kobeniの日記

仕事・育児・推しの尊さなどについて考えています

さいきんのわたくし

ブログだけを読んでくださっているあなた、こんばんは。今夜は月が綺麗ですね(物理的な意味で)だって中秋の名月だから…。

さいきんの私についてですが、

 

1.薄い本を作りました。

2020cordelia.theshop.jp

いろいろ考えて、ブログではなく本にエッセイをまとめてみました。現在は売り切れてしまったので、ないです。ごめんなさい。

 

2.お店を開きました。

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2020cordelia.theshop.jp

こちらもいろいろ考えて、このブログでも何回も書いてきたEtsyで、仕入れをして販売するということを始めました。

お店のインスタもあるからよろしくね。

https://www.instagram.com/cordelia_kobeni/?hl=ja

 

そんなことを最近は、ほぼTwitterで発信しております。できれば見て欲しいな〜Twitter、な〜。

Zoomを使って、ラジオのような飲み会のような「BARこべにとかおり」というのも不定期でやっています。

 

 

…さあ、続きはウェブで!チャオ!

こべに🎪 kobeni in the house (@kobeni) | Twitter

 

ありがとう、大好きな保育園

 

 

この3月、次男が保育園を卒園する。長男(11歳)も同じ保育園に通っていたので、約10年にわたる保育園との日々が、終わろうとしている。大好きな保育園だった。たまたま選んだにしては出会いが幸福すぎた。固有名詞を書いてしまうといろいろと問題が生じるので書かないが、おそらくこの国にはこの保育園のようなすばらしい園がいくつもあるのではと想像する(ちなみに私立認可保育園)。大好きな保育園の思い出、印象に残っていることを書いてみようと思う。

便宜上、ときおり「私の保育園」と呼ばせてもらう。愛情を込めて。

 

 

 

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園ノートにはよく絵を描いていました。園の人たちが描いてくれた絵もあります

 

 

「先生」と呼ばせない

保育園では大人たちは「先生」ではなく「〇〇さん」と呼ばれている。大人と子ども、親と子の関係は、どうしても「指導」「庇護」から「上下」「支配」につながるリスクがあり、けっこう危険だ。だが私の保育園には「先生と生徒」はおらず、「大人と子ども」がそこにいるだけだった。

大人は「ちょっと先に生まれてきた人」として、子どもたちと過ごす。もちろん、やっちゃいけないことはダメと言うし、サポートしなければならないこともたくさんある。だがけして「大人の方が偉い」わけではない。なので、たとえば子どもが何かケンカをして親が報告を受けたとしても、「〇〇と叱り、指導しました」というようなコミュニケーションにはならない。

保育園は、子どもたちがはじめて色々な人と出会い、コミュニケーションを取っていく場でもある。そこが、こういった価値観・世界観であると、まず子どもたちは「自分たちはおだやかに歓迎されている存在」と感じることができる。そういうことが素晴らしいと思う。ちなみに大人たちはエプロン(よく、テレビなどで保育士さんが着ているアレ)もしていない。それぞれ好きな服で来ている。大人にもいろんな人がいるよ、ということを知ってもらうため、だそうだ。

 

自然と、本物

よく「子どもたちはなるべく自然に触れさせるべき」といった言説を見かけるが、私は「そうは思うものの、その理由に、自分にとって納得感があるものがない」とずっと考えていた。だが、最近は「自然(=土、花、虫など)は、子どもにめっちゃ近い」かつ「割と予測できないものだから面白い」からかしら、などと思っている。

子どもと一緒に歩いていると、ひとりで歩いていては絶対に気づかない、小さな鳥の羽根や、ガラスの欠片などを彼らは目ざとく見つけてくる。地面が近いのだ。自分たちに近いもの、しかも「ただそこにあるから、来るもの拒まずな姿勢」なものと親しくなるのは、当然のことだろう。石とか草とかは、睨んだり拒絶したり逃げたりしない。

また「予測できないから面白い」について。人間界にあるものは、基本的には「先にあった自然界に影響を受けてあとから造形された」ものが多い。だが自然のそのままの姿は、「人間にとっての秩序」の影響を受けない。子どもたちは泥遊びが大好きだが、土ひとつとっても、水を入れたり乾かしたりするだけで色や温度や形が変わるし、子どもにとっては「なんかこれ、そこら中にある割にすごい面白い」んじゃないかしらと思う。

 

6歳の次男と、今年1月ごろに保育園へ向かう途中、彼が落ちている葉っぱにくっついていたテントウムシのさなぎ(大きさ約3mm)を、めざとく見つけたのには驚いた。「これはテントウムシになるよ」と言うので、保育園でしばらく飼育させてもらった。すると2日後くらいに本当に小さなテントウムシになっているではないか。羽化したばかりのテントウムシは赤ではなく黄色だった。かわいい。自然、面白すぎる。

そもそも人間の体は自然の影響を受けやすく、太陽の光を浴びるとセロトニンが出たりするようにもなっている。子どもが自然に親しむのが心にも体にもいいことは、きっとみんなが感づいているだろうと思うけれど。

自然といえば食べ物もそうだ。保育園に、魚をまるごと焼いて食べる日があるのだが、その魚を、園児たちは焼く前にまず絵に描く。絵に描いたあとで、焼いて美味しくいただく。なのでうちの子は、生魚と刺身と切り身と焼き魚の区別に詳しい。絵は、どの子の絵もだいたいウナギみたいに見えるが。

 

私の保育園の庭は舗装されていない。舗装されていないどころか、かなり凸凹している。四季によって、園庭に咲く花がどんどん変わるように、いろんな木や花が植えられている。草も、場所によっては生えっぱなしになっている。気を付けないと手を切る雑草もあり、それらは子どもたちに「包丁葉っぱ」と呼ばれていたりする。

自然は面白い、心身にもいい、でも時には怖いものだ。年長になるとキャンプのようなイベントがあるのだが、そこでの川遊びについて、園の大人たちのこだわりに驚いたことがある。水の事故などが相次いで報告される川遊びを、いかにして実現させるか。子どもたちには全員ライフセイバーを着用させ、大人たちが複数川に入り、小さな囲みをつくった上で、穏やかな川の流れを体験させようと考えている、とのことだった。川の流れへのこだわりがすごい。

「リスクがある」と、控えることは簡単だ。だが「川の流れがどういうものか」を子どもたちが知っていなければ、「危ないのかもしれない」という予感さえ抱けない。本物はどういうものなのか、知って感じて、考えてもらう。そういうことを大事にしているのだなと思う。

 

 

「いい子」と「悪い子」はいない

子どもにはそれぞれ個性があって、発達の順番やスピードも違うし、それ自体ひとりの子の中でも変化する。園ではときどきトラブルが起きる。子どもたちは、他者と出会い、言葉を獲得し、育っていく中で「思い通りにならないこともある」ことを知る。驚くべきことに赤ちゃんは、「世界って基本的におれの思い通りになるっしょ、違うの?」みたいな感じで生まれてくるのだ。

だからイヤイヤ期があるし(2歳児は、いまブドウが食べたいと言えば、自然に冷蔵庫の中にブドウが顕現するぐらいに思っている)、お友達に嚙みついちゃう時期もある。本当は大好きなのに、「キライだよ」とばかり言ってしまう時期も、あったりする。

長男が年長だった頃、Yくんという、とても仲良しの友達がいた。ふたりはいつも一緒にいって、レゴをしたり、絵を描いたりしていた。Yくんはものすごく絵が上手くて、しかもものすごい量を描いていて、パラメータが完全に絵一局集中みたいな子であった。そんな二人だったが、ある時からケンカが増えてくる。うちの長男が他の子と遊ぶとYくんが怒る。でも、長男は別の遊びをしたい時もある。そんな中でYくんは、うちの子に「キライだよ!」「もう遊ばない」と言ったり、時には叩いたりするようなことも出てきた。

私は天才肌のYくんが大好きで、「うちの子は凡人だが、彼のような才能あふれる人間のそばにいることもまたいい刺激…」とか思っていたので、その話を聞いてしょんぼりしてしまった。そして、保育園に相談をした。私は、Yくんを叱責したいとか、引き離してほしいとか、そういうクレームを入れたいわけではないこと、本当は仲良くできるはずの二人なので、いい「合いの手」みたいなものを入れてもらって、見守ってほしいことなどをお願いした。そして、Yくんのお父さんお母さんも交えて、二人の関係を見守る周囲になろう。と約束した。

こういう時に、「園の指導が悪く起きた問題なので、すぐYくんの親御さんに連絡・報告します」といったことにならないのがとても良い。この件においても、「悪い子」は基本的にいないのだ。結局、ジワジワっとした我々の働きかけもあったのか、二人の関係はまた良好なものに戻った。

小学生になるにあたり、うちの長男とYくんは違う学校に進んでしまったが、保育園の同窓会で(そういうものがある)久しぶりに会ったYくんは、相変わらず絵が上手でかつすごくしっかり者になっており、「あの頃は申し訳なかった」とか、長男に言っていた。

 

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Yくんの絵。才能があふれ出している

 

 

人のありようというのは、結局はその周囲・環境に大きく影響を受けるのではないかと思う。どう迎え、どう相対するかによってその人のあり方は大きく変わる。これは昨今よく言われる「多様性」を考える際に、特にマジョリティ側に属する者が心に留めておかなければならないことだと思う。

ちなみに私の保育園には、外国人も障害のある子も通っている。もちろん「園が責任を持てる範囲で」などの判断基準はあるのだろうが、子どもたちにとって彼らと一緒に過ごすことは日常だ。「子どもは異質なものを排除する」などと言うが、少なくともこの保育園ではウソである。排除を許す環境になっていないかどうか、関わる大人は胸に手を当てて考える必要があるのではないか。

 

 

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園ノートを見返していたら、折り紙の猫が出てきた

 

 

 

つい最近のことだ。卒園を控え、みんなと離れ離れになることへの不安や悲しみで、ナーバスになる子どももいた。小学校は、住んでいるエリアや家庭の事情で、年長クラス全員が同じ学校へ行くわけではない。子どもたちもだんだんとそのことに気づき始める。そこで保育園では、それぞれの進む小学校をぜんぶ、子どもたちで見に行く。クラスからひとりしか進学しない私立の小学校でも、クラス全員で見に行く。そうすると、自分が進学することに誇りが芽生えるらしい。みんなに「すてきだね」って言ってもらえることで、不安や寂しさより、「一年生になるんだ」という期待や喜びが勝ってくるのだと思う。毎年やっているらしい(長男も私も忘れていた)が、よく考えたなあ。子どもたちをよく見て知っていないと、出てこないソリューションだ。

 

こんな風に、保育園のすばらしさを数え上げていくとキリがない。約10年、ほんとうにお世話になった。子どもとは、人間とは、についていろんなことを教わった。長男が泣き虫で困った時も、次男の言葉が遅く悩んだ時も、丁寧にやさしく相談にのってくれた。このような保育園があることは、この国にとってひとつの希望だなと私は思っています。そして、どうしても「教育」という題目の基に「統率」「管理」に偏り、一人ひとりを見ることが難しい日本の公立小学校は、もう少しこの園のように変わっていけないだろうか、とも感じている。

 

 

 

長男と次男が、保育園にもらった「大きく確かな存在肯定」は、これからの人生でもずっと、彼らの心のいちばん根っこの部分になり、彼らを支え続けることだろうと思う。

本当にありがとう、大好きな保育園。

 

 

 

Etsyで世界を旅しよう vol.5 ローリングピンでクッキーをつくった

Hello world, kobeniです。

Etsyで見かけてずっと気になっていた「rolling pins」のことをツイートしたら、友人のかのこ氏(twitter:@kanoco_12)が購入してトライしてみてくれたのですね!おお~楽しそう~と思ったので、わたくしも購入して、クッキーをつくってみました。

 

https://twitter.com/kobeni/status/1226477975408766976?s=20

 

 これが、きっかけになったツイート

 

これが、かのこ氏が焼いたクッキー

 

 

ローリングピンはお菓子づくりか、あるいは陶芸などのクラフトに使うらしいのですが、伸ばすときの麺棒そのものに型が彫られていて「そ…その手があったか!!」というような器具です。rolling pinsだけだとただの「麺棒」の意味なのですが、たぶん麺をあのような棒で伸ばすのはアジア圏であって、ヨーロッパなどであの棒といえばお菓子づくりの方がメジャーなのかもしれません。Pinterestなどのサイトでrolling pinsと検索すると、このクッキーづくり用のpin画像がたくさん出てきます。

海外ではクリスマスのクッキーづくりに使われることが多いようです。かのこ氏から、「けっこうデカかった」と聞いていたので、我が家では子ども用(サイズが半分くらいので、子どもがコロコロするのに丁度いいもの)を購入してみました。

 

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これがrolling pins

既に見た目がかわいいですね。キッチンに置いてあったら和みそうです。クッキーそのものはスーパーに売っている超ふつうのやつを使いました。さて早速コロコロしてみましょう!

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こんなふうに…

子どもはぜったい「やりたい!!」って言うだろうと思ったのですが、案の定大人気でした。上手にできるのだろうか!

 

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クルクル!

おお~!できた!

 

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大人用はこの倍くらいの長さみたいです

6歳児の手でこんな感じなので、子どもが扱うにはこの大きさはピッタリかもしれません。お料理が好きな方で、もっとたくさんの量をつくる場合は、大きい方がたくさん、柄も美しいクッキーが作れるような気がします。

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ごく普通の型しかないためこんな感じです

あとは普通のクッキーと同様に、型で抜いて並べていきます。

もっと大きくて、丸い型抜きがある方が、柄が映える気がしますので、そのようなものを準備しておくのがおススメです。

 

 

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ぜんぶ並べました

 

そして焼いてみました!さいきん電子レンジが壊れて買い換えたばかりなので、オーブン機能はこのクッキーを焼くのが初仕事です。やりがいのある初仕事で良かったですね。

 

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家族で美味しくいただきました もっとたくさん焼いた方がいいです

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おお~!?模様が入っているだけでなんとなくプロっぽい!もっと薄くてもよかったかも…あと、もうちょっとコンガリ焼いてもよかったかも…でも初めてにしては上出来では!

 

rolling pinsはいろんな模様がありまして、私ももう何本かほしいなあと思いました。

 

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猫とか

The Perfect Rolling Pin For Cat Lovers Out There - I Can Has Cheezburger?

 

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これは、ポ……

pin.it動画でも見られます

 

 

次は違う柄のも買ってみたいな~なんて思いました!

 

 

 

(おまけ 次男がサラッとつくったカービィのクオリティが謎に高かった)

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目までリアルなカービィ

※2021年1月追記

お店でピンを販売するにあたり、もう一度作ってみました。

生地はなるべく薄めにすること、また生地に模様をつけ型を抜いた後に、一度冷蔵庫で冷やしてから焼くこと、などに気をつけるとさらに綺麗に焼けます!

模様をつける時、ピンに生地がくっついてこないように、小麦粉などをつけてやってみてくださいね〜 

 

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過去のETSY関連記事はこちらです!

www.kobeniblog.com

 

 

Etsyでお買い物をしよう 私が買ったモノ・お店紹介します

 

helloみなさん、お買い物してますか?
たびたびEtsy大好き!を公言している私ですが(※断じて回し者などではありません)、仲間が見つかりません。Twitterなどで、どうしてみんな買わないの?と聞いてみると、「海外から買うのが怖い」「途中でロスト(行方不明になって届かない)したらどうしよう」「言葉が通じない」といった不安があるとのこと。

みんなが思ってるより、Etsyのお店は「素人集団」ではありません。もともとは手作り品を売る場所だったと思うのですが、最近は、他にお店も持っていて、Etsyにも店舗を持っているというお店が多いです。私はここまでの買い物で、「買ったモノが届かなかった」ことは実は一回もないんですよね(「これ関税で一回開封されて、もう一度閉じられたな」ということは一度あった)。以前はPayPalしか使えませんでしたが、現在はクレジットカード対応しています。

UIが使いづらくて、全然見つけられない・人気商品もわからない、という頃もありましたが、最近では日本語翻訳も部分的に進んでいたり、レコメンドや人気商品紹介機能も進んできて、だいぶ使いやすくなりました。

それでもやっぱり、最初のお買い物はハードルが高いし、送料や、届くまでの時間を考えると、億劫になっちゃう気がします。(海外からの買い物は、決済までの時間にいろいろ考えてしまって、そうこうするうちに衝動が消えてしまうという声もw)

 

今回は、あらためて私が「なぜEtsyが好きか」という話を書くのに加えて、私が実際に買ったお店を紹介します。私が先に買ってるわけだから、少なくともそのお店は信用できそうでしょ?皆さんも気に入るお店があるといいなと思います。

 

 

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あらためてEtsyが好きな理由その1   変なものがいっぱいある 

この「変」は、いい意味です。あんまり予想ができないデザインや、アイデアに出会えるのが一番楽しいです。

私は昔から洋書の雑誌を見るのが好きで、海外に行ったら買って帰っていたのですが、Etsyは世界中の雑誌のアイテムコーナーを見てる気分になれます。なんとなく、「今この国ではこういうのが流行ってるんだなぁ」とかも分かります。日本の手作り集合サイトもあるのですが、なんとなく「日本の手芸が好きな人の好みの集合体」みたいになってしまっている印象で、良くも悪くも似通ってます。私にとっては「なにこれ?」というものがあんまりない場所なんです。

雑誌フィガロでパリ特派員のお土産コーナーに載ってたようなグッズを、自分で選んで買うことができるのって最高だと思いませんか…?

「パリの子ども部屋」とか読むの好きだった方や、IKEAで本場っぽいクリスマスの飾り買っちゃうような人には、めちゃくちゃ楽しい場所です。例えば日本のアクセサリーショップだと、落ち着いた色合い・小さめの石ばっかりになりがちだったりしますが、Etsyだとカラフルだし、素材も色々で楽しいです。

 

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最近「!?」ってなったのは、70年代アメリカの着せ替え本

 

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メキシコのお店のシューズ

Etsyが好きな理由その2  ビンテージ・アンティークもある

フランスに行ったらクリニャンクールに行きたいし、「東京蚤の市」にも何度も行っている人、私だけじゃないと思うのですが、Etsyはこれらもすごい量で売ってます。アメリカのビンテージショップは古着が強いし、北欧は陶器や刺繍の飾りが強いし、フランスだと銀食器やビンテージドレスが強いです。アンティークやビンテージって、もちろんプレミアがつくブランドなどもありますが、「一個しかなくてめちゃくちゃ可愛い」ものって、他の人にはわからない価値、プライスレスだと思うんですよね。日本のアンティークショップのバイヤーさんだって、そういう一期一会の出会いを大事にして買い付けてると思うし。

ただ、もしこれが東京や赤坂の蚤の市だと、正直2時間歩くとヘロヘロですが、Etsyなら「フランスの古着見たあとインドのビンテージ布見てアメリカのクリスマスオーナメント見る」とか5時間ぐらい余裕でできるとこが、いいとこですね。

 

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最近こういう新品キッズがよく着てますが、これは80年代のUS古着

 

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フランスの1920年代のシャツ

 

Etsyが好きな理由その3  世界の文化に出会える 

所詮は物欲でありただの買い物なので、あんまり高尚なことは考えてないのですが、「やべえマジでかわいい」と思うものって、大抵そのデザインの歴史が古いんですよね。kunelとかお好きだった方はわかると思うのですが、その地でずっと受け継がれてきた物語のあるデザイン・モノって、オリジナリティがすごく強いし、歴史の積み重ねで洗練されていっているし、流行とか蹴散らす美しさがあるなと思います。

「〇〇族」の伝統工芸は、世界のどこの国のものでも超絶おしゃれです。

「なんかこれ可愛いなー、ここに繰り返し書いてあるSamiってなに?」とかってggってみると、スカンジナビア半島に住むサーミ族の伝統工芸でした。とか、そういうことがよくあります。日本でも人気のあるキリムやギャッベなども、もちろんEtsyでも売っているのですが、現地でどういう人たちがそれらを作っているのか、「ユーザー詳細」を見ると分かったりします。織り方とかもね。

私はフェアトレード専門店などでお買い物はあまりしたことがありません。トレードがフェアだろうが、デザインが好みじゃないものは買いたくないからです。そこでいくとEtsyでは、自分の好み先行で選べるから嬉しいですね。その上で、現地の人たちの収入源になるならwin-winで最高です。

ユーザー詳細欄を読んでみると中には、「貧しい村に住んでます、ヤギとか牛のお世話の合間に趣味でつくってます」みたいなお母さんもいます。そういう人から「直接」買えるのも割と、いいですよね。もしお母さんが、例えば村から都市部の観光地まで持っていって実店舗で売る場合、あるいは遠くの国へ輸出する場合、取次業者が入る必要がある。そこでぼったくられたりしない(そんなことあるのか知らないけど)わけだから。「ユーザー詳細」のところを、動画付きで・自己紹介含んで書いてくれているお店もあるので、「生産者の顔」を見ながら買うのも楽しいかも。

私だって本当は海外旅行に行きたいんです!(突然の心の叫び)でも、海外が苦手、英語が苦手な夫と、小さな子たち二人を連れて遠くまで行くの、ものすごく気が重い…。自由に海外旅行できるようになるまで、まだしばらくかかりそうですし、それまではEtsyで世界を旅したい、と思ってます。

 

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メキシコ オトミ刺繍

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東南アジア モン族の刺繍

Etsyが好きな理由その4  日本だと高いものが安い(こともある)

そもそもEtsyは、送料を除けば、まあまあ「現地価格」に近い金額で売っている場所なので、「日本で買うと高いものがEtsyでは安い」ってことも当然あると思います。先に書いたように、取次業者ではなく生産者から直接買えるものもあるわけで。それを探すのが醍醐味だと思いますね。あと、海外の人はメッセージとか送っても嫌がらないです。値切り交渉したり、セットで売ってくださいと頼んだり、色々とコミュニケーション取るのも楽しいです。英語圏以外の人も多いので、お互いニュアンスで通じますw メッセージを送る機能もあるので、慣れてきたら翻訳ツールとか使って、会話してみたり値切ってみるのも良いかも。

 

 

 

さて、デメリットも当然ありますので、それらもキチンと書いてみましょう。

 

Etsyのデメリットその1  送料が高い&届くまで時間がかかる

 

送料って売り手がどう調整しているのか、私はよくわからないのですが、やっぱり国によっては「高っ!」という場所もあります。また、届くまでには時間がかかります。ファストシッピングなど使えば別ですが、通常ヨーロッパからだと二週間ぐらいは余裕でかかります。Amazonプライム翌日配送にどっぷり浸かった日本人には…この二週間はなかなかしんどいですね。「そんなに急いでない&日本や自分の住む街では手に入りにくい」買い物がおすすめです。忘れた頃にやってくるこの感じ、「あしながおじさんから突然贈り物が届いたごっこ」みたいな風に考えると楽しいぞ。

「送料無料」にしている商品やお店も一部ありますので、それで探すのも良いですね。エアメールってやっぱ届いた時に特別感ありますよ。切手とかカワイイし。

PayPal でしか払えないお店や、日本に配送してないと書いてるお店もありますが、メッセージで聞くと「大丈夫だよ」と言われたりもします。

 

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商品ごとにこういうの書いてある

Etsyのデメリットその2  探しづらい

 

以前はかわいいと思うものをなかなか見つけにくい場だったのですが、最近はレコメンド機能が充実してきました。

商品、そしてショップをどんどんお気に入りにしましょう!そうすると、似た感じの商品やショップをどんどんおすすめしてくれます。私は、気がついたら商品を1000以上お気に入りしてました。どんな物欲だ。

あと、検索語を英語でいれる際に、工夫をしましょう。「北欧っぽい柄の手袋」はnordic mitten 、「刺繍のアクセサリー」はembroidery accesary です。otomi、Scandinavian、suzani、geometric、Halloween とか色々やってみてね。

 

返品もできるお店が多いです、やったことないけど。★によるレビューがあって、Etsiyだと基本的に4以上が当たり前ですが、たくさん売った実績がある&レビューが★4つ以上のところだと安心ですね。最近は配送追跡もできるっぽいです。

 

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★がユーザー評価、その横の数字が購入実績数です

 

 

私が買ったモノとお店を紹介します

 気が付くといろんなもの買ってました。あんまり高いものは買ってません。

 

https://etsy.me/2Q1TNEZ
Alphabetbags

 ピンバッジです。ピンバッジもすごくいろんなデザインあって面白いです。

1個あたり7ユーロ、800円くらいです。

 

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サコッシュにつけたりすると可愛いかなって

 

 

 

 

https://etsy.me/2Qhf77R
Vliving
クッションカバー

ここのお店どれも可愛くて、まだまだ買い物したいのですが、セールになっていたのでそれらを中心に買いました。本当はポンポンがついていたクッションカバーもあったのですが、ネコに取られました…。


セール含む10-18USD、1200~2000円くらい。

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ポンポンは猫たちに喰いちぎられました…

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ラッピングも可愛いですよ

 

 

https://etsy.me/2tRFeLx
Bubblesky

ピアス

ふたつ買いました。送料が13USD、ふたつで40ドルくらいだったので送料込み4500円くらいかな。

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ピアスはよく買ってます

shaktiwali

ミャオ族の指輪

送料込み33ユーロ 4000円くらい

写真より実物の方がちょっと色がくすんでいました。そういうことはたまにあります。

でもすごく気に入っているため、また買いたいです。

 

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仕様はちとボロいがどちゃくそ可愛いデザイン

 

 

 

https://etsy.me/2sjvz09
Dana jewellery

幾何学ピアス
ピアス送料込み2つで50ユーロ 一個3000円くらい

ここのは関税で一度開封された形跡がありましたが、それはお店にも不可抗力なのでは…と思いましたw

 

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関税で一回開封された形跡がありましたw

 

 

https://etsy.me/2FRTQNn
totParis

ヘアバンド
25ユーロ 3000円くらい

日本でヘアバンド買おうとすると、だいたい暗い色の無地で、ちょっと変わったデザインだと5000円くらいするので…

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ヘアバンド大好き!また買いたいけどいまショートヘアだ

 

https://etsy.me/37iKtCx
Jolanta knit

手袋
送料込み38ユーロ 4500円くらい

こういうの東京蚤の市で買うと7000円近くしますよ…。実物めっちゃ可愛いので大好きです。みんなも買ってみて。リトアニアはじめバルト三国って手芸に伝統あるよね。

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この手袋がいちばん「買って良かった」かも

 

※おまけ ロシアから絵葉書を買ったことがあったのですが、とつぜんクリスマスカードが送られてきて嬉しかったです

 

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ロシアってチェコに負けないkawaii文化あります

 

 

https://etsy.me/37hYbW8
Taste vintage
クリスマスの飾り(ビンテージ)
送料込み22ユーロ

クリスマスのオーナメントはビンテージが可愛いのでは、とここ数年思っていて、毎年ちょっとずつ買い足してます。

 

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ラトビアめちゃくちゃ面白い国です

 

デジタルダウンロード

1デザインあたり100円~200円くらい

 

https://etsy.me/2F6IVzf
D&Ddegital delights


https://etsy.me/39nZ1m3
Past paper pretties


https://etsy.me/36oydje
Artgaze

 

ビンテージで著作権が切れているデザインを、ダウンロードで売っているお店があると気づきました。商用利用はお店によって可能なところとそうでないところがあるようですが、販売ではなく単にデザインをいじって、ネットプリント配布してみました。

まだまだかわいいデザインあるので、アレンジしてポストカードとか作ってみたい。

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ネットプリントで頒布しました

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字とかは私が足してます。左のはNY公共図書館のパブリックドメイン。

 

EarthlyGoodHome

送料込み89USD 9700円くらい

ソファーにかかってる、十字の柄のやつです。写真よりも生成り色だったので、あれ~と思ったのですが、使ってるうちに気に入ってきました。

猫がポンポンを喰っていますね。

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ポンポンは喰いちぎられた…





https://etsy.me/2Qu5xzd
Slivkatlier
ピアス

送料無料、なぜかちょっと割引してくれて、15ユーロ。1800円くらい

これが一昨日ぐらいにスロバキアから届いた買い物です。「クリスマスに間に合わないけど大丈夫?」って連絡くれたり、とても優しいお店でした。届いたらショップカードにインスタのアカウントが書いてあって、見に行ったら、「これは私にとってもけっこう特別なやつで、日本に行くんだよ!」といったことが書いてあって、なんかすごく嬉しかったので私もインスタに載せてメンションしておきましたw

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このピアスは彼女にとっても特別だったって。


 他にもまだ買ったものあるのですが、ざっとこんなとこです。


最後のピアスみたいな体験ができると、海外からの買い物って楽しいなあ~と思ったりします。スロバキアってどんなとこなんだろ、いつか行ってみたいなあと思えたりするからですね。

せっかくインターネットが普及して、海外の人ともサッと繋がれるようになったのですし、「間に大資本(「有名ショップのお墨付き」とか含む)を挟まない買い物」がもっと進んでもいいんじゃないか?と思っていて、こういう記事を書いてます。直接購入できる方はそうやって楽しんでもらって、「やっぱり面倒」という人には、私が「店舗持たないバイヤー」としてちょっとずつ仕入れてお譲りする、みたいなのもやってみようかな?と思っています。

 

→というEtsy好きが高じて、webショップを開きました!

セラーと直接会話をして、商品をロットで仕入れて販売したり、しております。よければご覧ください。

2020cordelia.theshop.jp

 

インスタのフォローもお願いします

https://www.instagram.com/cordelia_kobeni/

 

 大事なことを書くの忘れてました、Etsyは「アプリ」でお買い物が便利です!
PCからだと国別とか色別検索もできますが、基本はアプリがいいと思います。

 

ではでは。少しでもEtsyメイトが増えたら嬉しいなって思います。

皆さんも楽しいEtsyライフを!

 

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ETSY カテゴリーの記事一覧 - kobeniの日記

 

 

 

 

 

so kakkoii 日本の伝統色について

小沢健二について考えることで世界について考えているkobeniです。

さて、きょうは「日本の伝統色」の話をします。あくまで「日本の伝統色」の話をしますので、美しい四季に興味がある人、デザインのお仕事をしている人、和菓子を食べるのが大好きな人などに喜んでいただける記事になるはずです。小沢健二のファンでなくても大丈夫、大丈夫だってばブラウザ閉じないで。雪見だいふく食べる?

なぜ突然「日本の伝統色」かというと、前回のブログ記事でも紹介した小沢健二のニューアルバム「So Kakkoii 宇宙」の歌詞カードが、

 

 

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こんな感じで、「特色と銀の箔押し、サイズそれぞれ微妙に違う」って印刷会社さんどんだけ大変なの、というデザインだったのです。なんとなくこれを見ながら歌詞を読んでいたとき、(この歌詞カード、色が全体的に淡いな…)と気づきました。そういえば小沢健二の「魔法的」ツアーのTシャツ、「ういろうみたい」と言われた人が居たとかいないとか。これはもしかして、あれか?「日本の伝統色」というやつか……?

そう思い始めたら、それぞれ何の色なのか、めちゃくちゃ気になって夜も眠れなくなってしまいました。嘘です。だいたい7時間ぐらいは寝てました。

紙の「色指定」というのは一般的に、DICなどが出している色見本帳を使います。そしてその見本はめっちゃ高いです(デザイナーとか印刷屋さんとか、しか持っていない)。たとえば同じ「オレンジ」でも、webで見る色と紙で見る色は違ってしまいます。なのでwebに掲載されている色と歌詞カードを見比べても、はたして同じ色なのか…?確かじゃないなあと思っていました。

ただ、いろいろ調べているうちに「日本の伝統色って、色の『名前』が渋いな」と思い始めました。あと、基本的に自然界にある色から名前をつけているのですが、非常に淡い色の花や草木についても、わざわざ「この色」と名前をつけることで、この世にバーンと顕現させてしまっているのが面白いと思い始めました。「若芽」と「若菜」の違いなど、なかなか気づくものではありません。このあたりからもはや小沢健二関係なくなってきます。

 

やっぱり紙は紙同士で、近い色を特定したいなと思い、本を購入することにしました。

 

 

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猫は日本の伝統的な雑種です
日本の色図鑑

日本の色図鑑

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: マイルスタッフ(インプレス)
  • 発売日: 2018/05/17
  • メディア:
 

 

 

この本は、紹介されている色数がとても多かったことと、たとえばデザイナーが配色パターンを考えるといった他の用途ではなく「ガチで伝統色を紹介する」のに特化しているように見えたので、選びました。本自体の美しさにも惹かれるものがありました。

 

前置きが長くなりましたが、この本を使ってSo kakkoii歌詞カードの色を特定していった結果を発表します!ただし、これでも正確でない可能性はあります。まず私は小沢健二ではありませんし、日本の伝統色には諸説存在しているため、この本以外の説や解釈もあるためです。そこんとこふまえた上でよろしく。

 

では曲順に、といきたいところですが、自信があるものから紹介したいと思います。

 

 

「流動体について」…勿忘草(わすれなぐさ)色

 

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忘れな草の英語名は”Forget-me-not”です。おっと小沢健二ファン、もう泣いてる?まだ一曲目ですが、この曲にこの色はヤバいよね。花言葉は「私を忘れないで」。海外で生まれた花で、日本固有種ではありません。元の名前の和訳がこの色の名前にもなっています。

「流動体について」は、「ぼくらが旅に出る理由」と対になっているような曲です。飛行機が羽田に着くところから始まり、旅に出た頃のこと、あの時の別れは正しかったのかな、などと振り返るような歌詞があります。私を忘れないで、か……

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 あさぎ…新選組の羽織で有名な色。

 

 

「シナモン(都市と家庭)」…洒落柿(しゃれがき)色

 

 

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柿の色といえば赤味のあるオレンジの印象ですが、それをさらに洗い晒して薄くしたような色、とのこと。近しい色に「洗柿」があるようですが、これは(洗ったように)淡くて薄い柿色のことです。日本では淡くて薄い色のことを「洗」と表現することがある……ハッ!「洗ったような月(夢が夢なら)」ってそういう意味……?

「シナモン」は、USでハロウィンの季節である10月ごろ人気のスパイスになるようです。シナモンの香りのホットアップルサイダーを飲んだりね。日本で10月ごろの味覚の代表といえば、柿か栗でしょう。だからこのカードの色は「柿系統」という解釈でいいんじゃないかと思ってます。

 

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日本人が見た虹の色は、こんな薄いピンクなんです

 

 

「アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)」…瓶覗(かめのぞき)色

 

 

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この本の中でも「こんな変わった名前の色は、他にないのでは」と紹介されていました。藍染で染めようとした布が、一瞬だけ浸かった瓶の色?とにかくとても淡い藍色、ということになりますでしょうか。エメラルドグリーンみたいで、湖を覗き込むような感じもあり美しい色ですね。

「アルペジオ」は漫画家の岡崎京子さんに捧げられた歌ですが、トンネルのような世界の深淵を常に覗き込もうと試みる芸術家、小沢健二&岡崎京子にふさわしい色名かもな、とか思います。

 

 

「高い塔(とstardust)」…竜胆(りんどう)色

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このアルバムは秋に出ましたが、アルバムを象徴するような曲だ、と私が勝手に思っている「高い塔」。色は、日本の秋の花の代表格「りんどう」で合っているんじゃないかなあと思います。

竜胆の花は日本が原産。花の形が星型だから、というのもあるのでしょう、「銀河鉄道の夜」にも繰り返し出てきますね。竜胆は群生せずそれぞれ「単独で自生」していて、天気のよい日だけ、太陽に向かって真っすぐに開花するのだそうです。

ここまで読んで、「高い塔」を聴いたことのある方はもう泣いてると思いますが、「高い塔」は、日本列島あたりに、一人ひとり立っている、私たちに対して歌われている曲ですよね。世界の中の日本とか、大勢の中のひとりとか、そういったイメージと、「東京の街に孤独をささげる高い塔(東京タワー)」を重ねている曲だと、私は思ってます。

竜胆の花は、悲しみをイメージさせる色(青)でありながら、高貴な色(紫)でもある。だからか、竜胆の花言葉はすごいですよ。「正義」「誠実」そして

 

「悲しんでいるあなたを愛する」

 

です。群生せずバラバラに咲くことから、孤独に耐え凛として見える、という意味の花言葉がついています。

「Stardust」は彗星のかけらのことではと、歌詞を分析していた方がいましたが、竜胆の花はその形から、さながら野に山に散らばった星屑のようです。それは空から降ってきた歌詞のひとつひとつを、受け取った私たち一人ひとりのことかもしれませんね。

ちなみになぜ「竜の肝」と書くかというと、漢方にも使われていたという根っこが「竜の肝のように苦い」からだそうです。だから「霊草」ともされているらしい。一筋縄ではいかない花ですね。

 

 

 

「失敗がいっぱい」…薄紅梅(うすこうばい)色

 

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「フクロウの声が聴こえる」…白菫(しろすみれ)色

 

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「いちごが染まる」…半(はした)色

 

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このあたりはちょっと自信がないです。がんばって近い色を探した結果、いちおうこれかなと思っている感じ。「失敗がいっぱい」は、なんとなく微笑ましい感じの曲なので、ピンク系統が合うなとは思います。日本のピンクは奥が深くて、桃(海外でピーチカラーは実の色ですが、日本の桃色は「桃の花の色」です)、梅、桜がそれぞれ異なる色として把握されています。その中でいうと「梅っぽい色かな」ぐらいの感じです。「薄紅」ってなんとなく、「かわいいひとたち」を連想する感じもありますよね。薄紅のリップ。

フクロウもまた、すごく淡い色なのですが、紫が入っているように見えます。菫の咲く季節は5月。私はなんとなくあの曲は、初夏のイメージなのですが、皆さんはいかがですか?

プラタナスは「神秘的」にも出てくるコネティカット州あたりにもよく生えている木です。「大きな魚が水音立てる」というあたり、「ハックルベリー・フィンの冒険」を思い出しますね。

なぜ「いちごが染まる」が「イチゴ色」じゃないのか。マジわかりません。でも、デザインの世界で「そこに書かれていることをそのまま色にする」は、説明的すぎておそらく禁じ手です。なので、ちょっとずらした色(紫が入っているように見える)なのかもしれません。気のせいかもしれませんが、「彗星」「フクロウ」「神秘的」「高い塔」ぜんぶ紫が入っているように見えるんですよね…。日本で紫は最上級に高貴な色です。小沢健二、高貴な色が好き?

 

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 桜がすごく淡い色なのが、さすが、と思いますね

 

 

「神秘的」…鴇鼠(ときねず)色

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これも割と自信があります。だって変だもん、色名が。私が小沢健二だったら絶対使いたい。しかも、日本の国鳥である「鴇」が入っているし。

グレーが加わって、渋みがある色が日本人は好きなのでしょうか。薄雲鼠とか鳩羽鼠とか、「なんとか鼠」という色名がとてもたくさんあります。すごい数のいろんな色の鼠がこっちに向かってくる様が頭に浮かびます。

鴇って実物は白いじゃん?と思う方も多いと思いますが、この「鴇色」は、羽の内側の色をとっているらしいですよ。飛んでいくトキを下から見たときの色を取った、ということなのでしょうか。That is so センスいい。

この色名は伝統色の中でも、「瓶覗」と同じぐらい変わった、珍しい名前だということは間違いなさそうです。

 

「薫る(労働と学業)」…若芽色

 

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草の色についても日本人はとても細かく拘っていて、「若芽」「若菜」「若草」「若葉」でぜんぶ色が違います。その中でもこの「若芽」はかなり淡い薄い色です。芽吹いたばかりの葉、のイメージだそう。なんでしたっけ?僕の歌が種だとすると、その種は君たちの元で芽吹き、花を咲かせる。とかなんとか。湾岸ツアーでこの曲を歌う前に言ってましたよね!

「薫」という字自体は、「源氏物語」にも「薫君」という登場人物がいるように、昔から日本で使われていますね。「ドアをノックするのは誰だ?」に、「風薫る春の夜」という歌詞がありますが、元は春の匂いを運んでくる風を「薫風」と呼んでいたんだって。この字は「薫陶」みたいに、「徳のあること(をして人を感化する)」という意味にも使うんだってよ!そこまで考えてるかって?もちろんあり得るよ、小沢健二ならね。

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「夏虫色」も素敵ですよね

 

 

さて、一曲足らないですね。「彗星」です。

これ、わかんなかったんですよ…。

紫系統の色だということは、わかるんですが。

しいていえば「藤色」系かなあ…

竜胆と同じく、藤も日本の固有種で、この地域にしかない花のようです。なんとなく見た目が、尻尾のある様が、彗星に似てるような、似てないような……?

 

 

 

ということで、いちおう10曲終わりました。憶測ですので、正しいことはわかりません。小沢健二の友達は小沢健二さん本人から聞いてください。あと、伝統色の色見本を持っている方はぜひあらためて色を当ててみてほしいです。

 

 

伝統色の中で印象に残ったことはいろいろあるのですが、日本の風景から(adobeイラストレーターのスポイトのように)色を吸い取っていくと、こんな風になるんだなあということです。ゴーギャンの絵とか、モネの絵とかとは、やっぱり配色が違いますよね。手前味噌かもしれませんが、全体的に淡くて、シックで、「日本の四季めっちゃオシャレさんだな」といった感想です。

それから、「鴉(カラス)の羽根の色」を意味する「濡羽色」というものがあるのですが、これは青や紫が少し混ざっている、微妙な色合いの黒のこと。そんな色を存在させることがもうso kakkoii。鴉の羽根は、そういう色として「美しい」と思われていたんだな、というのが新鮮でした。

鴉はその賢さや、全身が黒一色であることから、高貴な神の使いの鳥だと思われていたんだそうですよ。

「ひふみよ」の頃に小沢健二のアートワークにちょこちょこ鴉が出てきましたが、たぶん、鴉は本当はso kakkoii鳥だよ、と言いたかったのかなと思います。

 

 

 

ということで最終的に小沢健二あんまり関係なくなる好奇心の旅を、これからも続けていきたいと思います。どうかな、宇宙、薫ったかな~!

 

 

 

 

 

日本の色図鑑

日本の色図鑑

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: マイルスタッフ(インプレス)
  • 発売日: 2018/05/17
  • メディア:
 

 

 歌詞カードが見たい場合、配信ではなく物理で購入しなきゃダメですよ!

パッケージもえらいことになってます。

So kakkoii 宇宙

So kakkoii 宇宙

  • アーティスト:小沢健二
  • 出版社/メーカー: Universal Music =music=
  • 発売日: 2019/11/13
  • メディア: CD
 

 

本当のことを運んでいく ー小沢健二「So kakkoii宇宙」に寄せてー

 

 ■私の1990年代

 

「文学的である」とはどういうことか。

 

いろんな観点・解釈があると思うけれど、私が10代の頃、文学部を志した時に考えていたのは、文学は「本当っぽいことが、本当に本当か疑う」「本当を追及する」そういうものではないか、ということだった。体裁としてはフィクション(実在しない人物が登場し、現実にはない物語として書かれる)だけれど、描き出されることはけして虚構ではなく、どこまでも「本当(はどうなのか)」ということだ。

学校では「ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために」と教わるのに、家に帰るとTVで教師が教師を虐めていたというニュースが流れる。となると「教科書に書いてあることはぜんぶ本当」というわけではなさそうだ。そもそも、なぜ勉強しなければならないのか?については大人は聞けばわりかし教えてくれるが、「なぜ生きているのか」については、産んだくせに親も教えてくれない。そもそもそんな会話にならない。いちばん大事なことを教わらず世界に放り出されているような状態である。しかも、「人生ってなんだろうね」とか呟くと、クラスメイトには「ちょwwまじめかww」とか「エモいww」「中二ww」とシニカルな態度を取られるのがオチだ。

 

だが文学だけは違う。この世界で「本当」と信じられている常識や、慣習や、規則や、空気を、一枚一枚めくっていき、そこに嘘があれば暴きだし、「本当のこと」を見せつける。結果おどろおどろしいものが正体だったとしても。

 

95年ごろ私はそんな風に考えていた。

私が小沢健二に出会えたのは、その歌詞が、よく言われるように「文学的」だったからだと今も思う。つまり私にとって「この人は、珍しく、本当のことを言っている大人のようだ」と感じる人だったということだ。歌詞にも「本当のこと」が何度か出てくる。

たぶん小沢健二のファンはみんなそうだと思うのだが、友達とバカ騒ぎをしていても、塾の自習室で勉強をしていても、深夜のラジオを聴くともなく聴いていても、「こんなことをしていていいんだろうか」「僕は、私は、この先どこへ行くんだろうか」と、我にかえる瞬間がある。なんとなくゾッとするような瞬間がある。生というよりは死を感じている、感じたい瞬間なのかもしれない。小沢健二の歌はそれに対して「本当のことはこうだ」「美しいものはこれだ」「それが人生だ」と剛速球で返してくれる。陳腐でありがちな言葉でなく、キチンと心に伝わる表現を取って。

文学作品がそうであるように。

 

こんなそれっぽいこと言っているが95年の私はただの田舎者のバカなJKだった。阪神大震災も、オウムのサリン事件も、名古屋にいた私にとってはそこそこ距離がある場所で起こったことだった。そういう中でLIFEのようなアルバムや、「戦場のボーイズライフ」「強い気持ち強い愛」がポップソングとして流れていたことが、当時10代だった人たちにとってどういう意味を持っていたのか、実はよくわからない。「長くて寒くて心が凍えそうな冬」を過ごしていたリスナーの方が、小沢健二をもっと切実な気持ちで聴いていたのではないかと思う。

 

そんなアホJKではあるものの、岡崎京子にも、私はかろうじて95年に出会っていた。そしてそこに、小沢健二の歌と同じようなものを感じた。彼女のマンガの登場人物たちは、当時花開いたDJ文化と共に乱立したクラブで夜通し遊んでいる。気だるい早朝を迎え店を出て吉野家で朝食をとっている。けれどその中で、主人公だけは、「こんなことをしていていいんだろうか」という気持ちを抱いているように見えた。あるいは、神の視点である作者だけが。その焦燥感、透徹した視線、本当のことを暴こうとするスタンスが、小沢健二の歌と共通しているように感じた。

 

「どこがいいのか、好きなのか」そこまでハッキリ言語化できてなくても、信じられる大人がいると生きていく上で支えになるし、モデルにできる。そういう人が東京に住んでいる。田舎のアホJKが東京を志すには十分な理由だ。小沢健二と雑誌Olive、岡崎京子、そういうものは私が生きる上でのひとつの指針だった。申し訳ないぐらい重たいものを彼らに期待していた。

 

「小沢健二にバッタリ会えるかな~」と97年に上京したのだが、彼はそのころからマスコミ露出が減り、シングルCDのリリースも減っていった。私は私で、過大な期待をしていた東京に失望(というか、それはつまり何もない自分に失望)したりして、なんだか小沢健二どころでなくなっていた。岡崎さんが事故に遭い、小沢健二が「ある光」を出してアメリカに渡り(私はバカだったので、あれがさよならの合図だったなんて全く気付いていなかったのだ!!)Oliveでは表紙にジャニーズが載り、そのうちに休刊になった。私の90年代はフェイドアウト的に終わりを告げた。

 

■私の2000年代

 

その後Marvin Gayeのトリビュート参加とか、Eclecticのリリースとか、キチンと小沢健二の活動はあったわけだけど、なにせ私は「ある光」がさよならの合図と気づきもしないような仔猫ちゃんである。「最近の小沢健二、よくわからない…」と混乱していたと思う。Eclecticのカッコ良さに気づいたのも、それが彼にとって球体などと同じように音楽的にも大きな挑戦だったであろうとわかったのも、めちゃくちゃ最近なのである。マジでごめんなさい。田島カンナかよ。そりゃ失望され渡米されても仕方がないファンだった。

ただ、2000年代に入ってからの私の主観的な気分を、勝手に言わせてもらえば「指針を失った」である。誰かに好きなアーティストを聞かれて「小沢健二」とこたえる時、いつも「釈然としない別れ方をされた元彼」みたいなゴニョゴニョした感じになってしまう。それでも当時、東京に住んでそれなりに時間が経ち、憧れの地だった原宿が、渋谷が、吉祥寺が、下北沢が、だんだんと自分の街になるのを感じていた。小沢健二はいないけど。

 

時は氷河期、目指していた出版業界にそもそも採用が全くない。2000年、大学4年の春、小さな編集プロダクションの名簿を入手し、片っ端から電話をかけ「採用してませんか」と聞いたが、ほとんどしていなかった。ロッキングオンの入社試験も受けた。天使たちのシーンについて自分語りをした長文などを3回ぐらい書いて、最終面接まで行ったけれど、圧迫気味だった(と私は感じた)せいか半泣きになって、落ちた。2000年代の自分の思い出すと、この「半泣き」という言葉がよく当てはまる。三鷹市の1Kの部屋で、小さく丸くなって、明日の就職試験のことを想い緊張して眠れなかった。就職してからも、うまくいったことより挫折体験の方ばかり浮かんでくる。「何者かにならなくてはいけない」職業人としての自分にいつも不安がつきまとっていた。仕事しながら学校に通ったこともある。それでもいつもどこか自信がなく、地元の親にこれまた半泣きで電話したりもした。

2005年ごろだっただろうか、上司から「今年は、花火を期待しています」と書かれた年賀状が来た。花火というのはつまり、「パッとしろ」ということである。努力すればどんな社員も、会社人生で一回ぐらいスポットライトが当たる時が来るだろう、そういう価値観の職場にいたせいだ。パッとしない社員だった私は、その年賀状を見てまた半泣きになった。

2006年に結婚をした。私にとって結婚は「東京でひとりで生きて、仕事をしていくのは、なかなかしんどい」という、半泣き続きの2000年代から導きだされたひとつのソリューションだった。小沢健二はその年、「毎日の環境学」というCDを出した。歌が入っていなかった。私が「文学だ」とか思っていた歌詞がない。私の小沢健二に対する混乱はここでMAXに達する(でも結婚式当日のプレイリストに「ぼくらが旅に出る理由」は入っていた)。

 

 

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…と、いうような私が「そして時は2020 全力疾走してきたよね」なんて歌われたら、

「はい!!!!!!全力疾走してきました!!!!!!疲れた!!!!!!!」という気持ちになって当然じゃないかと思うのだ。小沢健二は私のことをずっと見ていたんだろうか?実は、彗星のように遠くから。

 

 

■長い自分語りが終わり、やっとアルバムの話です

 

2010年の「ひふみよ」からの活動を、私は東京でずっと見てきた。ひふみよの時もそれ以降も、小沢健二は「ただいま」とファンに向かって言ってはいない…と思う。旅立つときも「行ってきます、さよなら」とは言わなかったので、そんな単語じゃ野暮だと思っているのだろう。ただ、ニューアルバムの「彗星」「高い塔」「薫る」の3曲と、ここ10年に彼が語ってきた色々から、これは私たちのようなファン、2000年代を「小沢健二がいないんですけど…」と、どこか心もとなく思いながらも、自分の力でなんとか生きてきた人たちに対する「ただいま」だと、ハッキリ感じた。

 

11月に出たAERAのインタビューで、日本から去っていた2000年代のことを彼は「ひと言では言えないです。漠然と生きていたわけじゃないので」と語っていた。2010年からの小沢健二はまるで遣唐使のようである。自分が、わざわざ砂漠地帯とか、めちゃくちゃ殺人が多い国とか、そんなところにまで旅に出て見聞きし感じたことを、朗読なり歌詞なりツイートなりでファンに発信してくれる。それはつまり、自分の影響力とか、曲を届けることとか、そういうものに対する責任を、「とても重く感じている」ということじゃないだろうか。それが彼のプロフェッショナル大衆音楽家としての仕事観なのではないか。私のように「生きる指針」みたいな、重すぎる期待をかけているファンがいることも、わかっていて10年過ごしてきたのではないかと思った。「それに見合う僕」であるために、「本当のこと」を探し世界を旅して、そして戻ってきた。

 

「彗星」の歌詞には、95年と2020年が出てくるのだ。その間にも小沢健二はいろいろ活動していたけれど、95年を引き合いに出すということ、それは明らかに「LIFE」の頃だし、フジロックでも大合唱で盛り上がった「強い気持ち強い愛」の頃だし、当時それを聴いていた人たちに向かって歌っているということじゃないか。ニューアルバムに入っている曲はどれも、あの頃のように歌詞が「文学的」だ。「『2020年の』本当のことはこうだ」「美しいものは『今も』これだ」「それが人生だ」という強いメッセージが、曲からはみ出しそうなぐらいの圧で入っている。やべー、自然消滅した元彼がすっごい笑顔でお土産たくさん持って、歳はとったけど前髪のサラサラ具合はあの頃と同じまま「ただいま!」って帰ってきたみたいじゃん……

 

なので私は、17歳の頃からの、自分のファンとしてのあり方や、モニョモニョしながらもずっと聴いてきたことに対して「それでいいよ」と全肯定されたような気持ちになっており、今とてもしあわせです。

 

 

■ここからやっと「So kakkoii宇宙」の具体的な曲の話をします

 

お父さんになったことが、小沢健二に与えている影響は、ニューアルバムのジャケットが実の息子の写真であることからも、とても大きいと思う。それについては「魔法的」の時のレビューに書いたので、ここではあまり語らない。ただ、「天使たちのシーン」に「愛すべき生まれて育ってくサークル」という歌詞があるが、「そのサークルの中に自分が入った」ということへの強い実感が、やたら「宇宙」を意識する大きな理由になったのではないか、という気はしている。

そういう、親と自分と子ども、連面と続く人々の営みというテーマ以外に、このニューアルバムから感じるのは、「自分たちの文化、暮らし、生活、新しい常識やルール、そもそも『なにがkakkoiiか』は、みんなでつくろう」とりわけ「もう欧米の真似はしないで」というメッセージだ。小沢健二と小山田圭吾は、いつも周囲に流されない、自分たちでカッコ良さをつくっていくようなところがあった。フリッパーズ・ギターの頃こそイギリス等々のバンドに影響を大きく受けていたが、それもみんなが追いついてきた頃にサクッとやめてしまう。

 

今の日本は、それこそ私が氷河期で苦しんだ頃からずっと経済が低成長で、投資家みたいな人から見ると「そろそろ終わコン」といった状態だ。経済成長が鈍化していることと、少子化の影響ではないかと思うのだけど、なんとなく元気がない、どこか自尊心を欠いている状態のように思う。とりわけ情報感度の高い若者はSNSなどを使っていると思うが、そのSNSでも、政治家の失言や無駄遣い、根深い女性差別などについての怒りが蔓延している。育児や労働面では「待機児童」「ワンオペ」という言葉が一般化しており、若者にしてみればこの国で親になることへの希望もあまり感じない…という風に見えているのではないだろうか。

 

■「高い塔」の話

 

そういう、日本を覆っている重苦しい空気をものともせず、こっちが咳き込むぐらいに強く背中を叩き、叱咤激励する曲が「高い塔」だと思う。「ただいま、何ボーっとしてんの?しっかりしなよ」みたいな感じである。初めて聞いた時、小沢健二怒ってるのか?と思ってしまった。ヘッドフォンで聴いていると、すごい気迫で、(なんか私、いま怒られた…?)みたいに感じてしまう。

 

この曲には「日本」という言葉は出てこない。小沢健二は猫などと同様に国境などどうでもいいと思っているので、たぶん「この日本列島のこのあたりに住んでいる人」に向かって歌っている。歌詞の中には、「社(やしろ)」とか「みちのく」とか、「鳳凰(ほうおう。この間、即位礼正殿の儀でおごそかなやつに絵でガッツリ描いてあったのを見た)」とか、日本のことを歌っていると分かる単語が出てくる。そこで「君たち美しいし聡明だよ」と言っている。かつ、「古代の未来図は姿を変え続ける」つまり、「描かれた予言はいつでも覆せる」「未来は今からでも変えることができる流動的なもの」君たち僕たちがつくろうと言っているのではないか。

なんか「行こう」って言ってるし。

「行け!」じゃなくね。

 

高い塔は東京タワーのことだと思うが、これは小沢健二の好きなモチーフなので、ここを中心として、列島全体を励ましているのだろう。

日本の文化は戦後、実はアメリカに大きな影響を受けている。昔「モテたい理由」という新書を読んだことがあるが、ロマンティックラブを至上とする考え方自体、アメリカ文化の影響だという結論になっていて非常に驚いた。JPOPでは私の記憶だと「僕と君」「あなたと私」の歌ばっかり歌われているが、それだってアメリカの影響なのだ。

仕事をしていると、この国のビジネスはすぐアメリカに追随しようとするな…と感じる。アメリカから持ち込まれたITサービスの日本版に携わったことがあるが、数年でアメリカでも日本でもポシャってガックリした(大した理想もないサービスだったからな…と思うのだけど)。「自己責任」という言葉が私は大嫌いだが、こういった考え方も欧米の影響を大きく受けているんじゃないだろうか。

 

具体的にどうしろとは言わないのだ、そこが小沢健二の文学家らしいところである。「デモに行け」とか「与党を信じるな」とか「日本の米だけを食え」みたいなことは言わない。彼がこっちの知性を信じてくれていると思って、そこから先は自分で、自分たちで考えるしかない。ただ、「欧米人が一番kakkoii」という、骨の髄までしみ込んだ価値観はいい加減捨てろ、客観視しろと言っていることは確かだと思う。日本人を励まそうとした時に「美しい国、日本…祖先に感謝…」とはならず、「東京タワーのように孤独に耐えながら、未来図を書き換えろ」と言うのだ。

これをso kakkoii と言わずして何と言う。

 

■毎日のBGMに「薫る」

 

「薫る(労働と学業)」という曲は、ここまでダラダラ書いてきた、私の半泣きの2000年代を祝福するような曲だった。小沢健二がいないから、何が正しいか何を信じるべきか、自分で考えるしかない。というか、人生は本来そうだったのだが、おそるおそる職業を決め、住む場所を決め、家族を持ち、なんとか生きてきた。「彗星」と「薫る」はワンセットで聴くのが良くて、「とりあえずここまで生きてきただけホント偉い、よく頑張った」と言われているような気持ちになる。そして「君は君の学業や仕事と、真摯に向き合っているんだろう?当然そうだよね」とまた背中を叩かれる。私は仕事中いつも16時ぐらいにむちゃくちゃ眠くなるのだが、この時間に「薫る」を聴くと目が覚めるので良い。「この仕事、誰のためになっているんだろう…」とか「こんなこと勉強して、むしろ世の中悪くしてるんじゃないの…」と思っている人に、今すぐ辞表を書かせる・参考書を破らせるぐらいのパワーがこの曲にはある。そういう人こそ早く聴いた方がいい。で、今の仕事を辞めて何をすればいいかって?「宇宙にとって良いこと」でしょう。あとは自分で考えるしかない。

 

 

 

 

 

 

アルバムのラストの曲でもある「薫る」には

 

 

「君が僕の歌をくちづさむ 約束するよそばにいると」

 

 

という歌詞がある。

これまでも、歌という形で私のそばにいた小沢健二ではあるけれど、このアルバムが「ただいま」なら、この先の10年も東京タワーの元で歌い続け、ライブや朗読なんかしてくれるなら、とても嬉しいなと思う。



 

これからも、「本当のこと」を教えてほしい。

 

 

 

 

 

So kakkoii 宇宙

So kakkoii 宇宙

So kakkoii 宇宙

 

 

 

「小沢健二の帰還」の宇野維正さんの記事。これを読んで「そうか、これは本当に『ただいま』っていうアルバムかもしれないし、私たちを励ましているのかな」と思った。

小沢健二の新作『So kakkoii 宇宙』は、25年前の『LIFE』を超える最高傑作か?(宇野維正) - 個人 - Yahoo!ニュース

 

魔法的の感想。

銀河を包む透明な意志-小沢健二「魔法的」ライブ(2016年)レビューー - kobeniの日記

ひふみよの感想。

あの頃の自分に会いにいく|kobeni|note

 

 あんまり読んでもらえなかったwリバーズ・エッジの感想。

惨劇は起きない 〜「リバーズ・エッジ」/「流山ブルーバード」〜 - kobeniの日記

銀河を包む透明な意志-小沢健二「魔法的」ライブ(2016年)レビューー

※この文章は2016年に頒布された同人誌「久谷女子9.5号」に掲載したものをそのまま転載しています。情報は当時のままになっていますのでご注意ください。

 

 

 

私は10代の頃から小沢健二さんのファンでして、ちょっとキモいぐらい好きなのですが、2016年5-6月にかけて行われたバンド編成のツアー「魔法的」を観てきました。

自分が必死で何か言葉にしても、新曲の歌詞の前ではとにかく陳腐で野暮な気がして、レビューはやめようかと思っていたのですが、それでもやっぱり何か書こうと思ったのは、もしかしてこれ、スタジオ収録の音源は出ないのかもと感じたからです。「ひふみよ」の時もそうでしたが、仮にライブ音源が出回るとしても、それはけっこう先かもしれない。最初からそのつもりだから「魔法的」なんていう、パッとついて-息つく暇がないぐらいぶっ続けで演奏して-パッと消えるような、もの凄く濃密なライブにしたのかもしれない。

 

ライブは本当に素晴らしく、ここ数日、小沢健二のや全然関係ないの、いろんな鼻歌を歌いながら過ごしているのですが、やっぱり強烈な魔法も日に日に弱くなっていく。せめて自分が強く感じたことや印象に残ったことぐらい、書き残しておかないと、余韻がどんどん薄れてしまう。いまTwitterのタイムラインで、同じように、高揚しながら名残り惜しむ人たちの気持ち、とてもよく分かる!(今回は、小沢健二には珍しく1Fスタンディングのライブだったのですが、ファンの皆さんとても礼儀正しかったです…誰もぶつかって来ない…)分かるから、なにか共有したいと思いました。

 

私があの「魔法的」について何か書くとしたら、うちの下の子が凜音くん、呼び名りーりーと同じ3歳男児なので、どうしてもそのあたりが多くなります。私は自分の人生において、節目節目で(?)小沢健二についてキモい文章を書いているので、そのあたりご了承の上で、キモ語りエモ語りにお付き合い頂ければ幸いです。

(ちなみに、以前も久谷女子に書いたことがあるのですが、私は「オザケン」と呼んだことは一度もなく、ずっと「小沢」と呼んでいました。紆余曲折を経て、この本文では「小沢さん」になっています。めんどくせえなおいw)

 

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弾ける宇宙

 

「神様」とか「美しい星」とか、「君と僕」の話をしていたのに気づくと全人類規模の話になっている、というのは小沢さんの歌の特徴だと思いますが、これまでの歌詞に「宇宙」は、そこまで頻繁に出てこなかったような気がします。でも今回は、「宇宙」が割とキーワードになっている気がしました。後ろのバンドメンバーも、テルミン(なんか宇宙っぽい音がする)を演奏していたり、はいているパンツが銀色の全身タイツみたいなのだったりした。たとえば「東京の街が奏でる」コンサートの影絵みたいなアナログな演出に比べれば、コスモっぽさがあったなと思います。電子回路もちょっと宇宙っぽい。

 

宇宙を感じる瞬間とはどういう時なのか。

 

小沢さんの奥様のエリザベス・コールさんと、お母様の小沢牧子さんが対談した本「老いと幼なの言うことには」に、小沢夫妻は「りーりーに授乳することを冗談で『宇宙の秩序を取り戻す』と呼んでいる」というエピソードがあります。そもそもこの本、ふつうの家庭で考えたら、お嫁さんと義理のお母さんが仲良く話すという発言小町もビックリな企画なのですが、そこは小澤家なので。とにかくこの嫁姑ビッグ対談(通訳:小沢健二)にそういうエピソードが出てくるのです。

 

授乳が宇宙とつながる、というのは、なんとなくわかります。子どもがお腹の中にいる時、自分は特に何もしていないのに、勝手にお腹の中で育つ、しかも、ものすごく精巧な人体をキッチリ再現してくる。というのが、正直ちょっと怖かったです。なんかこう「自分より圧倒的に上の概念に位置するなにかがそこに」ということを思い知らされた感じで。それはやっぱり、別にキリスト教信者とかでなくても、敬虔な気持ちになりますよね。敬虔さ…まあ普段、都市生活でそういった感情をいかに忘れているか、ということなんだけど。

 

 

私はあんまり占いとか信じない方で、あー今日は金星と火星が一列に並んでるわー(そんなことあるのか知らないけど)とか思ったりはしないのですが、妊娠中に「満月の夜はお産が増える」というのは、どうも本当にあるらしい、と知りました。月の満ち欠けは潮の満ち引きに影響していますが、お産も重力に影響を受ける、ってことみたいですね。産科の先生が言ってたりしました。

 

すごいよね、重力。日常でそんなに意識しないじゃないですか重力。割と逆らってるし。ボールを高く投げたりとか、胸を寄せて上げたりとか。あと、飛行機を飛ばしたりね!(「飛行する君と僕のために-重力に逆らう-」という曲があった)そのぐらい我々はイキがって、時には自然とか宇宙なめて暮らしてて、それが人間の知恵でもある。でも、生まれたての赤ちゃんは、「我々が教えてないのに」おっぱいの飲み方を知ってるんですよ……。これちょっと、凄いけど、怖くない? これは何かあるね、ルールが。終わらないルールが。そういう、自分より大きな存在(自然=宇宙)みたいなものを、小さなりーりーを育てる中で、小沢さんは強く感じたんじゃないかしらと思います。

 

 

小沢さんはありえなく頭が良く知識量が多く旅先では都度その地の論文を読んだりしているらしい(パネェ!)ので、「直観だけで生きる」ということはしない方だと思います。でも、やっぱり生まれてきた子どもは、頭で考えていた子ども像や赤ちゃん像と違ったんじゃないだろうか。想像していた以上に激しくて、混沌とした力強さを感じたんじゃないかと思いました。というか私は感じました。まだ首も座らない頃は本当に、呼吸が止まっちゃうんじゃないかと、夜中もずっと起きて見つめててみたりしました。が、そのうち、いやいや奴らすごく強いなと思うようになりました。全力で寝るし全力で笑うし全力で食べるし全力で排泄する。側にいると、バチバチと命が弾けてるような感じがする。擦り傷が追いつかないんじゃないの? ってスピードで全身が新陳代謝している。

 

彼らは既に何か知っているような気がする。どういう状態が「自然」なのか。言葉を持って頭でゴチャゴチャ考えることができない乳幼児だから尚更。ひたすら、感じて動いているだけだから。

 

「直観と推論が一緒にある世界へ」という歌詞がありましたが、子どもや授乳中の母親って、割と直観(本能?)的に生きるしかない、というところがあると思うので。母乳って勝手に溜まってくるしね…意志でコントロールできないし。

たとえば子ども同士って、他者の存在を理解する前はやっぱりぶつかるんですが、そのうち、別に大人が教え込まなくても、隣にいる子に優しくしたりする。

そういう、人間本来の、ありのままの力強さを見て、やっぱり美しいなと思って、そしてなんとなく安心したのかもしれないです。ここに戻ろうと思ったら戻れるはずだから。この美しさはきっと我々の中にだってあるはずだ。

 

 私も、弱くてぎこちなく情けない自分や、その自分含む世界に失望することが多い毎日なので、「フクロウの声がきこえる」で涙ぐむ人がいるのは、分かる気がしました。ファンの方に感受性の豊かな大人が多いのでしょう!能天気でなく前向きな歌を歌う難しさよ。

 

 

大人になる勇気

 

そもそも、子どもを育むという行為自体、この世を肯定的に捉えていないとできません。もう、なんとかして肯定していくしかない。あるいは、自分がなんとか「良いこと」をして、肯定できる世界に変えていかなくては。「流動体について」という曲には「宇宙にとって良いことを決意する」、誓いは消えかけていないか、と自問自答するような歌詞がありました。

ここで言う「宇宙」は、そのまま「人間らしさ」みたいなものとつながっていると思うのですが、それに逆らうなら、せめて「良いこと」でないといけない。悪いふうに逆らってるという事象がまだまだ多い。

自分に子どもがいるかどうかに関わらず、「子ども」「次世代」に対して、「大人」の側に立つ決意をするということは、子どもたちを通して、自分自身をより厳しい眼差しで見つめ続けることを意味すると思います。

 

2010年の「時間軸を曲げて」という曲に「少年のように」「少女のように」という歌詞がありますが、その頃から「少年少女」ってどういう意味合いかなと考えていました。今回も「本当に生まれるのはパパとママの方で 『少年少女』の存在はベイビーたちがつづけていくよ!」という歌詞がありました。

ここでいう「パパ」「ママ」「少年」「少女」もやはり、「純粋な存在から真実について弾糾される側」が大人(パパとママ)で、「する側」が少年少女、ということだと思います。

 

私は、子どもが生まれ母親が死んだことで、完全に「大人の方」に蹴り出されたなと感じました。強がりながらでも、やってかなくちゃなんないんだ大人を、と痛感しました。今でも、小児科で「おかあさん、」と医師に呼ばれて「え?誰のこと?私?」と思ったりしてますが。

親になることは、「いずれ死にゆく世代である自分」を意識する、ひとつのきっかけになります。そのほかにも、自分が「もう子どもじゃない」ことを意識させられる機会は様々に存在します。

 

 小沢さんは、既にずいぶん前から大人だったように思いますが、父親になったこと契機に、決意をあらたにしたんじゃないでしょうか。

彼が父親になったら、それ以後、全人類の父親レベルで更にいろんなことを考えるようになるのでは、と想像していましたが、今まさにそうなっている!のではないか!

奥様とりーりーから、もらった力で強くなった分、世界や自分に対してさらに厳しく、さらに真摯になっている気ががしました。

 

 

 

誰かのスーパーヒーローに

 

今回のツアーでは、最初の二曲とアンコールの二曲が「フクロウの声がきこえる」と「シナモン(都市と家庭)」だったので、これらがお気に入りなのでしょう。「シナモン」は、ハロウィンの曲かなと思ったんですよね。なぜハロウィンにシナモンの香りなのか、色々調べて考えたのですが、ニューイングランド(小沢さんが住んでるあたり)は、秋は紅葉がとってもキレイで、カボチャやリンゴが収穫されるんだそうです。リンゴはシナモンで味付けしてホットアップルサイダーに(2月の渋谷クアトロで、エリザベスさんのレシピでおもてなしに配られたやつ)。カボチャはくり抜いて中身はパイに、残った外側はジャック・オー・ランタンに。だからハロウィンの季節にシナモンの香りがするのは、家族の風景として自然なことなんじゃないかと思いました。

 

ハロウィンって、本来は子どもがオバケや魔女に仮装するものだけど、最近のハロウィンでは、スパイダーマンとか、アナ雪のエルサとか、ヒーロー・ヒロインに仮装する子が多いんじゃないでしょうか。

うちは7歳と3歳の男子ふたりを育てているのですが、やっぱり大抵の男の子が、戦隊モノを通るんですよね。そしてある日、見えない敵と戦いはじめる…

小さい声で何事か言っているんです、「まだ…間に合う…おれは…やるしかない…」「よし…行くぞ!」みたいなこととか。で、「てやっ!」「とうっ!」と言って空を斬りはじめる。なってる。スーパーヒーローに。

 

日本で男の子がハマりやすいTVでいうと、「アンパンマン」→「戦隊モノ(スーパー戦隊シリーズ)」→「仮面ライダー」という順番が多いです。で、「戦隊」と「ライダー」の間でちょっと話が複雑になる。「アンパンマン」と「戦隊」は基本的に勧善懲悪で、ヒーローが、仲間と協力して、愛と勇気の力で悪者をやっつけ、地球を救う。

親からすると、「愛」とか「勇気」とか、超久しぶりに聞いたー…という印象なのですが、やっぱり子どもに最初に知ってほしい「力」って、そういうものだったわ、と思います。

 

りーりーは「ニンニンジャー」とか観るのか分かりませんが、通称「日アサ(日曜日の朝にやっている)」と呼ばれる「スーパー戦隊シリーズ」からの「仮面ライダー」そして「プリキュア」は、子ども向けだからと手は抜かず、どのシーズンも基本的なメッセージとしてキッチリ「愛、勇気、善、正義、友情」などを伝えている気がします。(ただ、おもちゃのマーケティングもすごいので、やっぱし、りーりーは観てないかも。クリスマスの前に変身ベルトがパワーアップするとか普通なので)

 

 

「シナモンの香りで  僕はスーパーヒーローに変身する」という歌詞がありましたが、大人になってもなお、誰かのために、あるいは地球のために、スーパーヒーローになるって本当に難しいですよね。さすがに地球は救えないわ自分…とは思うものの、ここぞという時に勇気とか正義とか、果たして発揮できるんだろうか。子どもと一緒にTVや映画を観ていると、シンプルであるが故に胸に突き刺さるというか。しかも、「ここぞという時」の悪者がバルタン星人みたいに分かりやすく巨大化して現れたりはせず、じわじわと会議室に忍び寄ったりしてそうで怖いです。

ちなみに日本にもセーラームーンやプリキュアがあって、女の子も戦うわけですが、アメリカにも「バットガール」とか、色々あるみたいですね。

 

 

仕事をせんとや

 

ところで最近の私は誠実さとか真摯さとはほど遠く、目の前の同僚が疲れ切っていても気づかないとか、自分の仕事の先にいる受け手(いわゆるお客様。webサイトで言えばユーザーです)のことなんて欠片も考えてなかったりで、そういう自分に失望していました。だから小沢さんのライブでの真摯さとかひたむきさが、凄くカッコいいと思った。彼は天才だと思うし、別に自分のことを特別な天才だと思っててくれて構わないんだけど、曲を届けることに関しては、「特に天才ではないがそれぞれの場所で暮らしてる受け手」を信じている感じが、ずっとしています。

「いっつも、一対一なんですけどね」と、ドゥワッチャライクに書いていたことがありました。そんなこと実際にはありえないんだけど、「どうやったら自分の歌と、この、たった2時間のライブで、少しでも受け手の毎日を励ませるか」ということを考え抜いている気がしました。

 

今回、グッズで販売された赤い本(魔法的モノローグ台本)に、朗読が収録されていますが、私は「仕事をせんとや、生まれけむ」が一番好きです。こういうことを誰かに言ってほしかった。科学的根拠とか、データの集計結果とか、そういうのに基づかない、でも説得力のある「そもそも論」を。

大人になったらほぼ毎日仕事をしているのに、理想を貫き通すのは難しい。オリーブを出版し続けるのが難しいように。なんでこんなに難しいんだろう、と思っていました。

人に「あなたの市場価値」とかって値付けされるのもウンザリだし、「それってどれだけ利益出るんですか」と鼻で笑われるのも、それ聞いて物分かりのいい顔で「なるほどですね」とうなづく自分にも本当はウンザリ。「お母さんだって働きたいんだ」というブログ記事なんか書きながら、一方で「私、仕事に殺されるかも…これは戦争か…」と思う日もある。

 

 

むかし友達が、「『はたらく』って、『はた』を『らく』にする、から来てるんだよ」とか金八先生みたいなこと言ってましたが、私は労働の中にある美しさだけを見ていたいんだ!それが別世界で「仕事」という名前で呼ばれなくなったってぜんぜん構わない。

 

小沢さんとエリザベスさんにはこれからも、直感と推論に基づいた、静かで力強い「そもそも論」を言い続けてほしい。

考え抜いて自分の「仕事」を全うしている小沢さん、ホントにカッコいいと思いました。

 

 

 

情報量の多い、濃密なライブだったので、いろんな切り口で語れると思いましたが私からはこんなところです。ホント良かった。ホント良かった。今回、奇跡的に前から3列目ぐらいで観ることができて、「こ、この人…小沢健二だ…小沢健二すぎる……カッコいい///」と、20年ぶりぐらいに仔猫ちゃんに逆戻りしてしまいました。ええ、もうすぐ40歳です、申し訳ありません。これからも私の推しは小沢です。次の活動まで、プロ市民ならぬプロ小沢として信心深く待とうと思います。

 

 

 

 

 

よければこちらもどうぞ。さらに前、「ひふみよ」のレビューです

 

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