kobeniの日記

仕事・育児・目に見えない大切なものなどについて考えています。

蜷川実花さん責任編集の「働くママ」本、セキララで良かったので紹介するよ

前回、オンライン献立共有について書くと言っておきながら、ちょっと紹介したい本を見つけたのでサラリとUPします。いま発売中だから、早く紹介しないと本屋さんから撤収されちゃうかなと思って。ステマじゃありません。急いでいるのでドライブ感ある感じで(とちゅう何度も0歳児に執筆中断されながらですが)書きます。

 

MAMA MARIA(ママ・マリア) (光文社女性ブックス VOL. 145)

MAMA MARIA(ママ・マリア) (光文社女性ブックス VOL. 145)

 

 


表紙にでっかく「働くママへ!」って書いてあったので、本屋さんで思わず手に取りました。「ママ・マリア(MAMA MARIA)」っていうMOOKです。蜷川実花さんが編集長、ファッションフォトなど全部撮影だそうです。
最初見た時は、ママ向けグラビアや子連れスポットがたくさん載っていて、ママであることをめいっぱい楽しむ!みたいな本なのかと思いました。けれどパラパラめくったら、佐田真由美さんがスタイリッシュにポーズを撮っている写真の上に

 

「産休中は外の世界と遮断されちゃった。いいね、みんな働いてて…かなり卑屈になっていたかも」

 

って書いてあった。えっ。あんまり見ないよな、こんな女性誌っぽいモードな写真の上に「産後は卑屈に」っていう見出し…と思ったんですよね。なんだろうこの本?それで前書きを見ると、蜷川さんからのメッセージとして

 

「はっきり言って、どんなキラキラして見える人も悩んでます、素敵ママ代表のあの人もこの人もみんな悩んでます、みんなボロボロです、もちろん私も。このことをキチンと伝えたくて」

 


と書いてありました。
購入して読み進めていくうちに「これって、ふだん女性誌でキラキラしている有名人ママが、大変なことや辛いことまで含めてセキララに語る、っていうコンセプトの本なのか!」と分かってきました。だからMOOKの体裁ではあるけれど、基本的には「インタビュー集」なのですね。モデルや女優、デザイナーやクリエイター等としてキラキラと働くママの「ボロボロ部分」、白鳥が湖の下で足掻いてる、そのバタバタした足の部分まで語ろう!というものなんだなと。


なんとなく本の雰囲気がわかるように、いくつかインタビューから抜粋しますね。

 


益若つばさ
「結婚当時は、家をきれいに片付けられないと自己嫌悪に陥ったり、主人に申し訳なく思って、夜中に歯ブラシでめっちゃ掃除しはじめたり。でもいまは『疲れちゃったから、明日でいっか』ってだいぶ思えるようになった」


東村アキコ
「子育ては先が読めないしこっちの思う通りにはいかないわけですから、もうあの頃はホントに辛かった 思い出したくない 人生で一番辛かった」


吉川ひなの
「子供にご飯をあげたあとの床とか、地獄のようにぐちゃぐちゃ」


土屋アンナ
「再婚してから、旦那が家で子供を見てくれるぶん食事は作る。男だけだと食べたいラーメンやカレーのみで終わっちゃうでしょ。そこにサラダも添えたいっていう部分はこっちがケアしないとね」


蜷川実花
「私も離婚したらすごく楽になった。『私が働かないと生活できない』という明確な理由ができたから。夫婦で働いてると、『子供が泣いてるのに、なんで働かなきゃいけないんだろう』って、自分を責めてしまいそう」


川上未映子
「その人の根性とかバイタリティの問題ではなく、一日24時間しかないわけだから、絶対に(両立は)無理。本当の意味での『両立』はありえない」
「子供を持たなかった人生もあるっていうことは忘れちゃいけないって思う」
「健診とかに行くと、ちょっと小さいんじゃないかとか、母乳が足りてなかったのかなとかって気になるんです。(略)そんな自分にがっかりですよ」


小林加奈(Velnicaデザイナー)
「『完母』っていう母乳神話にすごく苦しめられた」
LiLy
「初めて(子供を)保育園に預けたとき、先生にね、うんちの柔らかさを聞かれて、その瞬間、泣きそうになったの。それまで夫も家族も一緒にいたけど、それでも息子のうんちの柔らかさについて私に聞いてくれた人はひとりもいなかった」

 

大変だよ悩んでるよ!というものの他にも、「人それぞれ、いろいろなスタイルで両立やっていこうよ」みたいなことが感じられるエピソードもあり。


田中杏子(NumeroTokyo編集長)
「うちは別居婚スタイルで、彼は同じ敷地の別棟で生活しているんです」


小島慶子
「私と夫は完全に入れ替え可能な夫婦。お互い家事はひと通りできるので、分担というより、2人で回している感じです。(略)役割が固定化すると我慢大会になるので、臨機応変にすれば家の中が平和です。」


植田みずき(ENFOLDクリエイティブディレクター)
「(ハウスキーパーを頼むのには)確かに若干の罪悪感はあります。でも仕事から帰ってきて家が綺麗になっていると嬉しいし、それができなくてイライラするほうが家族にとってもマイナスだから」


杉谷恵美(シンシア・ガーデン代表)
「株主総会の日に子供が病気になっちゃって、会議室にベビーベッドを置いて株主総会をしたんですよ」

 

■ イヤイヤ期の前ではどんなママも怖いくらい平等なんだな

出てくるママたちは基本的に乳児〜幼児を育てているところのようで、大変さもひとしお。ああ、今まさに私と同じようなことで悩んでるんだ!って思うエピソードがたくさんありました。
考えてみれば当たり前のことで、いくら彼女たちがキラキラした職業に就いているといっても、あくまで我々は同じ国に住んで、同じくらいの年齢の子供に向き合ってるんですよね。夜泣きがない、イヤイヤ期がない子供などいないのだし、それぞれの母と子の関係は代替が効かない、唯一無二であることも同じ。もちろん「有名人なんだから、お金で解決できるのでは?」と思うところもあります。それはそうなんだけど、じゃあ子育ての、何をどこまでお金で解決するのか?できるのか。少なくとも「母乳が出ない」という悩みは、そう簡単にお金では解決できないよね、とか。それにいくらお金があっても、「自分でやるのか他人に任せるのか」の線引きは、切実についてまわると思います。

ハイパーワーキングマザー伝説!とでも言えるような記事を雑誌で目にした時に、どっと押し寄せる疲れは、「私は同じ働くママなのに、それ特有の悩みや辛さをこの(雑誌に出ている)人と共有できてない。せっかくメディアに出ているのに、私の気持ちを代弁してはくれないんだな」という寂しさやガッカリ感が原因だと思います。そういう記事に比べると、この本は一見キラキラしているママたちが、私と同じように、周囲や自分自身の子育て・ジェンダー観(そこから来る無理解)に振り回されて葛藤したり、子供ができたことで、仕事のスタイルについても変化を余儀なくされ、試行錯誤しているらしい様子が伝わってきます。「夜明け前に起床し2時間PCに向かい子供たちは義父母に預けそのままNYへ」みたいなハイパーな部分も…無い…わけではない。湖の下での足の掻きっぷりはハンパないと思う。それでも、むやみに涼しい顔されるよりはいいよな!と思いました。

■「イクメン」については全然出てこないが蜷川父がぜんぶ持っていく

読み終わって思ったことですが、全体的に夫の影が薄い。超薄い。「離婚してスッキリした」という人が何人も出てくるw 確かに彼女たち自身がすごく華やかな存在なので、夫もそれ同等に有名人だったりして、だからこそ多忙を極めていて、子育てできないという可能性は高い。けれどこれだけ、妻の方が仕事で個としてキラキラ輝きまくってんだから、夫が全面的に子育てして支えてる夫婦が居たっていいのに。と思ったんですよね。そしたら本の真ん中あたりで出てくる蜷川父が、イクメン枠を全部持っていってくれた。

実花さんは、まだ蜷川幸雄さんが売れる前に生まれた子ということで、奥さんが女優として働いて幸雄さんが「ハウスハズバンドとして」彼女を育てたのだそうです。イクメンの走りですよね。

「家事というのは本当に大変です。(略)だから、世の中のお父さんたちに言いたいです。生活の中でちゃんと役に立ってないとダメだぞと。(略)やりっぱなし、食べっぱなしはダメだぞと。後片付けをすることが大事」
「(女は)精神的にも経済的にも自立しろ。ダメな男は捨てればいい」
「格好いい女というのは、テキパキした女のことです。そして、受け身ではないということです」

カッコE!惚れる!そんな蜷川父ですが、本誌にはお孫さんとのほのぼの2ショットもあり、ほっこりさせられました。

 

 

…ということで、本の趣旨がしっかりしているせいか、女性誌によくある感じのインタビューではなく、妙に突っ込んだ内容になっていて面白かったです。母乳神話、育児ノイローゼ、産後うつなどの単語もよく出てきます。宗美玄さんの産後アドバイスも。もちろんインタビューだけじゃなく、オサレ靴や授乳服なども載ってました。個人的には「サラダを添える土屋アンナさん」が良かった。私も頑張って添えていきたい。よかったら、皆さんも読んでみてください。普段なかなか見られない、白鳥ママたちの水面下が見られますよ!というかこのレビュー、サラリとって書いておいて長かったね…!



※参考 「個としての輝き」

Web女子に「個としての輝き」を!久谷女子が面白い(Excite Bit コネタ) - エキサイトニュース







 

キッチン・コックピットから

 
 
皆さんは料理が好きですか?
 
私はもともと料理が苦手で、20代の頃は外食ばかりしていた。子供が生まれてから、さすがに外食ばかりではまずかろう、食費もバカにならないしと、ようやく重い腰をあげて、自炊に向き合うことにした。とはいえあまり気持ちが前向きでないので、かなりいきあたりばったりで料理をする日々。献立を考えるのもおっくうだし、レシピを覚えて「自分のものにしよう」という気持ちもないため、いつまでも腕が上がらない。決まった献立で食材を送ってくれる食材宅配「ヨシケイ」を使っていたこともある。けれどヨシケイは、基本の夕食献立が「三品ワンセット」だ。仕事を終えて保育園へ息子を迎えに行き、帰宅してから調理にかけられる時間はせいぜい30分。そんなタイムショック状態の我が家にヨシケイは、たとえば「スカイツリー完成記念!」と称し、ハンバーグと目玉焼きをツリー状にしたエクストリームレシピを提案してきたりする。「ヨ、ヨシケイ様…平日からタワーはパワー的に厳しいです、どうかお許しを……!」という日が続き、私はついにヨシケイ様もギブアップしてしまったのだった。
 
しかし先日二人目が産まれて、しかも子供達二人とも男児と来ている。彼らが食べ盛りになったらどうするの、私。お惣菜の唐揚げとコロッケを与えておくだけでは済まされないでしょう!ヨシケイギブアップ以来なんとなく気持ちが遠のいていた料理だが、さすがに一念発起し、おら育休中になんとかするべ!と、料理修行に力を入れ始めた。
 
料理修行といっても、一週間分の献立をまとめて立てて、それに沿って食材を宅配(今は生協を使っています)で購入し、一週間ずつまわす。そしてそれぞれのレシピを、ボーっとして作ることによって一期一会に、ではなくなるべく頭に入れて自分のものにして、調理に慣れる。ぐらいのことなのです。アータ、そんなこともやってなかったの!と怒られそうですが……すいません。けれどこういう工夫を始めたら、今まで気づかなかった料理の奥深さが、ちょっとずつ見えてくるのでおもしろい。
まず、「ほとんどの和食って、しょうゆとみりんと酒と砂糖で味つけされてんのな」ってこと。和食レシピは何を作るにしてもだいたい、これら調味料の加減で味つけが決まっている。すごい。逆に言うと、これらで適当に味つけすれば、だいたいの食材は美味しく頂けるのかもしれない。
それから外食で美味しいものを食べた時、「あー美味しかった」で終わらなくなった。「あー美味しかった。…で、これ、どうやって作るの?」となる。もしかしたら自宅で再現できるかも!という観点が生まれたのです。店員さんに聞くのは難しいので、レシピは想像になっちゃうけど、実際に作ってみるのも楽しい。「お店のあの味を再現」なんていう記事が、人気を博すのも分かります。
 
料理のやりくりに凝り出すと、食材をキッチリ使い切れた時、またそれによって冷蔵庫の野菜室が空っぽになった時などに、えも言われぬ達成感がある。勝った……あの時に特売だからといってなすを大量に買わなかったオレ、勝ち組……!というような気持ちになれます。別に食材が余ったら、それでもう一品作ったりすればいいんだけど、私はまだ修行が足りずそこまでの腕がない。漫画「アラサーちゃん」に、「得意料理は?」と男性に聞かれた時の最新の答え方(「肉じゃが」の次世代バージョン)として「冷蔵庫の中にあるものでパパッと作ったものかな」とありました。とても納得。私もパパッと、を目指して精進したい。
 
そして当然の帰結とも言えるが、ついに料理をする「場所」にもこだわりだしてしまった。つまりキッチン。主婦の聖地キッチン。手の届く場所に適切な調味料を配置したい!各種調理器具をキレイに収納したい!コンロ脇などのスペースを有効活用したい……!かくして我が家のキッチンの「コックピット化」は進んでゆく。
空間という空間、スペースというスペースを見逃さない。そこにふきんを引っ掛ける、鍋のふたを引っ掛ける、キッチンペーパーを引っ掛ける。そして、仕切る。箸などのカトラリーを仕切る、小皿やどんぶりを仕切る、冷蔵庫の野菜室まで仕切る。シンク下の扉裏側、足元の平たく大きな引き出し、頭上の空きスペース、とにかく引っ掛けたり仕切ったり。そうこうするうちに、シンク前から一歩も動かずに調理ができるようになる。キッチン・コックピットの完成である。
 
キッチンの収納具を買う時は、雑誌Martを参考に。Martの「推し100円ショップ」にてたくさんのラックと仕切りを買い、徐々に私のコックピットも完成しつつあります。もう来年あたり種子島から打ち上げができそう。
 ちなみにMart主婦的には、コックピットには機能性だけでなく、かわいらしさも重要。ギンガムチェックなコックピット。ボサノヴァが流れるコックピット。仕上げは瓶ですね、瓶。しかもただの瓶じゃない。ハワイで買ったスターバックスコーヒーの空き瓶、などがベスト。私もとりあえず100円ショップで買った瓶を置いた。中に何を入れたらいいかわからず、とりあえず並べてみた。正直「並べるだけでいいの?」感は否めない。でも打ち上げスタンバイはOKです、BGMはアントニオ・カルロス・ジョビンで。
 

 

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  私の母は料理が嫌いで、傍で見ていてもとにかく調理ができとうだった。ただ彼女の場合、「女性は家庭で料理をするのが当然」という時代に生きていたせいで、本来の「料理そのもの」を、純粋に楽しむことができなかったんじゃないかなあ、と今は思う。料理というものに余計な文脈がたくさん、くっついてくる時代。母は意地を張っていたのかもしれない。でもまあ、そんな気持ちも分からなくはない。
料理から、社会的・文化的なアレコレを除けて向き合うと、当たり前のことながら、人間にとって料理・食べ物の存在はとても大きいものだと感じる。かつて、つわりで思うように食事が取れない、何を食べても美味しくない数週間を体験したが、その辛さは予想以上だった。何せ人は一日に三度も食事をするのだ。「美味しいものを食べる」という行為が、日々の中で我々にもたらしてくれる幸福感を軽く見積もってはいけない。たとえ他に色々と楽しみがあったとしても、食べることが出来なくなったら、生きる気力をごっそり奪われてしまうのではないか、と想像している。
 


 ところでレシピには著作権がない、という話を聞いたことがある。レシピそれ自体は料理づくりのノウハウであって、「表現」ではないということらしい。(料理についてまとめた本などは著作権が発生する)そういえば先日、cookpadのレシピのまんま料理する女がムカつく、みたいな記事が炎上しかかっていたが、この、著作権がないという話から考えても、料理はむしろむやみに創作的でない方が正解である、先人たちが開発してきたノウハウに忠実につくった方がただしいとも言えるんじゃないか。というか、創造的だと時間がかかりすぎるしね。ツリー状のハンバーグとかね。

ということは「おふくろの味」なんかにも、著作権は発生しないわけだ。けれど美味しいものを一緒に食べたその瞬間は、唯一無二のものとして思い出に残るわけですね。

 


たとえば家族や親しい人に、感謝の気持ちを伝えたいとか、喜ばせたいと思った時。美味しい料理をつくるのは、一番と言っていいぐらい「手っ取り早い」方法なんじゃないか。特別な日じゃなくなんでもない日にも、食事は取るわけだから、そこにいつもより少しだけ手をかける、というくらいなら、さりげなくできる。そう考えると料理って、ベタなのにとても高尚な行いに思えてくる。私の場合はもっと自己中心的なので、自分が美味しいものを食べたいから頑張る、という感じだけれど。うちの母も意地を張らずに色々やってみれば良かったのに。小さな子と一緒に料理をすると、こねたりお団子にしたりなど、遊びに近い要素も含まれるから、これまた、たとえば雨の日、予定がない日の子供たちとの過ごし方として非常に手っ取り早いのに。

 
 
ベタだけど、意地を張らないでやってみたら実は面白いものって、きっとこの世にたくさんあるんでしょうね。毎日の料理は仕事にも趣味にも分類できない、力の入れ具合が難しいものだけれど、意外と、創造的な映画などよりもパワーを発揮する時があるんじゃないかしら。とか思いながら、頭上のキッチンペーパーにサッと手を伸ばしてみたりして。
 
 
 

*


冒頭の話に戻るけれど、とはいえ毎週の献立を途切れなく考えるのはやはり簡単ではない。そこで最近、「献立をオンラインで共有する」というのをお友達とやっています。それについては、次回書きますね。
 
 


ニッポンの妻に「個としての輝き」を!久谷女子第六号が出ます

お盆を前にお義母さまへの手みやげに頭を悩ます妻のみなさん、こんにちは。今日は告知です!WEB女子集団「久谷女子」による同人誌「久谷女子便り」の新刊が出ます。今回のテーマはWEB女子と結婚」です!
(久谷女子ってなに?という方はこちら)

WEB女子による同人サークル「久谷女子」とは何か - NAVER まとめ


実は久谷女子には既婚者が多いのですね。WEBをこよなく愛する女子が結婚するとどうなるのでしょう。夫たちも「WEB男子」なのでしょうか。夫は妻の趣味に寛容なのでしょうか、そうでもないんでしょうか。PCの配線は妻がやるの?ケンカしたらTwitterはブロックするのかしら。興味は尽きませんよね!メンバーの多様な結婚観・ライフスタイルを知れる新刊、必見です。(ちなみにタイトルの「個としての輝き」は、今号の編集中にメンバー内で大流行したキーワードです。詳細はぜひ本誌にて)

 

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■ 全部で100P!インタビューと寄稿も豪華です

今号はボリュームもすごいです。全部で約100P!読みごたえあります。毎号掲載されている「WEB男子インタビュー」、今回はなんと「株式会社ドワンゴ会長 川上量生さん」「株式会社ミクシィ会長 笠原健治さん」。お二人とも新婚さんなのです。さらにWEB女子特別編として、編集者であり津田大介夫人であるキキさんも登場です!!
中でもミクシィ笠原さんのインタビューはオススメです。きっとシャイな方なのでしょう、インタビューでは久谷女子の率直な質問に何度も「(照)」となりながら回答されています。こんな伏し目がちでメガネでシャイな方が会長なんて、ミクシィの今後は安泰だ……!

ゲスト寄稿陣もとっても豪華なのですが、はてなーの私としてはやはりまず、あの「下半身がフリーザ」で、はてなに元気玉をwぶちこんだ加藤はいねさんと、元・小町トピ職人のトピシュさんを推します!私はトピシュさんのおかげで、ママ友が「○○○○って発言小町に書いてあったの」と相談してきたら、すかさず「それは釣りだね^^」と言ってあげられるようになりました!
さらにイラストレーター&漫画家の水谷さるころさんのコラムも、共働き妻なら、涙なしには見られない内容となっていて、とってもオススメです。

 

 

■ 夫たちのアンケートも載ってます


そして今回は、久谷女子メンバーの「夫」たち自身が答えたアンケート企画も。いろんな夫婦の形があるねー、としみじみ楽しめる内容になっております。うちの夫はふだん誰にも聞かれないせいか、アンケートで自分語り(主にヲタク語り)がウザいぐらい長くなっていたので私がバッサリ削りました。
ちなみに私のコラムは?と言いますと、新刊の執筆時期と第二子の誕生がちょうど重なってしまい(前回のエントリ参照)、ほとんど寝てない中で原稿を書きました。新生児のお世話に明け暮れ、このままではマズい、自分だけではページを埋められないと思い、半分の1Pを夫に書いてもらいました。うん、「結婚」特集だし、いいよね!

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久谷女子の中で言えば私のポジションは「奈落、40位繰り上げ当選(あまちゃん)」に違いないですので、私たちのコラムを心待ちにしている方は少ないと思いますが、まあ「ガンダムと福満しげゆきが好きな真面目系クズでも結婚できるんだな」とか「mixi日記を誰にも読んでもらえない、巨人に例えると寄行種みたいな女性でも結婚できるんだな」、そんな風に思ってもらえる内容にはなってる……と思います。

詳しいコンテンツはこちらの目次をご覧ください。

◆巻頭座談会〈 これまでのあらすじ〉[久谷女子オールスターズ]
◆WEB 劇場型夫婦物語[猪谷千香(いがやちか)]
◆WEBと結婚と私[岡田育]
◆俺のワイフは久谷女子〜夫が語るWEB 妻像〜 ケース#1
◆【WEB男子インタビュー特別編 新婚さんいらっしゃい!(1)】株式会社ドワンゴ会長 川上量生さん
◆インタビュー反省会[猪谷千香・岡田育・岡田有花・閑歳孝子・鳩岡桃子]
◆WEB女子の異常な愛情[閑歳孝子]
◆はみ出し妄想書道1[カオルンバ]
◆俺のワイフは久谷女子〜夫が語るWEB 妻像〜 ケース#2
◆WEBはまわる 君をのせて いつかきっと出会う 僕らを乗せて[よーこ]
◆はみ出し妄想書道2[カオルンバ]
◆俺のワイフは久谷女子〜夫が語るWEB 妻像〜 ケース#3
◆進撃の独身[加藤はいね]
◆結婚について考えていること[まっきー]
◆【WEB男子インタビュー特別編 新婚さんいらっしゃい!(2)】株式会社ミクシィ会長 笠原健治さん
◆インタビュー反省会[猪谷千香・岡田育・岡田有花・閑歳孝子]
◆はみ出し妄想書道3[カオルンバ]
◆ウェブは体を表す[灰色ハイジ
◆日々是電脳[こへだ]
◆ちなみに私は20 代で旧帝大卒一部上場企業勤務の夫と結婚しました[トピシュ]
◆俺のワイフは久谷女子〜夫が語るWEB 妻像〜 ケース#4
◆俺のワイフは久谷女子〜夫が語るWEB妻像〜 ケース#5
◆インターネットは魔法のツール☆[鳩岡桃子(ハトコ)]
◆俺のワイフは久谷女子〜夫が語るWEB妻像〜 ケース#6
◆はみ出し妄想書道4[カオルンバ]
◆午前四時。WEBを見ながら「結婚反省会」[水谷さるころ
◆【WEB女子インタビュー特別編 〈奥様お手をどうぞ!〉】
◆編集者・津田大介夫人 キキさん
◆結婚? そんなことよりお金稼ごうぜ![家入明子]
◆はみ出し妄想書道5[カオルンバ]
◆うちの夫ってどうでしょう? / うちの妻ってどうでしょう?[こべに]
◆はみ出し妄想書道6[カオルンバ]
◆半径85cm 〜二次元がその手を伸ばす距離。[pinkpeco]
◆俺のワイフは久谷女子〜夫が語るWEB 妻像〜 ケース#7
◆俺のワイフは久谷女子〜夫が語るWEB 妻像〜 ケース#8
◆銛ガールの夫が「よめヲチャー」になった理由[山本友理]
◆はみ出し妄想書道7[カオルンバ]
ウェディングドレスとミシン目と私[岡田有花(ゆかたん)]
◆はみ出し妄想書道8[カオルンバ]
◆俺のワイフは久谷女子〜夫が語るWEB 妻像〜 ケース#9
◆巻末座談会〈 個としての輝き〉[久谷女子オールスターズ]
◆編集後記

 


ご購入は、コミケにて。夏コミ2日目、8/11(日)東館O-01aにお越しくださいね〜〜。その後の通販はまだ未定です!


 

■ もう一冊、「履歴書本」も出ます

履歴書本とは、久谷女子の「メンバー自身が振り返るデジタル人生を履歴書風にしたためた」まとめ本です(初出は2月のイベントです)。私もそうなのですが、2月のイベントに登壇しなかったメンバーも加え、全11名分の履歴書が収録されています。このデジタル履歴書、黒歴史を書く欄だけ行数が多いので、一生懸命書いていたら、そこからしばらく鬱になったことをここに告白しておきます……皆さんご自身が記入できるフォーマットもついてきますので、ぜひ記入してみてくださいね。こちらもコミケで同時発売です、表紙の「ケツの穴が小さくない人」が目印です!

 

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■ 8/31、阿佐ヶ谷ロフトAでイベントがあります

既に何回か行われているのですが、イベントもあります。「文化系キャバクラ」サロン・ド・久谷女子。今回は私も登壇させて頂くことになりました!緊張してくるのでこれ以上は何も書けません……でも会場でお会いできたら嬉しいです。
ハッシュタグは #自意識高い です(キリッ 詳しくはこちら!

サロン・ド・久谷女子 八月末の濡れたWEB – LOFT PROJECT SCHEDULE




以上、宣伝でした。どうぞよろしくお願いします。
久谷女子のfacebookTwitterもぜひご覧くださいね〜〜!



★合わせて読みたい
トピシュさんの紹介記事

元トピ職人の釣り解説 • [PR]「久谷女子便り第6号」に寄稿しました

高校時代を「共学・サブカル・田舎」で過ごすということ - 冬川智子さんのマンガを読んだよ

以前、「シンプルノットローファー」というマンガについて書いたことがある。

衿沢世衣子「シンプルノットローファー」。モンナンカール女子高等学校(中高一貫)に通う女の子たちの日常が12話、描かれたマンガである。大和田舞可(マイカ)始め、26名のクラスメイト一人ひとりが、主役になったり脇役になったりしつつ物語が進む。内容はというと、生物室で飼われていたヘビが逃げ出して大騒ぎしたり、ハンダゴテを使いこなす機械通のりょうちゃんが「今できることを、今やってみたかった」と家電修理の仕事体験をしたり、ケータイを手放せないエマが、登校中に『嗚呼、いっそこのまま、どこか知らない町まで行ってしまおうか…』とブログを更新したり…。どこにでもありそうな、しかし人生でたった一度きりの思春期の日々が、チャーミングに描かれている。


懐かしい気持でいっぱいになりながら読み終えて、しばらく経ってふと気がついた。ないじゃないか、あれが。決定的なものが。つまり、色恋が。



セーラー服で真夏のプールに飛び込んだことはありますか? -書評「シンプルノットローファー」- - kobeniの日記


あの時。もしかして高校時代を「女子校で過ごすか共学で過ごすか」って、ずいぶん違うのかな?と思った。そして今回、冬川さんのマンガを読んで、「やっぱり私の高校時代って『共学(のある種の女子)』ならではのものだったんだ…」と感じた。簡単に言うと「すごく共感するところが多かった」ので、つらつら感じたことを書いてみます。

ちなみに私は、作者の冬川さんと同世代です。なので下記はいま20代後半〜30代後半くらい、つまり90年代に10代を過ごした人特有の感覚かもしれず、そこから少し世代がズレると共感の度合いが薄くなる…かもしれませんし、そうでもなくて意外と普遍的なのかもしれません。

本文で引用するマンガはこちら。これから読む方のために、ネタバレは少なめで書きたいと思います。


「水曜日」

水曜日 (IKKI COMIX)

水曜日 (IKKI COMIX)


「あんずのど飴」

あんずのど飴 (IKKI COMIX)

あんずのど飴 (IKKI COMIX)


「マスタード・チョコレート」

マスタード・チョコレート

マスタード・チョコレート


■ 女同士の友情<恋愛?



「水曜日」の主人公・鳩は、中学から高校に進学する時「男子と話す」を目標にしている。たしか当時、私もまったく同じことを思っていた。そして高校に入ると、女子同士ではいつも「好きな人」の話をしていた。誰か好きな人がいる、ということがポイントであって、片想いでも両想いでもいいんだけど、やっぱり「告白する⇒付き合う」という風に成功した女子は、他を出し抜きステージを上がるというか、面クリ(一面をクリア)といった趣があった。

そうしてなんとなく「彼氏いないorDIE」みたいな空気がつくられていく。だから頑張って、どっかに男子を呼び出して告白する計画を立ててみたりする。そういうのが女子の友達グループ内で一大イベントになる。それでフラれてしまった場合(私はフラれました)、またグループでフラれた子の家に集まって、お泊まり会などして励ましあったりするんだけど、それも一大イベントになる。こんなことを繰り返すうちに女友達同士の結束はどんどん固くなっていく。

けれど、あくまで「彼氏いないorDIE」という空気の中での結束だから、彼氏ができたらその子は、放課後だって休日だって彼氏を優先するようになる。そして、女友達にはそれを止められない。大人の今なら、「彼氏・夫は別腹」といった対応ができるのかもしれないけど、10代という、恋愛に免疫が低い女子にそれは無理だ。とにかく「男子」が最優先。私はその感じがいつも寂しかったんだけど、冬川さんのマンガにはその「共学女子間によくある寂しさ」みたいなものが、様々な形でうまいこと描かれていると思った。「水曜日」も「あんずのど飴」も「マスタード・チョコレート」も、恋したい!と願うものの、いざとなるとどうしても「他の子たちのように、友情よりも上に恋愛を置き切れない、不器用な気持ち」が露呈する様が描かれている気がした。
私は、もはや自分にそんな葛藤があったことすら忘れていて、でも確実にあったことを思い出したから、なんだかとても切ない気持ちになりました。




■ 恋に恋する三年間(KK3)


「水曜日」に、鳩が高校の屋上で「架空の彼氏とデートする」みたいなコマがある。男子と話したい!けど話せない!という気持ちは繰り返し何度も出てくるのだけど、そこまで執着がある割に、鳩がどんな男の子を好きなのかは、サッパリわからない。共学だから周囲にたくさん男の子がいる環境なのに、具体的に誰のどこにときめいたか、というような描写がない。いや、別に鳩ちゃんを責めてるわけじゃないんです。要するに、恋に恋しているだけなんだよね。「両想い」になってみたいだけで、その具体的な相手像については、漠然としている感じ。

今になって思い返せば、クラスにも魅力的な男子ってたくさん居たよな、と思う。ただしその当時、彼らの魅力に気づけたかというと、全く別の話。鳩も結局、高校三年間を通して、「本当に好きな人」はできなかったんじゃないかなと思う(しいていえば、彼女が一番好きな男子はタモさんだろう)。
仮に三年目を「受験だから」という理由で除くとすると、高校ってたった二年しかないしね。


まあ、こんな風に無理して恋に恋するよりも、部活とか生徒会とか、やりたいことに没頭する方が健全なんじゃないかと思うんですが、どうでしょう。それが、私が女子校出身者に憧れる所以です。
そして当時、私の「両思い」への焦燥感を無駄にかき立てたのは、間違いなく当時流行っていた小沢健二の「LIFE」だった。だからあのアルバムちょっとだけ恨んでいる。

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■ 「オシャレ組」の存在


「水曜日」には「オシャレ組」という人たちが出てくる。見た目が華やかで、男女の仲がいい。既に中学の時点で彼氏彼女がいたりする。鳩はそういう人たちに憧れて、羨ましく思っている。

「オシャレ組」。確かにいた気がする!もとから持ってる容姿がかわいい、カッコいい男女。なぜかお互いを下の名前で呼び合っている男女。鳩はその子たちと仲良くなろうとして、手段のひとつとして「おしゃれする」を選んでるフシがあるのだが、その戦略が正しいのか?は置いといて、気持ちはすごくわかる気がする。容姿は変えられないけど、おしゃれはまだ、努力すれば磨けるもんね。

けれど実際は、おしゃれすることにより、なぜか見た目がエキセントリックな方向に行ってしまい、むしろ「オシャレ組」(特に男子)から距離を置かれてしまったりするのだ。ちょっと種類の違う人だと思われて、敬語で話しかけられてしまったり。制服着用がデフォである高校時代の「モテ」において、服装のセンスなんか二の次であって、磨いてもそう簡単にカーストの上には上がれないんだよね。遠足や修学旅行での私服をめちゃくちゃ気合い入れて選んで、わざわざ原宿ラフォーレまで行って買ったTシャツとか着てみても、あまり意味はない。「見た目とスタイルが良くて新体操部に所属する女子」とか、「地毛が茶色くてメイクしなくても十分かわいい性格もいい女子」とかにあっさり負けるから。地毛が茶色いのズルい!!

まあでも、今で言えば「リア充め……」となるのかな、そんな風に影で呪詛を垂れたりせず、このヒスのかばん持って行ったら…オシャレ組に気づいてもらえるかな☆といった感じで、おだんごヘアーやでっかい消しゴム(?)などでちっちゃく努力する鳩はかわいい。たとえオシャレ組に「○○さん(苗字で呼ばれている)、Tシャツ、裏表逆だよ?」と言われようと。そういうデザインなんです!!

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■ 「サブカル好き」で自分を守る



冬川さんのマンガには、「冬野さほ」や「魚喃キリコ」のマンガとか、ネオアコやインディーズのCDかな?と思われるモチーフがよく登場する。90年代にいわゆるサブカルと言われていたジャンルの。けっこう懐かしいです。

冬川さんもきっとサブカル好きなんだろうけど、これはマンガの主人公が、「オシャレ組じゃない自分」の自我を守るための必須アイテムなんじゃないだろうか。

「水曜日」は、天の声として冬川さんが鳩に突っ込む形で描かれている。「誰も見てない」とか「自分次第だ」とか。けれどこういう風に、本人の行動をギャグに昇華できるような客観性は、年を取った今だからこそ得られるものだ。冬川さん自身も、高校時代はプライドが高くて、しかし理想と現実のギャップに悶え苦しみ、そこから自意識を守るのに必死なために、人とは違う趣味=サブカルの世界(音楽、マンガ、小説、深夜ラジオ、雑誌、etc…)に没頭する女子(こじらせ女子?)だったんじゃないかと思うのですが、違うでしょうか。鳩はズッコケた感じの女子として描かれてるけど、当時の鳩は超真剣・超本気なのではと。少なくとも私はそうだった。そして調子に乗る度に、周囲の友人に容赦なくボコボコに言われてた気がします。嗚呼10代……
ちなみに「サブカル好き」も、カーストを上がる要素には一切ならず、男子から見たら色物まっしぐらだからね。最近は「ちょっと亜流の趣味を男子にアピール」みたいなモテ手法もあると聞きますが、私がいわゆるサブカルを好んでいたのは、間違ってもモテるためじゃなくて「自分らしさ」?って言うの??を守るためだったと思う。
けど、いわゆるサブカル好きが「自分らしさ」になり得るのは、このあと書きますが鳩の住まいが「田舎」だからですよね。


私も、共学にいるのにモテない=辛い楽しくない自分を支えていたのは、好きな音楽とか深夜ラジオだった気がするよ。その後「いいや、東京行くし、恋愛は」みたいな形で、自我を支えるものが「上京」にすり代わりましたが……

ちなみに当時、サブカル好きだった田舎の「男子」はどんな風に暮らしていたのだろう。よくよく思い返してみると、クラスにマイナーな洋楽とか電気グルーヴが好きな男子っていたなあ(※当時ヒットチャートはTK小室哲哉全盛期です)。けれどサブカル好き同士は同族嫌悪みたいな感じになってて、お互いをバカにし合って不毛な関係になっていたのではないかと思われる。サブカル好き女子は、サブカル関係ないオシャレ組男子にフツーに恋している(ただし報われない)か、「ジャック・ケルアック読んでて小山田圭吾みたいな見た目の男子いないかなー」みたいに異様にハードル上げすぎていたり。サブカル好き男子はそもそも恋愛に興味を持ってないというか、女子というだけで、話しかけると「宇宙人を見る」みたいな目で見られたことが…あるような気がします。どっちもどっちだ。いや、今はそういう男子好きですよ、だから怒らないで!

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■ 東京へ行くあの子、地元に残る私



「あんずのど飴」は、素朴な女子ふたりの友情物語だ。高校生活を通しだんだん二人の間に距離ができてしまい、うまく行かなくなる。ただそれだけの話で、原因だとか理由は、あまりハッキリと語られないところがヤケにリアルで、きっとほぼ実話なんだろうな、という気がしてくる。
サブカル好きだった、という話を書いたけれども、田舎にいるとサブカル好きをこじらせやすい。周囲に同じような趣味の人間がいないというだけで、自分が特別だと勘違いしやすいからだ。そして田舎で暮らしていると、自分が理想通り花開かない理由を、すべて場所=田舎のせいにできる。
「あんずのど飴」を読んでいると、高校時代というのはつくづく、自我をつくるための大切な季節なんだな、という気がしてくる。ふたりとも「自分が分からない(=将来の進路を書くことができない)」ところから始まり、「素直で人なつっこい」彼女がまぶしい、「自分を持ってる」あの娘が羨ましい、そんな風に思う気持ちを、時にまっすぐぶつけ合って傷つけ合って成長していく。この「ぶつけ合って傷つけ合う」というのが、10代の特権だという風に思う。
田舎者は、外へ出て自分の思い上がりに気がつき、大きな挫折感を味わうわけだけど、たとえ勘違いであっても、若い自分に対して大きな希望を持てるというのは、ある種「田舎者の特権」ではないか…と、最近思うようになりました。分別もついて大人になった頃に、やっと、自分が「あの子たちとは違う」と思っていたクラスメイトや、「ダサい」と思っていた周囲の大人たちが、どれだけ地に足のついたしっかり者で、それぞれに魅力的で、未熟な自分をあったかく見守ってくれていたのか、よく分かるようになるんですけどね。

ちなみにここで言う「田舎」って、田舎それ自体がよくよく見ると個性的、みたいな場所ならまだいいんだけど、そうじゃない。「あまちゃん」の舞台みたいな場所じゃなくて、大半の地方都市はもっと無個性で、まあまあお店なんかはそろってて、けど単に広くてデカいだけだから。
あまちゃん」も、東京と田舎をめぐる、10代女子の成長物語なので、とても面白く観ています。主人公のお母さん役のキョンキョンも、「結局、場所じゃなくて人なんだよね」と言ってたよね。


たまに10代の頃を思い出すと私は、本気で鬱になったり「うわああああああ!!!!」って頭を抱えたくなる。恥ずかしいことや思い上がったことをたくさんやってきました。けれど最近、同世代で同じような体験をしてきた人たちが、マンガや文章やドラマなどで、その頃のことを表現し始めていて、「まあ、良かったのかな。恥ずかしいことでも、失敗を恐れて何もしないよりは」と思えるようになってきた。それは彼ら・彼女らの今の表現が、そういう紆余曲折の上に成り立っているからこそ、素敵に見えるんじゃないか。と思うからです。都合よく解釈しすぎ?


「女子は、『花の高校生時代』をどう過ごしたかによって、その後の人生が決まるというのが私の持論です(今考えた)。」


(「水曜日」あとがきより)




皆さんの高校時代はいかがだったでしょうか。今の人生にも、実は大きな影響を与えてるかもしれないですよ。



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【参考】



田舎→大学進学・サブカルが出てくるマンガといえば、東村アキコ先生の自伝マンガ「かくかくしかじか」もメチャクチャ良いです。
「マスタード・チョコレート」と同じく、美大への進学の話です。


かくかくしかじか 1 (愛蔵版コミックス)

かくかくしかじか 1 (愛蔵版コミックス)

かくかくしかじか 2 (愛蔵版コミックス)

かくかくしかじか 2 (愛蔵版コミックス)



「こじらせ女子」という言葉で、なんとなく救われた気持ちになった私です。雨宮まみさんの著書もとても良いです。

女子をこじらせて

女子をこじらせて

だって、女子だもん!!: 雨宮まみ対談集

だって、女子だもん!!: 雨宮まみ対談集

20-40代、働き盛りの皆さん(特に男性)に知ってほしい「風疹」のこと

 

風疹が東京を中心に大流行中ということで、このニュースをずっと気にして追いかけています。それには理由があって、私は今から4年前の妊娠中に、初期の血液検査で「風疹の抗体が非常に低い」とお医者さんから言われた経験があるからです。いま、風疹の感染源となっているのは20-40代の男女、むかし予防接種をしていない世代だと言われています。で、よく考えたら、「はてな」ってこの世代の男女、特に男性がよく読んでるじゃないですか。私はどっちかというと男性、少しでも多くの男性にこの話を知ってほしく、ちょっと書いてみることにしました。
本文中の引用は、すべてNHKの「ストップ風疹」サイトからです。

http://www3.nhk.or.jp/news/stopfushin/


「ことしに入って国内の感染者は2000人を超え、去年同時期の20倍以上と過去最悪のペースで感染が広がっています。
患者の8割近くが男性で、その大半が20代から40代です。
なぜこの年代の男性に風疹患者が多いかというと、子どものころ、予防接種の対象ではなかったり、対象であっても受けていなかったりして、抗体がない人が多いためです。」



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■  妊娠初期の女性が風疹に感染すると、赤ちゃんに障害が出る恐れ

先日、職場の人に「なんか、妊婦の風疹が流行ってるらしいね」と言われました。惜しい。ちょっと間違っている、惜しい。けど、ニュースをじっくり観ない限り、一般的な認識はこのくらいで当然だろうと思います。ほんとうに妊婦がバンバン風疹にかかっていたら、かなり問題なのです。特に妊娠初期は、人間の体ができていく、とてもナイーブな時期なので、最も気をつけなければいけません。しかも、妊娠した後に(風疹抗体がない・風疹にかかったことに)気づいても、もう予防接種が射てないし、かかってしまっても薬も飲めないのです。


「妊娠20週頃までの女性が風疹ウイルスに感染すると、おなかの赤ちゃんが目や耳、心臓に障害が出る「先天性風疹症候群」で生まれる可能性があります。

その確率は妊娠初期に感染するほど高く、妊娠1か月では50%以上、2か月で35%、3か月で18%、4か月で8%というデータがあります。」


私はお医者さんに「風疹の抗体が非常に低い」(仮に過去に予防接種をしていても、時間の経過と共に抗体が減っちゃう、ということがあるらしい。接種をしたかどうかは、自分も親も記憶があいまいで、分からなかった)と言われ、どうしたらいいですかと聞いたら「人ごみに行かないとか、自衛するしかない」と言われました。先天性風疹症候群のことを、恥ずかしながら当時は妊娠するまで知りませんでした。だから事前に予防接種もしていなかったのです。妊娠発覚してからの検査で「抗体がない」と分かっても今さら手の打ちようがなく、「かかりませんように」と祈るくらいしかできないのです。2008年ごろは、ここまで風疹が流行していなかったですし、私はかからずに済みましたが……ちなみに出産後しばらくして、近所の病院で予防接種をしました。


■ 「私は妊娠初期です」と言ってまわる女性はいないし、自分でも気づいてないかもしれない

妊娠が発覚したらすぐに仕事を辞めて、家で引きこもっていれば、仮に風疹抗体がなくても、安全に妊娠期を乗り切ることができるかもしれません。けれど、私はそれが現実的に難しいと思っています。
まず、妊娠初期というのは自然流産(妊婦に問題があるのではなく、胎児の染色体異常などで起こるもの)も15%程度はある時期で、赤ちゃんが無事に育つか分かりません。無事に育つか分からないのに、仕事を辞めるって、けっこう難しいことだと思います。職場の人にいつオープンにするかも、この時期の妊婦さんは悩むものですし。それに最近では、妊娠が発覚したから退職しますという人は減ってきています。産休に入るまで仕事を続ける妊婦さんが増えています。
(感覚値でお分かりかとは思いますが、いちおう統計データだとこのあたり)
http://www.mhlw.go.jp/bunya/koyoukintou/josei-jitsujo/dl/11gaiyou.pdf

それから、よく考えたら妊娠初期って、本人も気づかないというケースもあるなと思いました。熱っぽいなー、風邪かな。ぐらいで、意外と気づかないこともあるもんです。


「妊娠していることに本人や周囲が気づかず、『無警戒』な時期に感染してしまうおそれもあるのです。最近の報告では、身近に風疹にかかった人がいないのに感染する妊婦が相次いでいます。生まれてくる赤ちゃんを守るためには、多くの人が風疹にかからないように予防することが重要です。」


現実的にはもちろん、まず妊娠を考えている女性と、その夫など周囲の人が、事前に予防する(妊娠する「前に」予防接種をする)という形を取るしかないだろうと思ってはいますが…。インフルエンザなどは企業活動に与える影響も大きいので、企業単位で予防接種をしていたりします。が、風疹は現時点でそこまでしている企業はまだ少ないと思う(社内で一斉に予防接種を行う企業も出てきてるみたいです! http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130508/k10014423081000.html

)ので、個人が自主的に接種に行かなくてはいけません。忙しい毎日の中で、しかもこんなあったかい季節に予防接種に行くの、ちょっと面倒くさいですよね… けれど、もしかしたら職場に、通勤電車に、街中に、妊婦予備軍とか、既に妊娠中の女性、それに気づいてない女性、その夫がいるかもしれない。と考えて、よかったら予防接種に行ってもらえたら嬉しいなと思います。

それから管理職やリーダーなどの立場にある方は、もし職場で、風疹にかかった人が出た場合、感染力がかなり強いので、警戒するためにも情報共有をしてあげてほしいです。

「風疹の免疫がない人の中に患者が1人いた場合、何人の人にうつすかを示す指標では、インフルエンザは1〜3人であるのに対し、風疹は5人〜7人と言われています。」



■ というか、かかった本人(大人)もかなり辛いらしい

とはいえ、やっぱり自分には関係ないと考える人も多いかもしれません。けれど、「うつさないため」の前に「自分が辛くならないため」に…予防接種をしてみてはと思います。

「『風疹は子どもがかかる病気』だと思って油断してはいけません。成人の風疹の多くは、1週間程度で症状が治まると言われていますが、中には風疹のウイルスによって脳に炎症が起きる「脳炎」と診断されたケースもあります。重症に至らないまでも、40度近い高熱が数日間続いたり、血小板が減少して入院するケースもあります。1週間ほど仕事ができなくなることが多いため、 仕事や生活にも支障が出てしまいます。」


なにこれ普通に辛い……!こんなぽかぽか陽気なのに、一週間も寝込みたくないよね!子育てしていると、子供がよくかかる病気の感染力の強さにビックリすることがあります。水ぼうそうとか「●●ウィルス」とか、ものすごいスピードでクラス中に広がりますからね… 風疹は特効薬がないみたいで、(子供に流行る病気ってそういうのも多い)対処療法しかできないのも辛いところです。


ということで、本日は良識ある、主にはてなー男性の皆さん(もちろん女性も)に、自分の経験から「ストップ風疹」について書いてみました。最近では、予防接種について助成をしている自治体もあるので(※残念ながら、妊娠を予定している女性や妊婦の夫など、助成対象が限定的な自治体が多いですが)まずご自分のお住まいの自治体のHPをチェックしてみてくださいね〜。


「市区町村によっては、接種費用の一部または全額を助成するところもあります。市区町村のホームページをご覧下さい。
東京都内や近郊の自治体の補助制度については、東京都感染症情報センターのサイトをご覧ください。」

http://idsc.tokyo-eiken.go.jp/diseases/rubella/vaccine/

 

追記:今は風疹単体の予防接種は品薄らしいという情報を頂きました。MRといって、風疹・はしかの混合ワクチンなら在庫があるようです。

 


【参考】

ストップ風疹のCMに出られているお母さんのブログ。
いろいろとグッと来ます。勇気を出して啓蒙活動されてて尊敬。
http://ameblo.jp/boo-to-cotton/
CMはけっこうNHKで流れています、サイトから見ることができます。
http://www3.nhk.or.jp/news/stopfushin/

クローズアップ現代」で取り上げられていました。なぜ予防接種が徹底されていないか、などの歴史的な経緯も分かります。http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3344_all.html

ブログで文章をうまく書く方法


お友達のいちのせきさんから、こんな質問を頂きました。


 

あらためて「これってブログの文章の話?それとも仕事とかそれ以外?」って彼に聞き直したら、ブログ(不特定多数の人を相手に発信する)だと言われました。
すごく正直に書きますと、聞かれなかったら絶対に書かないですね……恥ずかしいもん。なのでこのエントリはUP後一時間以内に自動的に消滅します(ウソです)。しかし、大切なお友達に聞かれたことですし、インタビューズやってないからブログで回答してほしいと言うので、需要は少ない話だと思いますが、ここにキチンと書きますね。



えーと質問はなんでしたっけ、はてなはどうして書き手にお茶を出さないのか?違いますね。文章術の話です。


昨年放映された「プロフェッショナル 仕事の流儀 イチロースペシャル」で、イチローが(彼にとって非常に珍しい)バッティング不調について聞かれて、こんなことを言っていました。

 
バッティングや技術のことって、「見てる人」にとってそんな大したことじゃないと思うんですよね。「どうやってこの人が生きているんだろう」、ということが大事であって。


番組でもかなり冒頭の方で流れた発言だし、その後、具体的なバッティングの感触についても語るようになるので、強がり?からの一言からもしれません。けれど私はこの発言に、イチローの仕事観、野球観みたいなものを垣間みたような気がしました。
「バットのこの辺に当たるとよく飛ぶんですよ、けど今はこのあたりに当たってます」というような話は「大したことじゃない」と言っているわけです。自分がホントに見てほしいのはそこじゃない。試合の結果だけでもない。スランプも含めて野球というものに向き合う姿勢・生き方を見てもらうことが、自分が野球を生業としている理由だ。と、言いたいのかなと思いました。

イチローには、「自分のプレイを通して、なにか伝えられることがある」「それは『野球』でなければいけない」という想いが、あるんじゃないでしょうか。



■ 誰も待ってないからこそ、動機とテーマが大事です

文章も、「技術」はもちろん必要です。しかし誉めて頂けるのは嬉しいのですが、私がブログを書く上で駆使している文章術に、たいしたものはありません。せいぜい「起承転結」の流れを大事にする(起承転結ってホントに侮れないと思う)とか、見出しを乱立させないとか、内容を歯切れ悪くして炎上気味にさせないとか、よくホッテントリに上がってくる文章ライフハックに書いてあるようなことしか(あと、はてなで血を見た経験から体得したことしか)、守っていません。


それよりも大切なのは、「なぜ書きたい・なにを書きたいのか」「ブログという手段を選んだ理由」という、動機の部分ではないでしょうか。ブログのような、「他者が目的を設定してくれない」言い換えれば「誰も待ってない」ものだからこそ、これが大事だと思うんです。
「動機、とか言えるほど高尚なテーマを選んでない記事も多いじゃないか」って?違うんです、その記事には、「くだらないことをやるべきだ」という強い動機があるんですよ。


たとえば昔、「たまーに会うお義母さんの話を上手に聞く方法」という記事を書いたことがあります。一見、「なにフザけてんの」と思われるような内容かもしれません。でもですね、母親になると、「えっ、それ小町の釣りトピじゃないですよね?」という、正直ドン引きするようなエピソードも、ママ友から実話として耳に入ってくるんですよ。好きな人と結婚するとか、子供を持つとかいう割とベタな欲求を叶えるために、なぜ付属物としてこんな地雷がついてくる必要があるのか……!とビックリしたんです。でね、そんな付属物(地雷)に深刻になると辛いから、「せめて笑い飛ばしていきたいよね」と思ったわけです。吹き飛ばされるのではなく、吹き飛ばしたい!記事を書いた裏には、例えばママ友とか嫁姑問題とか、そういうのを同世代と共に、ネタ的・メタ的に笑ってなんとか切り抜けたい。という動機がありました。


必要な技術は、それらの動機によっても異なってきます。説得したい場合と、読後なんとなくいい気分にさせたい場合では、採用すべき文体も論の展開の方法も異なるでしょう。やはりそんなことより、強い動機とテーマ設定を持った方がいいです。そっちを探す方が、実は簡単じゃないように思います。


■ 書けなくなったら、どうするか

ところでイチローさん(「さん」づけすると変ですね)の場合、最初は「野球が好き、他の子よりズバ抜けて得意」といったところから、野球人生を始めたんじゃないかと思います。けれど、ライフワークとして続けていくとなると、たとえ原点が「好きだから、楽しいから」だとしても、それだけではやっていけなくなる時が来るんじゃないでしょうか。
そういえば映画「魔女の宅急便」で、キキがある日突然、空を飛べなくなるエピソードがありますよね。「これまでは、何も考えずに血で飛べたのに」。彼女も、飛ぶことをライフワークにする(具体的にはニシンのパイを運んで、「あたしこのパイ嫌いなのよね」と言われるなど)中で、なぜ飛ぶのか?という動機に迷いが生じた時、飛べなくなった…のかもしれません。「ほんとうに私が宅急便をやる必要なんてあるのかしら、だってこの街には佐川さんやヤマトさんがいるじゃない、私にはクール宅急便なんかできないし、雨の中飛ぶだけで風邪引いて閉店って、どうなのよ……」

何度も書きますがブログって「誰も待ってない」です。読んでもらえる理由の9割は「タダだから」だと思った方がいいです。「ネタがない、書けない」からといって、やめても誰も困りません。悲しむのは、はてなの近藤社長ぐらいです。いや、私は、このブログの「読者になる」ボタンを押してくれた約90名(2013年3月現在)の方のことを神様だと思っていますので、もちろんやめずに続けたいですが、たぶん神様たちも日々、ブクマとか「いいね!」とか保育園送り迎えとかPASMOのチャージとかミスの経緯書を書くとかで忙しいと思うのよね。だから私が更新をやめても、きっと気づかないと思うのよね……。

「ブログのネタがない、どうしよう」大丈夫!誰も待ってないから。そういう謙虚な気持ちからリスタートしましょう。そもそも、あなたのブログを「見てる人」は誰でしたっけ。どうして書き始めたんでしたっけ?表現方法って文章が適切なの?ホッテントリに入りたい?それとも、ひとりでも待ってる人のために書いてるんでしたっけ。というか、あなたのやりたいことって、ブログじゃなきゃできないんでしたっけ……?


■ いつも「見てる人」と共に

さすがにブログにイチローほどの覚悟は必要ないと思うのですが、それなりに続けていくためには、こういう振り返りは必要だと思います。いつも気持ちは、「見てる人」と共に!そこから、他の人と自分との違いや、自分なりのこだわり、なぜこれからも書き続けたいのかを、あらためて模索するってことですかね。ブログはアマチュアが参入できるところ・必ずしも、採算を考えて一定数の人気(売上)を優先しなくていいところが利点ですし、技術の話に関しては「こまけえことはいいんだよ」です。ホントにそう思います。本来はブログを読む側も、たとえ書き方が拙くても、熱量がすごくあるとか、なにかキラリと光る視点を持っているとか、そういうところに着目したいものです。サラッと読んだ通りすがりの人が、誤読したり揚げ足とってdisって、みたいなことで、せっかくの良ブログが閉鎖されてしまうとか、すごくもったいないと思う。あまたある素敵なブログの、技術でない部分に注目してみてほしいです。

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まあ、はてな村ではきっと過去にも、同じような内容を様々なブロガーさんが繰り返し語っていると思います。私も同感だ、ってことですね。
私の動機は何か?記事ごとに違いますが、過去ログで感じてもらえたらと思います。動機が尽きたら、あっさりやめると思いますけどね。


イチローは確か、ねちっこく自分流のバッティングを貫いて、長い長いスランプを抜けたんじゃなかったかな。自分を見失わなかったイチロー、マンハッタンの摩天楼にある自宅で柴犬飼ってて「古畑任三郎」観てたイチロー、カッコよかったなー。

 

※あまりに何も文章術のことに触れないのも何なので、繰り返し読んでるって本だけ貼っておきます。

 

広告コピーってこう書くんだ!読本

広告コピーってこう書くんだ!読本

今はSNSで、個人が自力で広告できる時代ですし、仕事が広告関係でない方でも参考になると思います。初心者を意識してて、あまりテクニックに流れすぎない、めちゃくちゃ地に足がついた内容だと思います。

 

サラダ好きのライオン 村上ラヂオ3

サラダ好きのライオン 村上ラヂオ3

小沢健二作品集 「我ら、時」

小沢健二作品集 「我ら、時」

エッセイは、文章が伸びやかで小さな発見がたくさんあって、楽しいですよね。村上春樹さんの村上ラヂオと小沢健二くんのドゥワッチャライク(作品集の中に復刻版が入っているよ)が大好きです。

ブログをお引っ越ししました/「個人的には」という言い回し


こんにちは、kobeniです。はてなダイアリーでブログを始めて、そろそろ4年目になりますが、はてなブログにお引っ越しをしました。ダイアリーにもまだアクセスできる状態ですが、過去ログもこちらに移動しました。今後はこちらで書いていきますので、どうぞよろしくお願いします!(今すぐサイドバーの「読者になる」ボタンを押しましょう…押すのです……)
ヘッダや記事体裁のデザインは、またもbandicootさんにお願いしてしまいました。かわいいし読みやすいから、PCで読んでほしい!ヘッダは時々、着せ替えしたりする予定です、うふふ。


毎年、年末にブログを振り返ると、「更新頻度が低すぎるorz」と落ち込むのですが、今年は、過去ログもたまってきたことだし、自力で薄い本でも出したいなぁ…と夢想しています。はてなブログは過去ログを辿りにくい(なぜ「記事一覧ページ」がなくなってしまったんだろう)ので、余計にそんな風に思います。自力薄い本発行について、なにかアドバイスとかリクエスト(?)とかあれば、お気軽にブクマやTwitterのメンションでください。新しい記事とかも載せたいなあ。

 

 

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 (特に深い意味はありませんが猫が見ています)


さて、ブログのお引っ越し告知だけでは退屈なので、もうひとつ小話でも。

最近、Twitterなどで発言する時に、しょっちゅう「個人的には」とつけて書いてるなあ、私…と気になっていました。なぜこんなに「個人的には」を多用してしまうのか?ちょっと考えてみたくなりました。
Twitter上で「個人的には」で検索すると、たくさんツイートが出てきます(自分のや友達のも含まれていて、ちょっと笑ってしまいました)
どういう時に使われているかというと、例えば…

● 他が好きという人もいるだろうが、自分はこれが好き(別の好みに対する配慮)
● いろんな意見があるだろうが、自分はこう思う(別の意見に対する配慮)
● 他の人は違う思いを抱いているかもしれないが、自分はこう思う(関係者・組織・団体・ファンなどなんらか所属に共通点を持った他者に対する配慮)


などでしょうか。

自分以外の人の、異なる好み・感想や意見に対して、「あくまで他者を否定するわけではないが、自分はこう思う」と述べたい時に使われているように思います。「押しつけてるわけではありませんからね、これが全体の総意・結論ではないですよ」といったニュアンスでしょうか。「多数派の意見に比べ、私のはちょっと変である事は自覚している」みたいなニュアンスもあるかも。
自分の好み・感想や意見を述べたいけれど、それによって、「違った人を傷つけることがあってはよくない」…という配慮と取れます。あるいは「違っているがために、私の発言を見てムッとした人や傷ついた人から、無用な反論をもらいたくないのです」という予防線、とも言えるかもしれませんね。意見が割れやすいナイーブな問題ほど、婉曲表現として使いたくなります。

私の場合、リアルで会話する時に、「個人的には」なんて言い回しを多用していたという記憶がなく(普通に「私は●●が好き、●●だと思う」と言っていたような気がする)、どう考えてもブログやTwitter上に何かを書く上で使い始めたし、「個人的には」を使う時はそこがオンラインであるから、ということを強く意識しているような気がします。まあ、それだけかつては厚顔無恥だった、とも言えるのですが。

ブログで何か文章を書く時も「〜です」「〜だ」と言いきるのではなく「〜だと思います」と書きたい時が頻繁にあります。私のブログは、エッセイ的な文章が多く、社説のように論じて説得したい記事が稀だからでしょうか。「〜と思います」というのは、せいぜい私の主観であって根拠は薄いけどね、ということを意図している気がします。
(私はあまり論文を書いたことがないのですが、論文を書く時などは「思う」や「思います」はあまり使用してはいけないのではないでしょうか?イメージですが論文として文章を展開していく時には、主張を断定的に述べて、その論拠を提示していく形なのかなと。ジャンルにも依るのかな?)

主観に反論するのは難しいことです。だって、意見は色々あっていいし、好みも、もちろん色々あっていいはずだから。本来すべての嗜好や主張は「個人的なもの」であるはずなんですよね。ただ、つけないとなんだか声高に言っているように見えたり、断定的に述べている・押し付けているように見えるのか?それがイヤでつい「個人的には」をつけるのでしょうか。
ツイートという、140文字制限があるこそ、「ちょっと思った」程度のことを書きたくなる。そこまで深く考えて論拠を長々と述べるつもりもない。そこで、予防線を張りたくなるのかもしれません。
強く球を投げればそれだけ、言葉が届く時のインパクトも強いわけですが、そうなると相手も、受けたインパクトと同じくらいの強さで反論を返してくる可能性がありますからね。ちょっと、オブラートに包みたくなりますよね。

SNSでみんな、何かしら書きこみに反論されたり、自分とはまったく異なる考えを目にする機会が増え、他者の存在を強く意識するようになった結果かもしれません。私もブログで記事を書く時は、数パターン「これを読んだらこのように腹が立つ人や悲しむ人がいるかもしれない」と想像してます。けれど、想像したからといって書くのを止めることはありません。当然、共感したり発見したり、「よく言ってくれた」と思ってくれる人もいる、と信じて発言しているからです。

…しかし、一方で、最近のSNSは、みんなひと通り「無用なぶつかりあい」を経験した後だからか、似た人同士集まるツールになってきているような気がします。もはや「個人的には」をつけずに発言しても、よっぽどの有名人でない限り、真っ向からの反論はそんなに来ないのではないか?昔に比べ、勇気を出してハキハキ発言しても、あまり反論が来なくなってしまって、ちょっと拍子抜けすることもあります。


文章において、予防線を張りすぎると主張が不明瞭になりかねないので、もう少し「個人的には」を減らしてみようかなあ。なんて思っています。まあ、おそらく今後も使ってしまうでしょうけどね、個人的には。