kobeniの日記

仕事・育児・目に見えない大切なものなどについて考えています。

「ビルド・ア・ガール」で考える90年代ロック・シーンと音楽雑誌

夏からずっとCornelius(小山田圭吾)のいじめ記事炎上の件について考えている(何のことか全くわからない方は、この記事のふたつ前から読んでみてほしい)。今はプロのジャーナリストの中原一歩さんが、関係者に取材などを行って週刊文春にてレポートしてくれているため、それが最も重要な情報であり、私ができることは特にない。ただ、本件には様々な問題が絡んでいるため、いつもいろんな観点から考え事をしており、そんな中で公開されたひとつの映画ー「ビルド・ア・ガール」(How to build a girl)が気になって、観に行ってきた。そこそこのネタバレは含むが、あくまで映画のワン・エッセンスにしか言及していないのでご安心を。

 

 

舞台は93年のイギリス、主人公は16歳の女の子

時は1993年、イギリスは失業率が10%を超える不況に見舞われていた。主人公のジョアンナ・モリガンは、イギリス郊外ウルヴァーハンプトン生まれの16歳。労働者階級に生まれ、家族7人で公営住宅に暮らしている。学校では「イケてる」グループに憧れつつもそこには入れず、それどころかバカな男子たちにからかわれたり追いかけられたり。なんとかこのど田舎から出て、もっと新しい人生を切り開きたい!今とは違う自分になりたい!!という気持ちを抱えながら地元の図書館に入り浸っている。

エミリー・ブロンテなどの古典文学を愛する彼女の特技は唯一、文章を書くこと。自作の詩が入選し、テレビに出て朗読することになったのに、そこでも大緊張して失態を犯し、せっかくの晴れ舞台が黒歴史となってしまう。

そんな中、ロック好きでZINEも作っている兄のクリッシーに勧められ、「D&ME」という音楽誌にレビューを投稿する。それが彼女の、自分探しの第一歩だった。彼女はペンネーム「ドリー・ワイルド」を名乗り、とりあえず形(ファッション)から入って新しい自分へと生まれ変わろうとする。

日本で言えば、静岡(適当に決めました)に住む16歳のJKが、JAPANレビューに連続掲載されたことをきっかけに、ロッキング・オン編集部目指して鈍行で上京。なんとかその中に自分の居場所を見つけようと、清志郎とかブルーハーツのCDレビューを書きまくり、正式に編集部員として認めてもらうため山崎洋一郎編集長に「取材がしたい!」とゴリ押しし、フリッパーズ・ギターのライブに潜入……みたいな感じのストーリー、だと思う。

実話に基づく話だということだが、16歳の高校生が実際にロック誌ライターとしてデビューするなんて、本当なの?と思ってしまう。だが、どんなに遅くまでライブハウスに貼りついても、必ず実家までわざわざ帰宅し、数時間寝てまた学校へ…というジョアンナの様子が妙にリアルで、(ああ、これ本当なんだな…)と思わされてしまう。学業との両立がすごく大変そうだけど、原作者は「才能とガッツでチャンスを見事にモノにした」本当に稀有な少女だったのではと感じる。

 

音楽雑誌が絶大な権力を持つ時代

ジョアンナが寄稿したのは「D&ME」という音楽誌。実際にあった「NME」という雑誌をモデルにしている。レビューが何度か掲載され、ついにロンドンの編集部を訪問することに。ドアを開けるとそこは、大音量でロックが鳴り響くオフィスだった。ジョアンナが紹介された編集者は開口一番「モリッシーをなぶり殺して疲れ切った」…もちろんナイフじゃなく、ペンで。

これは当時の雑誌とミュージシャンの関係を如実に表す一言である。情報の発信源がせいぜいテレビとラジオと雑誌に限られていた頃、音楽誌の持っている影響力の大きさ、権力は今よりも絶大だった。当時の英音楽誌はミュージシャンに対し毀誉褒貶が激しく、持ち上げるだけでなくこき下ろすのもひとつの人気コンテンツのあり方だったようだ。「D&ME」編集部による深夜の屋上パーティーでは、「抹殺する」と決めたミュージシャンの7インチレコードを、空中に放り投げて銃で撃つのが娯楽になっている。

音楽誌が、ミュージシャンと対等どころか、時には彼らの運命まで左右するほどの権力を持っていた。近しいことは日本でも起きていたはずだが、いざ20年以上の時が経つと、にわかには信じ難い気持ちにもなる。ジョアンナ(ドリー)は、顔パスならぬ「名前パス」でライブハウスへ潜入し、深夜に自宅に戻りタイプライターでさっきのライブの原稿を書き、その紙原稿を近所のポストに投函し、数日後に「ニュースエージェント」(町の小さなキヨスクみたいなやつ)で、D&MEに自分の書いた文章が載っているかを確認する。この一連の行為にそれぞれタイムラグがあり、物事がゆっくりと進んでいく。掲載された後、ドリーの感動が読者に届くまで、そしてその読者の心に定着するまでにもまた、そこそこの時間を要する。即時シェアができないからこその良さもあったのではないかと、懐かしく思い出した。

 

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「ここ(俺の膝の上)に座って話そう」

「93年のイギリス」という限定的な舞台での話だが、いわゆるパンクバンドやロックバンドは男性のグループが多い。そうなると音楽誌ライターも男性の方が有利なのだろう、D&MEには女性社員がいない。

そんな中に、何も知らない田舎生まれの16歳女子が突撃していったらどうなるか。

 

編集部の男たちに、真に仲間に入れてもらうための最初の試練は、「ここ(俺の膝の上)に座って話そう」という要望に応えることだった。原作者のインタビューによると、これは実話らしい。

そのうちジョアンナは、編集者ともミュージシャンとも、パーティーでたまたま出会った見知らぬ人ともキスをし関係を持ちまくる(これに関してジョアンナは心折れないどころか割と楽しそうだったのでちょっと笑った)。

必死に先輩編集者や業界人たちの真似をして、やっと掴んだ初めての特集取材。ミュージシャン、ジョン・カイトのライブに心底感動し、最大級の愛と文章スキルを駆使して書き上げたドリー・ワイルド渾身の取材レポートは、編集部のメンバー達から「ティーンエイジガールの熱狂的な文章」と一蹴されてしまう。

原作者はフェミニストなのだそう。そういった期待にもしっかり応える作品だ。なんせタイトルが、ビルド・ア・「ガール」である。

 

90年代に少女だった人なら、多かれ少なかれ「あれは差別だったな」とか「女だからこういう扱いなんだな」という経験をしていることだろう。私はジョアンナと同じ歳の頃はセーラー服を着ていたが、制服の時だけ知らないおじさんがめちゃくちゃ見てる……みたいなことは何回かあり、思い出すと心底気持ち悪い(普段着の時はボンデッジパンツ履いたり安全ピンを手首に巻いたりしていたので、そういう目では見られなかった)。

編集部には男しかいないし、ジョアンナは彼らの言うことがイケてるし正しいと思っている。せっかく掴んだ、他のティーンにはけして得られないチャンス。そう思ったら、「?」と思ってもセクハラを受け入れるしかないだろう。

ジョアンナが「ここ(膝)に座って」と言われるシーンを観ている時、自分が、一人の個性ある人間ではなく、「別の漠然とした何か」として扱われたかのような、あの独特の感覚が蘇ってきた。わかりますか?わかりますよね。

 

こんな思いをする女の子は一人も居なくなってほしい。

 

「ティーンエイジガールの熱狂」は邪魔なのか

日本の90年代のロックシーン、あるいは音楽雑誌に、この映画と同じようなホモソーシャル・マッチョイズムな文化があったのか?というと、私は入社したことがないのでわからない。ただ「D&ME」編集部は、ケンブリッジなどの一流大学を卒業した男性が正社員として働いているという設定だ。当時のイギリスは不況の時代だったのだから、雑誌編集の仕事に就けたのもごくわずかなエリート達だろう。

そして私が日本で90年代の終わりごろに就職活動をした時も、出版社(もちろん音楽雑誌も含む)に入社できる人間はほんの一握りだった。インターネットが本格的に普及する前、出版は広告と並んでとても人気の業界だった。

 

ここでちょっと小山田くんの話になるけれど、9月に出た週刊文春の取材で、彼は自分が94年頃に露悪的に振る舞った理由として、下記のように述べていた。

 

「当時、アイドル的というか、軽くてポップな見られ方をしていました。極めて浅はかなのですが、それをもっとアンダーグラウンドの方に、キャラクターを変えたいと思ったのです」

(週刊文春 9/15号)

 

最初は「ふーん」と思っていたが、時間が経つにつれてだんだんこのコメントにモヤモヤ、イライラするようになってきた。なんだろう?「アイドル的」って。私、スチャダラパーの出待ちしたことあったけど。女性ファンがキャーキャー言うことを指してる?私たちティーンエイジガールの熱狂は嫌だった?

そういえばスチャダラの歌にも、な〜んか私たち女子ファンをバカにするような歌詞があったなあ。「今夜はブギーバック」でこれまでになくブレイクした直後のアルバム

「5th wheel 2 the COACH」(95年)に入っている「from喜怒哀楽」、「怒」のパート。ちょっとだけ引用しますが、このパート全体的にヤな感じ。

 

ANI「アタシーよく人から変わってるって言われるんですぅ」かぁ?

女の子の声「そういう子達多いですよねー最近」

ANI「多いよー君らを筆頭に」

From喜怒哀楽 スチャダラパー 歌詞情報 - うたまっぷ 歌詞無料検索

 

ライブでは「君らを」のところで私たちファンの方を指差していた。

こういうのって、本当は女子の私たちじゃなくて、周りのラッパーとか男性ミュージシャンに向けて歌っていたんじゃないだろうか。「俺たちは、売れて女の子にキャーキャー言われて調子乗ったりしてませんよ」「硬派にヒップホップやってますよ」って。

比較的マッチョな雰囲気がないオモロラッパーですら、こうなんだなと割とガッカリしていた。

小山田くんの「アイドル的」の真意は、私にはわからない。彼が述べている時期は、ソロ活動を始める前の「フリッパーズ・ギター時代のイメージからの脱却」の話であり、私はコンビ解散後にファンになったので、自分の経験からは語れない。

けれど2021年現在でも、「男性俳優が、アイドル的に見られたくないという理由で、女性ファンばかりつくのを嫌がる」といった話を聞くことがある。

 

黄色い歓声をあげる女=音楽や芝居などの能力ではなく見た目を評価してるだけ…と思われているのだろうか。

本映画の原作者インタビューより一部を抜粋する。

90年代から今に至るまで、数多くのアーティストに取材をしてきた。インタビューしたバンドの中には、ファンの多くが10代の女の子であることに悩んでいる男性も多くいたという。男性からの支持がなければ「本物のアーティスト」ではないーー男性アーティストたちのそんな考えに、違和感を抱いてきた。

 

本当は、10代の女の子ほど音楽の好みが優れている人たちはいないと思ってる。イケてるバンドを見つけるのも、無償の愛を捧げるのも彼女たち。ビートルズだって、10代の女の子に愛されたからこそ頂点に立って、どんなことにも挑戦できるエネルギーや信頼、愛を得ることができたんじゃないかな。にもかかわらず、女性、特に若い女の子が好きなものは劣っている、価値がないとみなされることは、うんざりするほど本当によくある

 

www.huffingtonpost.jp

 

そりゃ、好きな音楽をつくる人がたまたま「恋愛対象となる性」だったら、そのせいでより魅力的に感じることはあると思う。でも、「顔がいい」ことに黄色い歓声をあげたいなら、それこそもっとふさわしい対象はミュージシャン以外にいるだろう。

その人の音楽が好きだからファンになっているのだ。彼が舞台に上がるや否や「キャー!!!」と叫びながらも、一方で「今日のギターは5年前のあの時と同じフェンダーということは云々」「この新曲の歌詞はつまり美を比喩的に表しており云々」などと脳内処理している女子だっているだろう。よくよく考えたら私は当時、ライブ後ヘロヘロに疲れて帰宅しても、その感動を忘れないよう夜のうちに友達へ長い手紙を書いたりしていた(LINEとか、ないから……)。

「尊い…」しか言えなきゃレビューは成り立たないが、めちゃくちゃ語彙力のある女音楽オタクだって普通にいるではないか。

 

女のファン=わかっていない、なんて思わないで欲しい。

2021年には、そんなことを思うミュージシャンは絶滅していると思いたい。

 

ピート・タウンゼント曰く「ロックはアブノーマルと下層階級の歴史」

最近、90年〜93年頃のロッキング・オン・JAPAN本誌をご好意で頂いてしまい、時々ペラペラめくっている。

小沢健二と小山田圭吾によるバンド「フリッパーズ・ギター」は、89年にデビューし91年に解散している。彼らは当時「フニャモラー」を自称しており、これは「フニャフニャしたモラトリアムな人」という意味らしい。2021年の今から省みると、彼らの音楽は多分にロックでありパンクだと思うのだが、どうやら当時のロック界では、「あんなフニャフニャした、本気かどうかわからない奴ら」と思われ、ジャンルもわかりにくく、異端扱いだったようだ。

これは当時のロッキング・オンに詳しい友人に聞いたことだが、92年4月号の、洋楽の方のロッキング・オンには「全ての『小沢圭吾』に向けて−時代を打ち抜くマニックス(マニック・ストリート・プリーチャーズ)」という記事が掲載されている。 過去からの引用やサンプリングを使用して、パッチワークのような音楽の作り方を是としていたフリッパーズの姿勢に違和感をもつ同社ライター(岩見吉朗さん)が、「デビューアルバムを世界中で一位にして解散する」と宣言したマニックスを称揚する原稿なのだそうだ。

奇しくも映画でジョアンナが初めて取材をすることを許されたミュージシャンが、マニックスだった。「恋とマシンガン」をD&MEの編集者が聴いたらどう思ったのだろう。むしろCDがマシンガンで撃たれていたかもしれない。

そんなフリッパーズを「ロック雑誌」ロッキング・オン・JAPANで繰り返し取り上げてきたのが、山崎洋一郎さんだった。解散したバンドを特集するラジオ番組(96年NHK FMミュージックスクエア)で「2時間じゃ語り足りない」と宣うほどのフリッパーズ支持者だった彼は、解散前も解散中(?)の空白期間も、そして二人のソロデビュー後も積極的に小沢健二&小山田圭吾を誌面で取り上げている。山崎さんは、その音楽ジャンルはいわゆるハードなロックミュージックではないにしろ、二人にはいわゆるロック魂が宿っていると考えていた。

94年の頭。小山田くんがソロデビューしCornelius名義で初のアルバムを出そうというタイミング。彼にとっても非常に大事な時だろう。またそれは、廃刊寸前まで追い詰められていたJAPANにとっても同じだった。部数が低迷していたJAPANだが、93年に一足先にソロデビューした小沢健二と、楽曲プロデュース等でジワジワとソロ活動をスタートした小山田圭吾を取り上げた号はよく売れた。そして山崎さんは、「新生ロック雑誌」JAPANの、リニューアル第一号の表紙に相応しい人間として、Corneliusを取り上げる。

 

稲田:判型を小さくする前の最後のほうで、小山田圭吾、小沢健二っていうのがあったんですよね。ソロ・デビューした彼らが続けざまに表紙になったんですけど、あれが売れて。

田中:そこに何かしらの糸口が見えた?

稲田:希望が見えましたね。これが未来の動きだし、そこに読者がいるし、リスナーがいるというのが見えたんです。で、判型を小さくすることになったんですけど、小さくした最初の号の表紙がコーネリアス。

カルチャー雑誌/音楽雑誌は死んだ? 雑誌天国の90年代から20年、何が変わったのか?~90年代『ロッキング・オン』編 | FUZE

 

山崎さんがどのような考えでCorneliusを表紙に抜擢したかは、この翌月・2月号の小山田インタビューで語られている。

 

小山田「〜(略)でも渋谷系ってどう思う?渋谷系ライターとして?」

山崎「ビックリしたんだけどさ。リニューアル1号でコーネリアスを表紙にしたじゃん。それで業界の人に「どうだあ!!」って見せると「ああ、渋谷系のオシャレ系なんですね」とか言われてさ。俺としてはもうロックもロック、ロック界でも超やさぐれたヤクザ人間を表紙に持ってきちゃって大丈夫かなあってつもりだったんだけど、「あ、時流に乗ってますねえ」みたいな反応なんだよね。

小山田「俺また人格プロデュースされてる!(笑)」

山崎「で、ロック・ファンでもそういう反応があるわけ。」

小山田「でも、わかるよ。僕が例えば高校生とか中学生で、渋谷系とかいっちゃってこんな軟派そうな男が表紙んなってたらさ(笑)、俺も絶対にそう思うもん!」

山崎「ははははは。」

小山田「女の子に『こんなものは認めない!』って言うよ(笑)。『こんなコーネリアス』とか言ってさあ(笑)」

(ロッキング・オン・JAPAN 94年2月号 コーネリアスインタビューより)

 

ロッキング・オン・JAPAN 94年1月号、あの「いじめ記事」インタビューが掲載された号にはこんな背景があった。

フリッパーズ時代、ある種のロック村から「スカしたオシャレ系」「雰囲気だけの音楽」と色眼鏡を持たれていた小山田圭吾。そんな彼をロック文脈で捉えてもらうためのフックとして、「ヘタレではなくヤクザな男、いじめられっ子ではなくいじめっ子」というキャラ付けをし、新生JAPANの表紙や特集にふさわしい人間に演出しようとしたのではないだろうか。もちろん小山田くんも、それに乗っかってしまった部分はあったのだろうが。

 

今年の9月、小山田くん自身から、あの見出しや一連の描写は「捏造だった」ことが語られている。

だが当時、JAPAN側はその事実(と見せかけた捏造)を前向きに捉えている様子が、この号の編集後記に残っている。

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巻末の編集後記。ただ実際に対談はせずにどちらかのライターが書くこともあったそう

ここに出てくる井上貴子さんのロック論も、やはりD&MEのそれに近しいものがあるように読めるのだが、それは私だけだろうか(The Whoのピート・タウンゼントはよくステージでギターなどの楽器を破壊したことで有名らしい)。

私は95年ごろからのJAPAN読者なのだが、「人(ライター名)で読む」ということをあまりしていなかった。小田島久恵さんのお名前だけは覚えている。レビューがすごく面白かった記憶があるからだ。ただ井上貴子さんはどんな方だったか覚えておらず、今年初めてこの編集後記を読んで、驚いた。ずいぶんと乱暴なことを仰っているぞ……?

だが「ビルド・ア・ガール」を観た後だと、井上さんもジョアンナ(ドリー)のように、「もっと冷笑的に、辛辣になれ、あいつらをこき下ろせ」とか言われていたんじゃないだろうか…?などと心配になってくる。そこまでのことはなくても、「90年代のロック雑誌編集部」という男社会の中で、女性ライターたちは無理をしてはいなかったのだろうか。

……などと考えていたら、前述したロッキング・オンに詳しい友人が、「小田島さんと井上さんは『ちんちんシスターズ』という名前で、本誌で連載したり絵を書いたり、ボンテージルックで海外のミュージシャンと雑誌に登場したりと、なかなか破天荒な活躍をしていた」と教えてくれた。ちんちんシスターズの命名は、山崎洋一郎さんだそうだ……。

 

人生は(黒)歴史のスクラップ&ビルド

色々と書いてきたが、この映画のいちばんの見どころはやはり、一人の女の子が「自分探し」の中でガツガツといろんなことにチャレンジするところだと思う。例えるなら「パンキッシュな朝ドラ」という感じだろうか。地元・田舎と上京先・都会の比較の描写や、両親・兄と言った身近な家族との交流もしっかりと描かれているため、朝ドラにも全く引けを取らない。

音楽や出版など、華やかなエンタメ業界に憧れていても、それを本当に仕事にできる人は一握り。ましてや女性ならもっともっと狭き門になる。その憧れに向かって、思いつきのままにチャレンジし、派手に転んで黒歴史に頭を抱える「七転び八起き」的なジョアンナの奮闘ぶりは、同時代を少女として生きた私も他人事と思えなかった。

 

小山田くんは、25年も前に自分が登場した雑誌記事を2021年のインターネットを通し全世界にばら撒かれたわけだが、そもそも90年代の自分をSNSに晒されるなんて、私なら「今すぐ樹海に向かいます」というレベルで恥ずかしい。みんなそうじゃないの?

そんな話を夫にしたら、「黒歴史も何もなー、そもそも人生においてあんまりチャレンジしていないから、特に後悔もない」と言われてしまい、しばらくポカーンとした。

 

黒歴史は、「もっとカッコよくなりたい」「今と違う自分になりたい」そういったことを考えた人間にのみ残る。自分はこのままでは終われない、何かにチャレンジし新しい人生のドアを開けたい、そんな風に思わなければ、黒歴史は生まれようがない。のっぺり茫漠とした、どっかで聞いたような過去がただそこに残るだけだ。

「ビルド・ア・ガール」=「自分を探す」というよりは、自分を「作ろう」と、この映画はメッセージしている。失敗したら、やり直せばいい。失礼があったら、謝ればいい。なりたい自分のイメージだって何度でもつくり変えて、もう一度あらたに、人と出会い直せばいい。黒歴史を「消したい過去」などと否定せず、しっかりと自分の糧にして、また新たに歩み出すジョアンナを観て、「そうだよね 」と気持ちが軽くなった。

そうだよね。黒歴史だらけの私もそうだと思うよ、小山田くん。