kobeniの日記

仕事・育児・目に見えない大切なものなどについて考えています。

「イーハトーボの劇列車」を観てきました

(以下、感想ブログです。多少のネタバレを含みます)

私、宮沢賢治が好きで、花巻にも何回か行っています。この舞台、松田龍平さんが宮沢賢治役…なんて俺得!よく舞台で拝見している役者の方も名を連ねている。演出は長塚圭史さん。脚本は井上ひさしさん!ということで、ちょっとチケット高かったのですが観てきました。ちょうどドラマ「けもなれ」が放映されている最中にチケットが発売されたので、割と衝動買いしてしまいました。

新宿紀伊國屋の上にホールがあるの、実は知りませんでした。観劇はじめたの最近なので…ここで三谷さんや鴻上さんの舞台もたくさん上演されたのだそうですね。「ホントにここ、紀伊國屋の上…?!」感がすごくてビックリしました。だって、かなり広いんですよ。屋根裏がめちゃくちゃ広い家みたいですね。

13時半から観始めて、休憩を挟み、終わったのが17時だったので、3時間15分?けっこう長かったですねえ。でも、飽きずに観られました。これは「評伝劇=評論を交えた伝記を、劇にしたもの」なので、宮沢賢治の一生を、脚本家の井上ひさしさんが解釈を加え、劇にしたもの。ということになります。

私は、賢治の一生については、割とざっくりではありますが前知識がありました。観ていて、既に知っていることも多かったですが、それでもすごく楽しんで、入り込んで観ることができました。(よく知らない人には当然、親切につくられた脚本です)それは井上さんの、賢治に対する解釈の特徴と、脚本の構成上の魅力に依るものかなと思います。もちろんそれに加え、演出や役者さんのお芝居の力も素晴らしかったです。

 

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宮沢賢治の衣装は、着物にマント、詰襟、山高帽にスーツ…。素敵ですよ!

 

◆「デクノボー」が強調された宮沢賢治像

宮沢賢治は、私にとって「文学と科学の両方に興味関心を寄せ、それらの知識と持ち前の感受性によって、美しい言葉を紡ぐ人。人類愛にあふれ、利他的にストイックに生きた人」みたいなイメージでした。質屋&古着屋の父親と確執があったことも知っていましたが、なんとなく「父親が俗物なのかな」ぐらいに思っていました。

ですが、このお芝居で賢治は「百姓になろうとしたが、そもそも体が弱くて米俵も運べない(なので仕方なく勉強している)」とか、「『これからの農民は芸術を嗜むべき』と理想に燃えているが、実際は西洋の絵やレコードも父親のお金で買っている」というような、ダメな部分もしっかり描かれます。松田龍平さんの、良くも悪くも棒読みっぽい返答が、いろいろ考えてはいるが周囲となかなか折り合わない賢治のフワフワ感をうまく表している気がします。賢治って実際は、(字ではなく)対人上の感情表現はどんな感じだったんでしょう。文章だけ見ると、「我を棄てるな我を棄てるな我を棄てるな」って友人宛の手紙に書いてたりするので、だいぶ熱苦しく主張が強いのかなと思いますがw  内に熱いものを秘めていても出力がロー、という人はいるので、もしそうなら松田龍平さん、ピッタリだったような気がします。他の役者さんより声もちょっと小さいしw 

賢治は、自分のその中途半端さ、ダメなところを分かっていたんですね。だから「みんなにデクノボーと呼ばれ」とかって書いていたんでしょう。「棒」ってところがすごくいいですね、棒って細いし一本調子だし。「アメニモマケズ」って、自分の誓いのためだけに手帖に書きつけられた文章なんだけど、そこに「デクノボーって呼ばれるような人でありたい」と書いている。あれだけの詩や文が書けるのに、ナルシストに全くならないところは凄いなと思います。「アメニモマケズ」って、作品として「雨に負けず丈夫に生きるための10の法則」みたいに発表されてたらだいぶ鬱陶しくないですか? 道で売ってても私なら買わないですね!自分へだけ向けた言葉だからカッコいいのです。

アニメ「風立ちぬ」の堀越二郎が、飢えた子どもに「そこの者、シベリアを食べなさい」って差し出すシーンがあるのですが、昔のインテリって、自分は市井の人のためになにか成し遂げたいと思っていても、あまりにも育ちや知能レベルが違いすぎて、結局は彼らに近づけない、気持ちを分かることができない。というところがあって、私はそういうインテリキャラ(の苦悩)にちょっと萌えますw  現代でも、「インテリコンプレックス」を持っている人、割といる気がするんですよね。

 

◆冥土へ向かう農民が、劇をするという劇中劇形式

宮沢賢治の一生を表現する劇であるわけですが、「それ自体が劇中劇」という構造になっています。「これは、賢治から芸術を習った私たち農民が、冥土へ行く前にやった劇です」という前置きから始まるのです。

宮沢賢治は生涯を農民(主に東北で、困窮した暮らしを送っていた百姓)のために捧げたいと思っていたのですが、その中で「農民は、農業以外に歌劇やエスペラント語などを学んで、自分の糧・武器にすべき」という理想を持っていました。すっごい雑に言うと、大学出て上京して、東京でライブとか演劇をいっぱい観て刺激を受け、地元にも「B&B」みたいなやつ開いた。的な感じかなと思っています。私はこの、賢治が地元でB&Bやる時の思想を書いた「農民芸術概論綱要(https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/2386_13825.html)」っていうやつがメチャ好きで。初めて読んだ時に「食べるものについては自分たちの住む場所で自給自足しながら、演劇や音楽を発展させようとか、近代都市でも理想なのでは…?」と思いました。演出の長塚圭史さんも「阿佐ヶ谷スパイダースを劇団化したのは、ふだん演劇に携わっていない人にも関われる広場のようにしたいからだった」とおっしゃっていて、その点で賢治の思想に共感するところがあるそうです(パンフレットthe座より)。このB&B的なやつ(=羅須地人会)で賢治から芸術を習った百姓が、自分たちの伝えたいことを「演劇」という形に結実させた、という形式になっているわけです。素敵。

劇中に「思い残し切符」というのが繰り返し出てくるのですが、これがまたとても印象的なモチーフで…。農民たちは賢治の「思い残し」を受け取って演劇をした。そしてまた自分たちの思い残したことも、天上へ行く前に、まだ生きている人たちに、劇として渡していく。ということですね。

銀河鉄道ってそういう人々を乗せたSLなのかなと思うと、なんだか胸がギュッとなりますね…。しかも、賢治の故郷は東北です。

「農民芸術概論綱要カッコイイ!」と私は思っていたのですが、この劇を観て、なるほどこれが、当時本当に地元の農民たちに受け入れられていたのかは怪しいな…。と思いました。賢治は当時、エスペラント語(母国語が異なる人たちが共通して話せるようにと作られた、たいへん夢のある言語)に熱中していて、「エスペラント語なら世界中の農民と話せる!!」とかって授業をしていたらしいのです。でもそれって、仕事がなくて、今日の食い扶持を考えるのにも精いっぱいな人たちに向かって、「みんなが同じ言葉を話せれば戦争はなくなるよ!」「きっとこの世界の共通言語は英語じゃなくてエスペラント(希望)語!!!」とか言っているような感じというか…。理想主義的すぎる賢治を批判する一説も何度か出てくるので、それもこの演劇の魅力だなと思いました。

 

◆演出カッコいい

長塚圭史さん演出の舞台を観るのは今回が初めてでした。私は堺雅人さんのファンなのですが、堺さんは早大の演劇研究会出身なのですね。同じ頃に早大に入学した長塚さんは、劇研の練習風景(大隈講堂の前でジャージ姿で発声練習とかする)を見て、「えっぼくこういうのはちょっと…」って思って、劇研に入らずに自分で劇団をつくった …らしいのですw そんな、私の推しをダサいと思った長塚さん(言い方…)の美意識ってどんな感じかなと思っていたのです。(そう考えると「Dr.倫太郎」の配役は絶妙ですばらしいですね!余談すぎるほどの余談)

演出はとても粋な感じでした。舞台のほとんどの音を、役者さんたちが口でやっていますし、舞台セットも、役者たちが自分で運んできます。音は賢治が残した擬音、「どっどど どどうど」みたいなやつを使っていたりします。あと、衣装も素敵でしたね〜。特に車掌さん。車掌さんが思い残し切符を渡して行くとき、チリーンって鈴がなるのも良かった。

 

お芝居でいうと、松田龍平さんのデクノボー感に加え、二役をこなされた役者さんが多いことから、本当に農民たちの手作り劇を観ているようでもあり、一方でやはり熟練の役者の舞台感もあり。山西惇さんの、お父さんと警官がとても良かったです。賢治の存在と、うまく対になっている感じがしました。

 

 

私たちは賢治から、先に逝った人たちからどんな「思い残し切符」を受け取っているのでしょう?この世で私は何を果たして天上へ行くのかな。

東京は24日まで、地方もこのあといろいろまわるみたいです。良かったら観てみてください。

…というかGoogle翻訳、すごくない?

 

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