 

相模原市の障害者施設で起きた殺人事件の犯人は、自分が犯罪を犯したことではじめて、「役に立つ人間になれた」と思ったらしいです。私の子どもが通っている保育園の先生は、子どもたちにギターの伴奏で歌を歌ってあげたくて、アコースティックギターを習い始めたそうです。なぜ事件を起こした犯人が、たとえば施設の利用者さんにチェロを弾いてあげるようなことを、「役に立つ」と思えなかったのか?それは「役に立つ教信者」の考え方と、無関係じゃないのでは。と思ったりします。

 

Etsyで世界を旅しよう vol.4 フランスに行った気になる・ファンタジックに浸る

Hello,Reiwa.年に1回ぐらい、ものすごくEtsy熱が高まることがあるのですが、最近またそんな感じだったので、見つけたモノなど書こうかなって思います。

過去の記事はこちら。

ETSY カテゴリーの記事一覧 - kobeniの日記

 

 

■ やっぱりフランスっていいわね…

Etsyの特徴として、ビンテージ(=アンティーク、古着も含む)のお店もたくさんあるということが挙げられるのですが、フランスのアンティークのお店を見ていると、フランスの名物でもある蚤の市に行ったような気になれるのが楽しいです。

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こういうのとかやっぱりフランスだから売ってるのかなァ~とか思っちゃったり…

French early 1950s blue denim pin up dress | Etsy

 

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ただの古いノートなのにすごいカワイイデザインだなと思っちゃったり…

French Vintage Graph Ruled Notebook 100 Page Geometry Cahier | Etsy

 

 

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日本だと中目黒で1万円くらいで売ってそうだなというデザイン…(※2600円です)

1970s vintage metal wire BASKETAPPLE shapedfruits basket | Etsy

 

それで私は何を買ったかといいますと、アンティークではないのですが、ここのヘアバンドを買いました。

www.etsy.com

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instaの投稿より。

ヘアバンドが大好きなのですが、日本で探すと、安くてよくある柄と素材か、オシャレだけどとても高いか、どっちかしかないので。真ん中あたりの価格で買えるのがとてもよく、おすすめです。ひとつ3000円くらいで、ふたつ買って送料は500円だった。

 

■ ファンタジックなものに惹かれる

Etsyのいいところは、良くも悪くもデザインにエッジが立っている&玉石混交すぎて、玉を見つけたときの喜びがハンパない というものです。膨大なお店の数、ありえない検索性の悪さ(※本当に悪い)、ワールドワイドなラインナップに、正直、いつまででも(それこそ一日中とか)見ていられる私です。そんな中から「これは!!」というものを見つけることがあります。そして「これは…??」というものも、たいてい同時に見つかります。

 

最近グッと来たのは、このロシアのお店の「本の形のクラッチバッグ」というやつ。

「秘密の花園」とか「白鯨」とか「グレート・ギャツビー」の本の形「のような」デザインのちいさな手作りバッグなのですが、この表紙は自作なのかパクリなのか、著作権的にどうなのか、というところが、どんなに説明を読んでもわかりませんでした。でもめちゃくちゃカワイイです。ほしいです。

 

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No books are harmed とだけ書いてあったが、ホントか?

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Etsy の Hand made book clutches by BAGatelleStudio

 

やっぱり若い頃オリーブ少女だったもので、乙女エッセンスのあるものやファンタジックなものがとても好きですね~。そんな中で見つけた「これは?!」というものが、

 

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アリスのティーパーティー的なものなのかな?

頭の上に鳥とかティーカップを載せるというヘアアクセサリー…。小さい女の子用みたいなのですが、なんかすごいですよね。このお店はfromロンドンでございます。

Etsy の Quirky Fascinators & Accessories for your Party by miwary

 

ファンタジックの最後に、見つけたとき「うおっ」てなったのはこちらです。

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他の商品バリエーション豊かなのでお店を見てみてください

陶器でできているっぽいんですが、なんだか見ているだけで幸せに…。このお店はアメリカから、みたいです。

www.etsy.com

■ 日本だと「Creema」なのですが

ETSYの日本版といえばCreemaだと思います。私も最近インストールして、検索性の良さに感動しました。ランキングで人気のお店が見られる、おすすめの作家さんや新人作家さんがレコメンドされている、紹介記事もある… あと、食べ物が売っているところや、やはり和風の商品に強いところはとてもいいですね。

しかしCreemaには良くも悪くもクセがあんまりないです。「なんぞこれ…」という出会いがあまりありません。あと、ビンテージ・アンティークには弱い気がします。

Etsyを私が見ているモチベーションに、「バイヤーが高値で売るようなものを底値で買ってやる」というような、底意地の悪い感情があります。日本のセレショだとこれ1万円以上で売ってない…?というキリムとかが、「私は交通事故で親を亡くし、町で小さなテーラーをはじめました」みたいな(嘘かホントかよくわからない)プロフィールとともに、原産地から売られているのがEtsyのいいところです。そういう、「現地の人があんまり規制なく売ってます」みたいなところに惹かれるので、Creemaは私にとってはちょっとクリーンで便利すぎるかな、という感じです。

 

それにしても、せめて人気ランキングとか、今日の編集者のおすすめ作家記事とか、そのくらい出してくれよEtsy… なんでいまだに地名検索がPCでしかできないんだ!!日本版つくっている方もっとがんばってくれ!!

 

 

……ということで4回目、いかがでしたでしょうか!Etsyで買ったものや見つけたものは、TwitterやInstaでもたまに流しているので、よかったらご覧ください^^ 

kobeni 08さん(@kobeni) • Instagram写真と動画

こべに🎠 (@kobeni) | Twitter

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これ、さいきん買ったやつ


Etsyはお気に入りのお店が見つかるかが命、みたいなところがあるのですが、一緒に楽しむ人が見つからず、ずっと孤独な思いをしています… もし私もEtsyやってます!という方いましたらフォローしてください。↓私のお気に入りのショップ一覧を見られるようにしています^^

https://www.etsy.com/jp/people/kobeni?tab=shops

 

「イーハトーボの劇列車」を観てきました

(以下、感想ブログです。多少のネタバレを含みます)

私、宮沢賢治が好きで、花巻にも何回か行っています。この舞台、松田龍平さんが宮沢賢治役…なんて俺得!よく舞台で拝見している役者の方も名を連ねている。演出は長塚圭史さん。脚本は井上ひさしさん!ということで、ちょっとチケット高かったのですが観てきました。ちょうどドラマ「けもなれ」が放映されている最中にチケットが発売されたので、割と衝動買いしてしまいました。

新宿紀伊國屋の上にホールがあるの、実は知りませんでした。観劇はじめたの最近なので…ここで三谷さんや鴻上さんの舞台もたくさん上演されたのだそうですね。「ホントにここ、紀伊國屋の上…?!」感がすごくてビックリしました。だって、かなり広いんですよ。屋根裏がめちゃくちゃ広い家みたいですね。

13時半から観始めて、休憩を挟み、終わったのが17時だったので、3時間15分?けっこう長かったですねえ。でも、飽きずに観られました。これは「評伝劇=評論を交えた伝記を、劇にしたもの」なので、宮沢賢治の一生を、脚本家の井上ひさしさんが解釈を加え、劇にしたもの。ということになります。

私は、賢治の一生については、割とざっくりではありますが前知識がありました。観ていて、既に知っていることも多かったですが、それでもすごく楽しんで、入り込んで観ることができました。(よく知らない人には当然、親切につくられた脚本です)それは井上さんの、賢治に対する解釈の特徴と、脚本の構成上の魅力に依るものかなと思います。もちろんそれに加え、演出や役者さんのお芝居の力も素晴らしかったです。

 

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宮沢賢治の衣装は、着物にマント、詰襟、山高帽にスーツ…。素敵ですよ!

 

◆「デクノボー」が強調された宮沢賢治像

宮沢賢治は、私にとって「文学と科学の両方に興味関心を寄せ、それらの知識と持ち前の感受性によって、美しい言葉を紡ぐ人。人類愛にあふれ、利他的にストイックに生きた人」みたいなイメージでした。質屋&古着屋の父親と確執があったことも知っていましたが、なんとなく「父親が俗物なのかな」ぐらいに思っていました。

ですが、このお芝居で賢治は「百姓になろうとしたが、そもそも体が弱くて米俵も運べない(なので仕方なく勉強している)」とか、「『これからの農民は芸術を嗜むべき』と理想に燃えているが、実際は西洋の絵やレコードも父親のお金で買っている」というような、ダメな部分もしっかり描かれます。松田龍平さんの、良くも悪くも棒読みっぽい返答が、いろいろ考えてはいるが周囲となかなか折り合わない賢治のフワフワ感をうまく表している気がします。賢治って実際は、(字ではなく)対人上の感情表現はどんな感じだったんでしょう。文章だけ見ると、「我を棄てるな我を棄てるな我を棄てるな」って友人宛の手紙に書いてたりするので、だいぶ熱苦しく主張が強いのかなと思いますがw  内に熱いものを秘めていても出力がロー、という人はいるので、もしそうなら松田龍平さん、ピッタリだったような気がします。他の役者さんより声もちょっと小さいしw 

賢治は、自分のその中途半端さ、ダメなところを分かっていたんですね。だから「みんなにデクノボーと呼ばれ」とかって書いていたんでしょう。「棒」ってところがすごくいいですね、棒って細いし一本調子だし。「アメニモマケズ」って、自分の誓いのためだけに手帖に書きつけられた文章なんだけど、そこに「デクノボーって呼ばれるような人でありたい」と書いている。あれだけの詩や文が書けるのに、ナルシストに全くならないところは凄いなと思います。「アメニモマケズ」って、作品として「雨に負けず丈夫に生きるための10の法則」みたいに発表されてたらだいぶ鬱陶しくないですか? 道で売ってても私なら買わないですね!自分へだけ向けた言葉だからカッコいいのです。

アニメ「風立ちぬ」の堀越二郎が、飢えた子どもに「そこの者、シベリアを食べなさい」って差し出すシーンがあるのですが、昔のインテリって、自分は市井の人のためになにか成し遂げたいと思っていても、あまりにも育ちや知能レベルが違いすぎて、結局は彼らに近づけない、気持ちを分かることができない。というところがあって、私はそういうインテリキャラ(の苦悩)にちょっと萌えますw  現代でも、「インテリコンプレックス」を持っている人、割といる気がするんですよね。

 

◆冥土へ向かう農民が、劇をするという劇中劇形式

宮沢賢治の一生を表現する劇であるわけですが、「それ自体が劇中劇」という構造になっています。「これは、賢治から芸術を習った私たち農民が、冥土へ行く前にやった劇です」という前置きから始まるのです。

宮沢賢治は生涯を農民(主に東北で、困窮した暮らしを送っていた百姓)のために捧げたいと思っていたのですが、その中で「農民は、農業以外に歌劇やエスペラント語などを学んで、自分の糧・武器にすべき」という理想を持っていました。すっごい雑に言うと、大学出て上京して、東京でライブとか演劇をいっぱい観て刺激を受け、地元にも「B&B」みたいなやつ開いた。的な感じかなと思っています。私はこの、賢治が地元でB&Bやる時の思想を書いた「農民芸術概論綱要(https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/2386_13825.html)」っていうやつがメチャ好きで。初めて読んだ時に「食べるものについては自分たちの住む場所で自給自足しながら、演劇や音楽を発展させようとか、近代都市でも理想なのでは…?」と思いました。演出の長塚圭史さんも「阿佐ヶ谷スパイダースを劇団化したのは、ふだん演劇に携わっていない人にも関われる広場のようにしたいからだった」とおっしゃっていて、その点で賢治の思想に共感するところがあるそうです(パンフレットthe座より)。このB&B的なやつ(=羅須地人会)で賢治から芸術を習った百姓が、自分たちの伝えたいことを「演劇」という形に結実させた、という形式になっているわけです。素敵。

劇中に「思い残し切符」というのが繰り返し出てくるのですが、これがまたとても印象的なモチーフで…。農民たちは賢治の「思い残し」を受け取って演劇をした。そしてまた自分たちの思い残したことも、天上へ行く前に、まだ生きている人たちに、劇として渡していく。ということですね。

銀河鉄道ってそういう人々を乗せたSLなのかなと思うと、なんだか胸がギュッとなりますね…。しかも、賢治の故郷は東北です。

「農民芸術概論綱要カッコイイ!」と私は思っていたのですが、この劇を観て、なるほどこれが、当時本当に地元の農民たちに受け入れられていたのかは怪しいな…。と思いました。賢治は当時、エスペラント語(母国語が異なる人たちが共通して話せるようにと作られた、たいへん夢のある言語)に熱中していて、「エスペラント語なら世界中の農民と話せる!!」とかって授業をしていたらしいのです。でもそれって、仕事がなくて、今日の食い扶持を考えるのにも精いっぱいな人たちに向かって、「みんなが同じ言葉を話せれば戦争はなくなるよ!」「きっとこの世界の共通言語は英語じゃなくてエスペラント(希望)語!!!」とか言っているような感じというか…。理想主義的すぎる賢治を批判する一説も何度か出てくるので、それもこの演劇の魅力だなと思いました。

 

◆演出カッコいい

長塚圭史さん演出の舞台を観るのは今回が初めてでした。私は堺雅人さんのファンなのですが、堺さんは早大の演劇研究会出身なのですね。同じ頃に早大に入学した長塚さんは、劇研の練習風景(大隈講堂の前でジャージ姿で発声練習とかする)を見て、「えっぼくこういうのはちょっと…」って思って、劇研に入らずに自分で劇団をつくった …らしいのですw そんな、私の推しをダサいと思った長塚さん(言い方…)の美意識ってどんな感じかなと思っていたのです。(そう考えると「Dr.倫太郎」の配役は絶妙ですばらしいですね!余談すぎるほどの余談)

演出はとても粋な感じでした。舞台のほとんどの音を、役者さんたちが口でやっていますし、舞台セットも、役者たちが自分で運んできます。音は賢治が残した擬音、「どっどど どどうど」みたいなやつを使っていたりします。あと、衣装も素敵でしたね〜。特に車掌さん。車掌さんが思い残し切符を渡して行くとき、チリーンって鈴がなるのも良かった。

 

お芝居でいうと、松田龍平さんのデクノボー感に加え、二役をこなされた役者さんが多いことから、本当に農民たちの手作り劇を観ているようでもあり、一方でやはり熟練の役者の舞台感もあり。山西惇さんの、お父さんと警官がとても良かったです。賢治の存在と、うまく対になっている感じがしました。

 

 

私たちは賢治から、先に逝った人たちからどんな「思い残し切符」を受け取っているのでしょう?この世で私は何を果たして天上へ行くのかな。

東京は24日まで、地方もこのあといろいろまわるみたいです。良かったら観てみてください。

…というかGoogle翻訳、すごくない?

 

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http://www.komatsuza.co.jp

 

 

「小一の壁を乗り越える!」東京都パートナーシップセミナーの講師をしました

既にTwitterなどでは何度も告知させて頂いていたのですが、11/17に東京都の女性活躍推進事業「パートナーシップセミナー」という企画で、3回シリーズの3回目「ふたりならきっと大丈夫!小一の壁を乗り越える」セミナーの講師をさせていただきました。

 

www.metro.tokyo.jp

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※ちなみにたまたまだけど1回目の講師だった平田さんには、私も夫婦コーチングしてもらいに行ったり、インタビューさせてもらったこともあるのだ

夫婦コーチング の検索結果 - kobeniの日記

 

そもそもなぜ私が「小一の壁」なのかというと、以前にリクナビNEXTジャーナルに3回ほど「小一の壁」関連の記事を寄稿したことがあり↓ それを見てくださったことが大きかったようです。

 

入学後にそびえ立つ「小1の壁」、ワーキングマザーはどう立ち向かう? | リクナビNEXTジャーナル

「小1の壁」を取り巻く、企業・地域・家庭・PTAに変わってほしいなと思うこと | リクナビNEXTジャーナル

「小1の壁」と在宅勤務 ―― 仕事を「子どもが過ごす場所」に近づける | リクナビNEXTジャーナル

 

お話をいただいたのは今年の春のことで、なにぶん初めての講師の依頼にとても驚いたのですが、私がワークライフバランス・カフェ(働く親で集まって情報シェアしたり、講師を招いて講演会&その司会をやったりしていました)の活動をしていた頃から知っていてくださった方々からのお声掛けで、大変光栄でした。「パートナーシップセミナー」は、基本的には「夫婦ふたりで、子育てや家事のもろもろに向き合う」といった趣旨のため、かならずご夫婦で参加いただく企画です。「小一の壁」も、もともとは「ワーキングマザーが仕事をやめるきっかけになってしまう」環境変化というものが語源というかルーツになっていて、どうしても母親ひとりで悩んでしまう問題なのですが、このセミナーは「夫婦で考えよう」という趣旨でした。それは私がもともとの記事で意図していたこと・メッセージしていたことにも近く、とてもコンテンツを作りやすかったです。

最初の約1時間は講義、休憩を挟んで残りの1時間は主にご夫婦&会場にお越しの皆さん同士でディスカッションをして頂いたり、発表をして頂きました。

 

このセミナーの意義についていろいろ考えていたのですが、そもそも保育園/幼稚園と小学校は、環境がだいぶ異なるけれど、子どもが保育園にいる頃に小学校のことを知る機会が意外とない(割と断絶されている)のですね。たとえば小学校一年生が「理科や社会はまだ始まらず、基本的に国語と算数を学んでいる」とか、「学校行事があったら振替休日がある」とか、意外と保育園時代には知らないんですよね。実はちょっと調べれば全然わかるのですが、毎日忙しくて調べる機会があまりない。ただ漠然と(小学校入学を前にして)不安がある。なので、こういったセミナーで、一気に整理して考えてしまっておくとラクだなって思うんです。当日がそういう機会になっていたら良いなと思いました。なんか、「仕事みたいに」整理する。っていうのを私が代わりにやります、といった感じでしょうか。

 

お父さんが「おべんとうづくりの時短方法は…」って質問してくださったり(「最近の冷凍食品すごいですよ、凍ったまま入れておくと昼にいい感じに溶けるやつとかあるんです」っていう、身も蓋もない回答をしてしまいました)「これが大変だよ!」エピソードによくある「図工で牛乳パック持って来いと言われるのが急で困る」みたいなお悩みに、「図工の教科書を先の方まで読んでおいて、空きカンとか牛乳パックを用意しておく。情報は自分で取りに行く」と宣言してくれたお父さんがいたり、なんか最近のお父さんすごく頼もしいわ……と思ったりしました。

しかし一方で、お子さんの病気などがあったのか、お母さんだけのテーブルがあり、そこの方々にお話を聞くと、「(夫と)一緒に悩むという感じに持っていくイメージがつかない」「私ひとりで悩むことになりそう」などといった不安の声も聞かれて、むーんという気持ちにもなりました。なぜ人によってこんなに温度感が違うのかしら…

 

あと、託児は抽選だったこともあり、お子さんが席に同伴でお越しになる方もいたのですが、私が自分の保育園のイベント用につくった塗り絵を置かせてもらったら、けっこう子どもたちが塗ってくれていて、良かったですw 退屈しないで過ごせたかな。

 

当日は30-40人くらい?の方々に来ていただき大変嬉しかったです。質問を頂いても歯切れよく答えられなかったものもあり、次があるのかわかりませんが、もっと勉強しなきゃな…とも思った一日でした。いずれにせよ、初めての新しい体験ができて、私にも学びがいっぱいあり、今年の大きな思い出になりました。お越しいただいた皆様、セミナースタッフの方々、ウィメンズプラザの方々も皆様ありがとうございました!

 

 

 

東京都ウィメンズプラザはこのあと「パパママサミット」というものも行うそうです。こちらもよかったら覗いてみてくださいね!

パパママサミット2018

www.facebook.com

当日の内容をウィメンズプラザさんが出してくれたものです~。

www.facebook.com

 

当日のスライドを一部だけ抜粋したものです

docs.google.com


 

「半分、青い。」のここが好きでした

 

 

半分、青い。」が終わった。久々に完走した朝ドラだった。もともと朝ドラの中でも現代劇が好きなので、今回も楽しみにしていたんだけど、想像以上に好きなところが多いドラマだった。

 

 

 詩的表現、少女漫画的エッセンス

 

観始めた頃、最初に気になっていたのは、会話あるいはモノローグに、詩のような表現が多く含まれているということだった。「モノローグに詩的表現が多く含まれる」は、少女マンガによくある手法だ。なのでかなり早い段階で、「このドラマは少女漫画だ」と思いながら視聴していた。

まず登場人物たちの名前が美しい。口に出した時の音がとてもキレイだ。楡野鈴愛、萩尾律。鈴愛の娘の名前は花野。この音と漢字のチョイス、子どもの名づけをしたことがある人なら「上手い…」と感じるんじゃないだろうか。母の名前は晴、父の名前は宇太郎。これはおそらく「どう呼び合うか」の音の方から決めたんじゃないだろうか。「ハルさん」「うーちゃん」と呼び合う夫婦は、岐阜の田舎に住んでいる割には現代的で自由な風が吹いており、地元出身じゃなく県外からやってきた人たちなのかなと感じさせられる。この二人ならあまり画数に拘ったりせず、「鈴愛」という名前を娘につけてもおかしくないだろう。

笛の音で恋人を呼ぶ。ゾートロープ。川を挟む糸電話。もはやモチーフそれ自体がとても少女趣味である。もちろん、いい意味で。

 

「律の心の真ん中は、遠いのかもしれない」

「(落ちてきたバドミントンの羽根に)手の中に雛鳥がいるかと思った」

高速バスで東京に向かう時、後ろの窓に息をハーッと吹きかけて「大好き」と書く。

 

毎日ひとつ、日常の中でなかなか聞けない小さな詩を受け取っているようで、それがとても新鮮だったし、楽しかった。

鈴愛は、くらもちふさこがモチーフになっている少女漫画家、秋風羽織に弟子入りをする。私は学生時代、お金がなく古本屋でくらもちふさこの漫画を探したくさん読んでいたので、これは嬉しい再会だった。

 

 

 主人公の出身地が岐阜

 

脚本家の北川さんの出身地が岐阜県ということで、幼少期の舞台は岐阜である。私は父の出身地が岐阜で自分は名古屋生まれ・名古屋育ち(その後、17歳で上京しました)なので、その点でも「懐かしい…!」と思うことがたくさんあった。五平餅は小さい頃によく食べたし、さるぼぼも家にあった(なんで顔がないんだろ…というのはずっと思っていた)。「やってまった(やってしまった)」も「まーかん(もうだめ)」も、「ありがと(が、にアクセント)」も、名古屋でも言うし、「(そうでしょ?の意味の)ほやらー?」に至っては、「うわっ!おばあちゃんが言ってた!!」と、本当に懐かしく感じた。

 

最後の方に出てきた台詞「岐阜県人は借金が苦手です」も、けっこう笑ってしまった。なんとなくわからなくないというか、岐阜は山に囲まれた場所で、おっとり質素に暮らしてる人が多いイメージがあり、北川さんの岐阜への愛を感じたりもした。大きな川や山々を見晴らす高台など、美しい自然がたびたび作中に登場したが、私も父と岐阜の川で、水面に小石を飛ばす「水切り」をやったことがあった。岐阜に、久しぶりに帰りたいなと思った。私も梟町に行ってみたい。以前、今も岐阜に住んでいる叔父さんに会った時、叔父さんが「蛍いっぱいおるよ。駐車場の電気のとこに」と言っていた。鈴愛と律はそんなところで、自然の風を毎日浴びながら育ったんだよな…と、しみじみ思う。

 

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チャーミングなキャラクターたち

 

「半分、青い」には、100%カンペキな人は出てこない。どの人もどこかに不完全さがある。鈴愛は主人公で、夢を見る力やそれに向かって進む強いエネルギーを持っているが、あまり空気が読めないし、時々人の気持ちにズケズケ入り込んでしまう。鈴愛の幼なじみの律は、めちゃくちゃイケメンなのだが、自分に自信がなくとても傷つきやすい。うーちゃんは明るくてムードメーカーだけど少年っぽすぎる時があるし、晴さんはいつも娘を第一に考えるけれどそれ故に心配性すぎるところがある。初登場の時、肩に仔猫を乗せて登場したまぁくんは、優しいけど女たらしだし、鈴愛の夫になった涼次は、感受性が鋭く気持ちをまっすぐ言葉で表せる男だが、「家族は邪魔になる」と、なんと鈴愛と娘を捨てて自分の夢の方をとってしまった。……ザワつく。ひたすら心がザワつく、でもその多面性のある描き方故に100%嫌いにはなれない。どの人も「本当にいるんじゃないか」と思えたし、欠点も次第に可愛げに見えてきて、愛おしく感じられた。

毎日ドラマを観ている者としては、そこに登場する台詞や行動で、その人がどんな人かを想像するのもひとつの楽しみなのだが、このドラマはそういった想像のしがいがあった。最初からぜんぶ分かるようには作られておらず、徐々にその人物の別の面が顔を出すので、「そんなこと考えてたの…?」「そういう人だったのか…」など、いちいち驚きながら、自分の中のその人像を上書きして観ていた。

 

特に律。大学時代は鈴愛が「律のことが好きなのかも」と言っても、「俺は青春を謳歌したい」とかいうふざけた理由で別の美人女子、清(さや。※弓道部。弓道部ですよ弓道部。ヒロイン感すごい)と付き合っていた。そこから長い時間が経って、鈴愛と律は社会人になり居住地すら東京と大阪に別れてしまう。そしてある日、地元の岐阜で会った時、律はとつぜん「鈴愛、結婚しないか」とプロポーズする。その日の私のツイートがこれである。

 

 

 

 

この日から私の中で律=秒速5センチメートル男、というラべリングがなされた。つまりどんなに他の女と出会っても実は心の中で鈴愛だけを想っている、そしてその感情をごまかしごまかし、生きている。出す宛のないメールを書いては消し書いては消し、「こんなとこにいるはずもないのに」とつぶやく。大変面倒くさい。正直、巻き込まれたくない。

だがそんな律が、ついに鈴愛にキスした後すら「鈴愛のテンションに任せるよ」とか寝言をほざく律が、最終回ではなんとか自分を奮い立たせ「鈴愛を幸せにできますように」と伝えることができた。唐突なプロポーズから最終回までの間に、律がどんな人間であるか分かるエピソードが、ちょいちょい挟みこまれた。そういう中で私たちは、このロンリー・センシティブ・内向的エンジニアボーイ萩尾律の成長を、ハラハラしながら見届けることができたのである。いや本当によかったな萩尾律。秒速5センチメートルじゃなくて「君の名は。」的なエンドルートで終わることができて。がんばったよお前。…あれ、なんの話してたんだっけ。

 

鈴愛から見た律は、右往左往しながらも、最終的には自分を選んでくれた最高の王子様であったが、その右往左往に付き合わされた脇役(元カノの清と、元妻のより子)が自分だったらと考えると、だいぶイヤだしサッサと新しい男を上書き保存で次行こ、と思ってしまう。ということで、この二人が律を過去の男としてやいやい言い、今はまったくご機嫌にやってるよ、というスピンオフが観たいと思っています。

より子「結婚式にさあ、花束贈られてきたんだよ」

清「えー?信じられない」

より子「しかもすごい立派で(笑 なんか、相変わらずだなと思ったわ」

とか言いつつ。

 

 

 

「ものづくり」に挑むこと、夢の追い方・諦め方

 

脚本家の北川さんは今回、かなり自分の身を削ってお話をつくられていると思うのだけど、中でも「漫画家」や「エンジニア」という、何かをつくる仕事の楽しさ・やりがいと、一方の厳しさ・残酷さみたいなものを、おそらくご自分の経験を基に、真っ向から描いてくれていた。ここがいちばん、私の心に響いた部分だった。

鈴愛は漫画家を「ぜったい天職だ」という気持ちで目指す。実際鈴愛は、シーンに関してはとても独創的に思い描くことができ、才能はあるはずだった。けれど、ネーム(物語)がどうしても思いつかず、漫画家を続けることが苦しくなり、その道を諦めてしまう。

鈴愛が漫画を描けなくなって、師匠の秋風先生に「どうして今までみたいに、私に描けと言ってくれないんだ」と言って感情を爆発させるシーンのことを、星野源が「いちばん好き」と言っていた。ゼロからイチにする作業というのは、どんな内容であれラクではない。産みの苦しみ、というようなものがある。私は、鈴愛ほど純度の高い創作をしてはいないので、「描けない!!!」と切羽詰まったことはない(なんとか形にしてしまって、世の中に出してしまったことが多かったと思う)が、仕事をしていて「これは、努力しても、これ以上良くはならないかもしれない…」「良くするためには、もっともっと時間が要るような気がする…もうダメだ」と思ったことがあり、その時の、自分に対する残念な気持ちはなんとなく忘れられないでいる。

 

鈴愛が漫画家を諦めるあたりでは、多くの現役漫画家さんが「あきらめる必要なんかない」「努力すれば物語だって描けるようになる」と言っていた。それは、私もそう思う。でも一方で私は、もしかしたら現実に、「神様にNOと言われる」という、そういった残酷なこともあるのかもしれないと思った。それは、この物語に初めて教わったことだった。

鈴愛が感情を爆発させるシーンも好きだが、ユーコが、「『お前じゃダメだ』と(神様に)言われるとしても、手を伸ばしてもがく、それが人生じゃん」と言った回は、観ていたら涙が出てしまい、とても驚いた。そして私が、「向いていないのでは…」と、何度も疑念を抱きながらも仕事を続ける中で、たくさんの同僚女子が辞めていったことを思い出した。彼女たちの中にも、本当に様々な葛藤や諦めがあって、そこに至ったのかもしれない。私は私自身のことを「何かになった者」だとも思うし、「なれなかった者」だとも思っている。そう考えると鈴愛の挫折は、クリエイターだけでなく多くの人に響いたのではないか、という気がした。星野源のようなトップクリエイターすら、あの挫折に共感しているのだ。

 

しかも、そこから、鈴愛はなお積極的に生きようとした。もしかしたらムリをすれば漫画家を続けられたかもしれないが、「私は、自分の人生に、晴れの日を増やしたい」と言って、非常に前向きに、諦めた。強がりだったとしてもその生命エネルギーには感嘆したし、その後、彼女が新しい夢に向かって挑戦していく姿も清々しかった。「あまちゃん」も、海女→アイドル、と、途中でなりたいものが変わった朝ドラだったが、鈴愛のように、「一度は何かになり、挫折して、さらに別の何かに挑戦する」というストーリーも、私にはとても新鮮だった。

 

 

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病気や死とどう付き合っていくか

 

北川さんが難病の重い症状を抱えて、それと共に生きつつ書いていたドラマだったせいなのか、このドラマでは容赦なく人が亡くなった。律の母親である和子さんや、鈴愛の祖父・祖母、そして鈴愛の親友であるユーコ。

私は5年前に母を亡くしてから、死生観がだいぶ変わった。母の死が最も「身近な死」ではあったのだが、このドラマの病気や死(母親の死も含まれる)の扱い方は、非常にリアルだと感じた。私と同世代の友人たちは、まだ両親が健在だったりする人も多く、私はどうやら「ちょっと早く」親の死を知ることとなったようだ。

そのように、「はからずも身近な人の死に早く直面せざるを得なかった」人は、実はたくさんいる。そして、その気持ちはなかなか他人と共有できない。家族とすら難しいのだ。「亡くなった人と自分」の関係性が一対一である以上、他の人に分かってほしいと思っても無理なのだ。だから人は、実はそういった死について、ひっそり心の奥の方に抱えて、生きている。

 

律が和子さんを送った描写については、ただひたすら本当にリアルだった。「何をどうしていいかわからんくて」と言った律の気持ちは痛いほどわかったし(「余命このくらいです」と宣告されてからの時間は、正直家族にとっては焦りと悲しみで息つまる日々である)、そんな律の気持ちを慮って「苺を買ってきて」とワガママを言ってあげる和子さんの優しさも、痛いほどわかった。ただ、律は、「僕はあなたの子で良かった」を、キチンと伝えることができて本当に幸せだったと思う。死なれてしまってからでは、何も伝えることができないからだ。

 

震災描写は賛否両論あったようだが、先に書いたように「はからずも身近な人を、早く亡くした」人は実は本当にたくさんいる。このドラマではそんな人たち、どこか心の奥底で「まだ悲しみ足りない」と思っている人たちに、(誰かの、あるいは自分にいずれやって来る)死との付き合い方について、メッセージしたかったのではないかと思った。

それを受け取るかどうかは、私たちの自由ではある。

 

 

 

 

よくもわるくもクセがたくさんあって、続きが気になるし時々泣かされるし、変てこりんでおもしろい半年間だった。一方で、脚本家への極度の誹謗中傷が流れたり、明らかに作品を貶めるタグが公式タグと混ざって使われたり、特に終盤の視聴体験は本当につらかった。ドラマ好きとしては、そういったことが今後ないようにと願う。

私は、たくさんのものを受け取りました。たのしい半年間を、ありがとうございました!

 

 

 

 

そういえばノベライズがすごく面白いです。TVではけっこうカットされてしまったシーンもあるし、心情描写がキャラクターたちの台詞の行間を埋めてくれます。

 

半分、青い。 上 (文春文庫)

半分、青い。 上 (文春文庫)

 

 

 

半分、青い。 下 (文春文庫)

半分、青い。 下 (文春文庫)

 

リツ〜!リツのフォトブック、欲しい。

 

 

 

 

 

東京医大のことなど 最近のワーキングマザー雑感

先日、会社の働き方セミナーみたいなものに、ママとして呼ばれて参加しました。その時に、久しぶりに後輩ママに会って、ゆっくりランチをしました。

 

私たちは今からちょうど10年前~7年前くらいの間に、第一子を出産し、復職した者同士だったのですが、その後輩の話を聞いて「えっそんなことがあったの」と驚いたことがいくつかありました。私と彼女はまったく違う部署、遠く離れた拠点にいたので、私に相談しようとは思えなかったのでしょうが、そんな風に辛かった時に、話を聞いてあげられなかったのは残念なことだったな…と思いました。

 

具体的には、当時の彼女のキャリアにあまり関係のない、まったく新しい仕事で配属になったということ(そんなこと私以外にも起きていたんか)、そのせいなのかどうなのか、彼女にあまり仕事がなかったこと(なにそれ)、そこにいる人たちの嫉妬らしき感情を受けてチームメンバーに無視されていたこと(あるある…)、上司から「時短だけど、あなた成長する気とかあるの?」といったニュアンスのことを言われた(大変失礼)…などです。

二人でいろいろ考えて、「とはいえ最近だとこういうことは少ないのではないか、当時は今よりもっと、復職する人の扱いが、会社全体として『雑』だったのではないか」という話になりました。

たとえば、正社員だった人が復職したらざっくりアシスタント扱いになるとか、そういうことも当時は普通だったと。

彼女は今、管理職になっていて、その当時の働くママに対する過度なマイナス評価で、今も慣習になっている部分を是正すべく、部下のワーキングマザーの地位向上に努めているそうです。

 

そういえば私も、それまでと全く無関係な職種に復帰したのですが、今考えれば、その部署・新しい仕事が割と「男性社会」だったことと、その結果・その後の帰結は無関係じゃなかったのではと思います。

(もしその部署に、今は管理職の彼女のような人がいたら、私の配属は「なんかおかしいのではないか」という話になった気もするんです。そんな配属、会社から見てもリソースの無駄としか思えないし。でも、特になかったんですよね。当時よく男性の同僚に、「お前にそんな(これまでやってないような)仕事できんの?w」と笑われたりはしましたが、一方で「まあ、子どもいるんだし仕方ないよね」という扱いも受けていたような気がします--私自身は『仕方ない』なんて全く思ってなかったのですが--。一緒に怒ってくれる男性の同僚は皆無でしたし、女性でも、同じ思いで「なんとかしな」と言ってくれた先輩はひとりでした)

 

フレックス勤務やリモート勤務もだいぶメジャーになってきた今では、お母さんになって復帰する人=場所や時間に制約がある人 ぐらいの扱いに変わってきた会社も多いのではと思います。でも、私の経験上、ほんの少し昔にさかのぼるだけで、「保育園にお迎えに行く必要がある」我々は二級・三級労働者扱いをされていたのです。

…ってことは、当然、今もまだそういうところがあるのだろうと思いました。

 

 

「夕方お迎えに行かなきゃいけない」「子どもが熱を出したら休まなきゃいけない」ということ以外は、職場での能力などに大きな変化はないのに、一気に「戦力外」のような扱いをされた時の、「仕事をやる気の人」の気持ちを想像してみてほしいなと思います。

時間が短くなっただけなんですよ。主に。

 

そういう当たり前のことを、いま一度見つめてもらえたら。同僚だけでなく、仕事相手・取引先や、クライアント、発注先にそういう人がいることもあると思うんですけどね。

 

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東京医大の件を、NHKの7時のニュースが取り上げていました。かつて「部下の男性医師に管理職のポジション譲れ」と言われて、本意ではなかったがその地位を譲った女性医師(3人の子持ち)が、少し涙しながらその経験を語っていました。

医大の不正入試の件は、もはや受験生にまったく関係がなく、この「働くママは二級・三級労働者なので要らない、扱いづらい」という考え方のみ完全に直結している話です。なのでこの医大の件は私に、ここまで書いてきたような「理不尽じゃないか」という気持ちを、フラッシュバックのように思い出させる機会となってしまいました。

 

同じ扱いを受けても、「仕事しながら子育てなんて大変だから、働きやすくしてくれたんだ、うれしい」と「配慮」にとらえるお母さんもいるかもしれませんが、そうやって「思い出すだけでちょっと涙が出てきてしまう」経験になっているお母さんもいるわけです。

 

10年前よりは、なぜ「涙が出てきてしまう」になるのか、かなり分かってもらえるようになってきたのが、今ではないか。「もっと働くママに寄り添ってほしい」と言っても、「うん、正論だね」のひとことで終わりにされるか、真摯に取り組むべき遺憾な事実ととらえてもらえるかは、実は時代によって大きく変わってしまうことを痛感しています。

たとえば原理原則が法律や会社の規則に書いてあっても、社員・風土・世論などそこにいる人の受け止め方が違えば、結果はまったく変わってしまう…ということです。

 

 

最近、「育休を取ろうとしたら、『復職した時に降格させる』と会社から通達され、

そのことをおかしいと訴えて、結果的に降格はなくなった」というツイートをしているパパを見ました(良かった)。

パパがSNSでこんな活動をしていて、しかも正当性が認められているなんて、もう本当にすごいと思う2018年。2009年頃からTwitterやってて今、そう思う。

 

 

新しい風や新しい世論をつくっていってくださった皆さんに感謝すると共に、もし周囲に理不尽に涙をしている(しかけている?)お父さんお母さんがいたら、一緒に戦ってあげてほしいと切に願っています。すぐそばにいる人が、いちばん力になれます。

 

 

その場その場に「仕方なかった」といった選択があったとしても、全員が泣き寝入りすると、最終的に東京医大の件みたいな、悲惨で、情けなくて、自分の子どもたちに全く説明できないような帰結になるんだと、しみじみ思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

舞台を観るのが好きです/「切実」を観てきました

早稲田どらま館でやっていた「切実」という舞台を観てきました。

男性3人のお芝居で、およそ60分の短い作品でした。シリーズで3年おきぐらいにやっているみたいですが、私は今回はじめて観に行きました。去年から、観劇にハマっていて、中でも小さめの劇場に行くのが好きなのですが、この作品は脚本が「バイプレイヤーズ」などのふじきみつ彦さんだったからと、「どらま館」に行ってみたかったこともあり、告知が始まった頃からずっと気になっていました。行こうかどうしようか迷っていると、残席ありますのツイートが流れてきた&おっさんずラブ脚本の徳尾さんが観に行かれたみたいで「おもしろかった」とツイートされていて、オンラインでサクッとチケットを取りました。

めっちゃくちゃ暑い1日だったけど、とても面白かったので行って良かったです。端的に言うと、「けっこう笑えて、旬なテーマで考えさせられる」という内容で、派手な演出とか超有名な役者さんとかはいないけれど、この内容で3000円は安い。たった1時間なのに、終わった時、もっと長いこと劇場に居たような感じがしました。

もう公演が今日で終わっているので、そこそこネタバレしますが、

子どもの登下校を見守る「見守り隊」隊員の日野さんというおっさんと、見守り隊の会長であるおっさんと、子どもを見守られている保護者のうちの一人であるおっさんが、放課後にその娘さんの誕生日会について話をする。というような内容です。日野さんはおそらく40代の、独身男性なのですが、子どもが大好きで、お誕生日会に向けて「おどるポンポコリン」をピアニカで弾く練習までしていたのに、恵里奈ちゃんだか優梨奈ちゃんだかのお父さんが、「昨今の情勢に鑑みてあなたのことはお誕生日会に呼べません」って言うんです。

 

「おっさんが3人で話をする」と書くと、バイプレイヤーズみたいに、あんまりハッキリした起承転結がない(意味を持たない)ように聞こえるかもですが、このお話は一時間の中に無駄が全くない、美しい起承転結で書かれているように感じました。前半で日野さんが一人で、会長さんを待ってる描写があるのですが、自分の汗をふいたタオルの匂いを嗅いだりしておりw 「ちょっと…」っていう感じのおっさんではあるのだが、ちっさいピンクのピアニカで「ヘビーローテーション」の練習をし出したりするので、「この人は…憎めない感じのおっさんなんだ…」と思わされます。そして後半の「お前は犯罪者の予備軍っぽいのでお誕生日会には呼べない」という話に繋がっていきます。


恵里奈ちゃんだか優梨奈ちゃんだか(名前こんなような漢字だよおそらく)のパパは、VERYで言うところの「イケダンみ」のある男性なのですが、子どもを巡る昨今の犯罪に鑑みて、

 

「実は私…見守り隊を見守っています

見守り隊を見守り隊の隊長です」

 

みたいなことを言い出します。見守り隊を見守り隊。さあどうなる恵里奈ちゃんのお誕生日会!!

 

 

 

 

全体的にコミカルなので、楽しい時間ではあるものの、テーマ的には「この、独身中年男性を雑にラベリングして差別する社会どうなの…」とか、「じゃあ実際に、近所に日野さんみたいな人がいたとして、日野さん、子どもの写真撮ってブログにあげたりして迂闊すぎるけど、悪い人じゃないよって説明してまわれるんだろうか私…」とか、いろいろ考えてしまいました。ね、「切実」でしょ。
(私、中年男性の切実さを描いた舞台って大好きなんです。赤堀雅秋さんのとかね)

 

 

ということで、「けっこう笑えて、旬なテーマで考えさせられる」私にとってはすっごい上質な一時間だったのでした。

 

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◾︎ 映画でもTVでもなく「舞台」って、何がいいのかな

 

最近、下北のスズナリや本多劇場東京芸術劇場などいろいろ行っていますが、大小問わず「舞台」が好きだなあと思い始めています。それはなぜか。


一番は、目の前で今、真剣にお芝居されると、こっちももの凄い集中力になってしまうということがあります。もしかしたらハプニングがあるかもしれない、というようなことを空間全体で予感しながら時を共有してるのでしょうか。事前に絶対にトイレ行っておかなきゃいけないな、という点だけ取っても大変なのですが、どうもその緊迫したライブ感がいちばん好きみたいです。
小さい劇場だと、当日券とか、遅めにチケットを取った場合、逆にいちばん前に通されるんですよ。私は「切実」もいちばん前の席だったのですが、役者さんと目を合わせないように、ときどき俯いてましたw でもいちばん前、楽しいです。

 

それから舞台って、TVや映画に比べて、商業的な成功をそこまで見越してない小さめの公演もあります。今日の「切実」も、たぶん円盤にはならないんじゃないかな。でも、だからこそ、「いらない(ど派手な)演出がない」です。行間読みとる力もそこそこ試されます。CMも入らないし。しかし脚本と演出と俳優陣は一流なわけです。脚本とか演出とかキャストとかで、だいたい自分好みかどうか予想できるので、「つまんなかった」「損した」と思うことがない。


映画やテレビは、原作があったり、撮影期間がずっと前だったりで、「めちゃくちゃ旬」が難しかったりすると思うけど、舞台は「なんだかすごく旬(なテーマ)」と感じることが多いです。それを、コンパクトに見せてもらえるのがとても好きなところです。

あらためて舞台ってすごいなあと思うのが、たとえば小さいステージだと、そこに「ファミレスの机と椅子」があって、「ガストで相談する話じゃないと思うけどね」の台詞が一言あるだけで、もうそこがガストにしか見えない、見えなくなるっていうことなんです。
今日の舞台も、木とベンチしかなかったんですが、私はもう学校の近くの公園でおっさん3人が放課後の見守りについて話しているようにしか見えなくて…
物語と、演出と、役者さん達の流れるようなお芝居(本当に、流れるようなお芝居だった)だけで、この何にもない空間でここまで人を引きつけることができるんだな、と、今日もしみじみ感動してしまいました。

 

 


演劇はたのしいなあと思っているので、今年から本格的な観劇ヲタになろうと思います。もちろんドラマや映画も観ますけどね。できるだけ感想を、絵や文章で、Twitterかブログに残していこうと思っています。

 

そういえば先日、中央線を待っていたら、「あの人ぜったい見たことある」という役者さんが同じ車両に乗っていました。恥ずかしくて声をかけられなかったのですが、東京にはたくさんの劇場があって、今日もたくさんの物語がつくられ、上演されてるんだよな、と思いました。観に行きたいと思った時に、今回のようにサッと行ってしまえるところが、東京に住んでいて良かったなあと、強く思うところです。

 

 

 

 

切実

 

fujikimitsuhiko.com