kobeniの日記

仕事・育児・目に見えない大切なものなどについて考えています。

「出産したら退職せよ」に立ち向かう朝ドラヒロイン(「なつぞら」20週)

朝ドラ(NHK朝の連続テレビ小説)100作めの「なつぞら」。第20週(8/13-17)は、主人公のなつが妊娠し、社員を続けるか・辞めるか。という描写がなされた週でした。朝ドラの放送期間は半年間で、上半期は9月末に終わるので、今ちょうど三分の二ぐらい来たところです。

私はここ数年、日本のドラマが好きで、色々たのしく観ています。朝ドラを観始めたのは「純と愛」くらいからで、過去の作品に詳しくないので、「朝ドラとはこういうもの」という語りは、上手くできません。ただ、朝ドラは「女性が主人公の成長譚」であることが多い、というのは知っています。歴代のヒロインが何人も登場するなど、100作の節目ならではの特別感もある「なつぞら」。その中で、朝ドラの中でも大きなテーマのひとつとなる「仕事と育児の両立」はどんな風に描かれるのか、楽しみにしていました。

 

■「新しい女性アニメーター像」の模索に、通底する「開拓者精神」

 

現代では多くの人が、何らかの企業に勤めサラリーマンとして働いているので、「仕事と育児の両立」はそのまま「組織内での労働・雇用問題」に直結することが多いです。しかし朝ドラではこれまで、「組織の中で仕事と育児両立の道を切り拓く」という描写は、あまりなかったようです。

 

 

 

(このタシマシさんの一連のツイートが詳しいので、ご覧ください)

 

ヒロインが「雇用機会の喪失をきっかけに、天職に出会う」という構成が多かった。つまり「一度は会社・組織を辞めて(辞めさせられて)から、自営業やフリーランスとして手に職を持ち、育児をしながら働く」というヒロインが多かったんですね。これは日本の女性の、働き方の歴史から考えても当然のことで、朝ドラヒロインのモデルになるような女性(朝ドラは、現代よりも過去、戦中~戦後あたりが舞台となることが多い)は、雇用の面から見ると、特に出産後は「経営者や自営業で活躍するしか道がなかった」ということだと思います。

 

働きながら育児をする権利を守る法律としては、「男女雇用機会均等法」が昭和61年(1986年)に施行。「育児休業法(現在は育児・介護休業法)」が 平成4年(1992年)に施行、この二つの法律が主となっています。なつは現在30歳、「なつぞら」における「今」は昭和42年ごろの設定なので、これらの法律もまだない時代の出来事ということになります。

「なつぞら」の中で、なつや茜さんといった「正社員として雇用された女性」は当時、結婚して子どもができたら辞めます(=「契約」に切り替える。この「契約」は、現代の契約社員ではなく、作画一枚あたりでお金を支払われる個人事業主・フリーランスとなるということ。つまり実質、解雇です)という誓約書を書かされていた。ですが、なつは「このまま社員として仕事を続けたい」と主張します。

史実としては、「なつぞら」ヒロインのモデルとなった東映動画の奥山玲子さんは、東映動画の労働組合に所属しており、その組合が、出産育児の問題に取り組んでいたようです。「なつぞら」では、なつの故郷の十勝でも、「農協」がメーカーと対等に交渉できるよう、生産者たち自身の手で工場を立ち上げバターをつくる。といった描写がありました。今回のなつの件に関しては、作中「組合による交渉」という表現方法は取っていませんが、今週も何度も「組合」というワードが登場しました。

ただ正直、「なつの今回の意義申し立てが組合活動だったかどうか」は、私自身はあまり関心がないです。このドラマでは、組合活動の根本的な考え方というか、もっと手前の価値観=「自分の手で新しい道を切り拓き(開拓者精神)、そこでなにかを生み出す生産者は尊く」「それ故に生産者・労働者と、雇用主の立場の対等性は守られるべきで」「生産者・労働者は、ひとりではなく、全体の問題として解決を図ろう」というようなことが、ここまで様々なモチーフを使い繰り返し主張されてきました。現実にはなかなか難しいことですが、なつは今回、一緒に働いてきたアニメーターたちの応援と共に、「自分が女性アニメーターの新しい生き方を切り拓きたいのだ」と、社長に直談判に行くことができました。そのことが唐突に感じられないよう、過去回で丁寧に、根本的な考え方やそれを取り巻くいろんな立場の人の感じ方・動き方を描いていたなと思っています。

 

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まるで我が事のように怒ってくれる神っち(モデル宮崎駿)。こんな同僚居たらホントに心強いのに…

■なつはなぜ、「社員でいつづけること」に拘るのか

 

「契約」に切り替えられる(繰り返しますがこれ、「契約社員になる」じゃないです。解雇され個人事業主としての契約になる、という意味です)のがなぜそんなに不満なのか?という声も、感想の中にはありました。そういう声が多い理由はもちろん、「出産したら契約を更新しない」とか、「出産後、時間の融通が利く働き方が、パート勤務しかない」とか、そういった理由で会社を辞めざるを得ない女性が、現代にもまだまだ居るからだと思います。(事実、茜さんはそういった現実を飲み込んで辞めていき、今は前向きにお母さんをやっていましたね)なつは、あたらしい道を行こうとしています。夫のイッキュウさんにも、後人のために新しい道をつくれと言われていましたし、同僚の神っちも、「会社にこれまでのキャリアを評価させるべきだ」と言います。「既存の選択肢では満足できない、社員でい続けたい」という意志を、ハッキリ主張することにしたんです。

この「なぜ、なつが社員に拘ったのか」というところはそのまま、「なぜ、そこまでして働き続けたいの」「なぜ、周囲に迷惑をかけながら」「なぜ、会社の配慮を無視して」という、現代でも母親がよく言われる声に対する、ひとつの回答になっていなければいけません。(朝ドラが、過去の出来事を書いていようが、現代の視聴者の心に響く表現にするにはやはり、現代にも通用する台詞になっている方がベストです)

以下、台詞の引用です。

 

社長(大意です)「契約といったって、いじわるで提案しているんじゃない。子どもが生まれたら、どうしたってこれまでのようには働けない。契約の方が、出勤時間が自由になる。これまでのような社員と同じ責任を担うと、まわりに迷惑がかかるだろう。それこそ、(アニメーターたちが信条としている、仲間同士の)結束を乱す。契約の方がラクじゃないか」

 

なつ「私はラクがしたいわけじゃないし、お金がほしいわけでもない。

仕事で、もっと成長したい。いい作品をつくりたいんです。

どうしてそれが、子どもがいるとできなくなるんでしょうか。

今まで当たり前だと思っていたことを、会社から望まれなくなるのが、一番苦しいんです」

 

 

こう書いてみると、当たり前のことを言っているようにも見えますが、私は「ここまでシャープに核心を表現できている作品、あんまり見たことがないな」と思いました。最近読んだ韓国の小説「82年生まれ、キム・ジヨン (単行本) 」には、こういった「これまでの経験に裏打ちされた、自分の仕事に対する前向きな自負と意欲と、それを捨てなければならない悔しさ」が、ストレートに表現されていましたが、それに近いものを感じました。

なつは戦災孤児のため、北海道の奥原家に引き取られ育てられています。そういう過去もあって「わがままを言うのがヘタ」というか、たとえば「アニメーターになりたい」という自分自身の夢に関しても、現代の視聴者から見ると驚くほど逡巡し、迷って、やっと家族に言い出した。という経緯がありました。そんななつが、面接で実の兄に対する偏見によって落とされたり、技術テストに落っこちたりしながら、やっと入った会社です。そこでいっぱい悩んで、いっぱい描いて、とやってきているのを、私はいち視聴者として観てきたから、「これまでと同じように、仕事をしたい」と願う理由は、痛いほどわかりました。もし、なつのこれまでの歴史を見ていなかったら、「どうしてそこまで?」となるのかもしれません。

ドラマや小説などの物語は、現実世界では見えない「その人の歴史」といったものも、しっかり見せることができる。そういった歴史の上で発せられた「これまでと同じように成長したいし、いい作品をつくりたい。会社から望まれなくなるのが、一番苦しい」は、とても重たく、ずっしりとした台詞として響きました。

なつは上記の台詞のあとに、社長から「実は作画監督に抜擢しようと思っていた」と言われます。これは、契約に切り替えてしまったら絶対にできないことでしょう。一般的にはアニメ業界では、いち原画マンやアニメーターとして下積みをしてから、監督になるのがキャリアの積み方でしょうから…。

「なぜ、そこまでして働き続けたいの」「なぜ、周囲に迷惑をかけながら」「なぜ、会社の配慮を無視して」という声への答えは、なつの台詞にぜんぶ入っています。「私は、ラクに仕事がしたいと思っていない」「私は、お金のためだけに働いていない」「会社の中で責任のある仕事を任されて、これからも成長し、いい作品をつくり続けたい」それが社員のままでいつづけないと、できないと知っているから、こう言っているのでしょう。

「配慮」や「迷惑がかかる」といったセリフが、社長の方に入っているのも、とても的確だなと思いました。「よくぞ、現実に交わされる会話をご存知で」という感じです。会社が「配慮」や「やさしさ」だと思っていることと、なつの望んでいることが、食い違っていたわけですね。

日本人は「出来上がった秩序を乱す」ことを極端に嫌いますよね。迷惑がかかる、はキラーワードというか、それを言うことで相手を徹底的に黙らせる効果があると思います。でも、「周り」というのは非常に流動的で、「周り」が変わってしまえば「迷惑」でなくなることがたくさんあるわけです。秩序は、多数派に合わせて保たれていることがほとんどですから、少数者の意見を通しやすくするためには、「周り」が変わるのが一番です。

「配慮」も同様で、多数派が「良かれと思って」やったことが、少数派にとって「望んでいる結果と違う」ということはままあります。いわゆる「マミートラック」も、配慮の積み重ねの結果だったりします。でも、そこで涙を流したり、悔しい思いをしているお母さんもいます。

 

「朝ドラ」において、このブログも含めインターネット上の反応というのは視聴者のごく一部で、他のドラマよりも広くたくさんの、幅広い層の視聴者が観ているものだと思います。その朝ドラの、記念すべき100作目で、「企業における女性の労働問題」といった、非常にナイーブでややこしい、また現在進行形ともいえる問題を、かなり「わかった」上で構成し、丁寧に台詞にしてくれて、私はとってもうれしく感じました。年配の人にも若い人にも、この表現なら、きっと届いていると思います。

 

■「これからが本番」の、なつの両立生活に期待!

 

特に、近しい経験をしている母親だと、なつの言動が自分と「近い…でもちょっと違う」が故に、細かいことをいろいろ突っ込んだり、一言いいたくなってしまう。今週の「なつぞら」は特に、そんな週だったと思います。でも、仕事と育児の両立に関して言うと、なつはこれからが本番ですよね。まだまだどうなるかわかりませんので、あたたかく見守りましょう。

実際に女性が、主に企業の雇用の中でどのような働き方をしてきたか?の歴史をざっくり言うと、「男女雇用機会均等法」以後はしばらく、男性と同じ条件下(専業主婦の妻がいる男性と同じようなキャリアルート)でバリバリ働くキャリアウーマンが登場し、その後、育児休業をしっかり取れて、看護休暇も充実するなど、「辞めずに仕事を緩めやすい」企業群が現れます。そして現代においては、なつの言うように「成長機会」を失わず、神っちが言うように「これまでの経験を価値として認め」た仕事をあてがい、かつ「子どもが病気になったり、親の介護が必要な場合には、柔軟に休んだり早退したり、自宅作業ができる」ように雇用を継続させる、そんな模索が企業や組織単位で続いています。もしかするとなつは、当時の解決方法だけでなく、ここ20年くらいの試行錯誤も取り入れたような、新しい働き方をしていくのかもしれません。そういう風に現代的エッセンスも取り込めるところが、作劇のよいところですよね。

 

なつのように、新しい道を拓くために立ち止まって主張して、とても大変だったと思うけれど茨の道を突き進んでいった先人たちには、頭が下がります。茜さんのように、泣く泣く諦めた人がいて、その人を見て奮起した下山さんや神っちのような人もいて……たくさんの人たちの試行錯誤があり今がある。そのことをわかりやすく、魅力的に伝えてくれる「ドラマ」というものを、あらためて良いなあと思えた夏休みでした。来週からの「戦い(by坂場一久)」も、楽しみですね!

 

 

(追記:アニメーションの現場「だからこそ」働き続けるのが難しいといった事情もきっとあったに違いないと思います。そんな中で、女性が働きやすい職場をつくった京都アニメーションという会社の為したことは、本当に偉業だなと感じています)